コーヒー, インスタントコーヒー種類と歴史
食品関係の粉粒体(3)
(コーヒーの花) (コーヒーの実)
 <粉粒体の部屋(4-3)> ここでは,最も身近な食品用粉粒体の応用である「コーヒー」を紹介しています。

 コーヒーとは :  
(1)コーヒーとは : コーヒーの木はアカネ科コーヒー属の常緑樹です。ジャスミンに似た白い花が咲いた後,直径1〜1.5cm程度の実をつけます(以下の写真参照)。この実が赤く熟した後のがコーヒー豆になります。
 私達が飲むコーヒーとは,この豆(→「
生豆なままめ)を火で煎った(→「焙煎」(ばいせん),roast)後,くだいて粉にし,さらにその粉から抽出した液のことです。
 最近では,粉にお湯等を注ぐだけで手軽に飲める「
インスタントコーヒー」の需要が伸びています。

(2)コーヒーの成分 : コーヒーの主成分は,カフェインクロロゲン酸(タンニン酸)とされています。
 特に
カフェインは,中枢神経・筋肉を刺激し,脂肪分解酵素を活発化させ,またクロロゲン酸は,活性酸素を消去し,ガンを抑制する働きがあるとされています。また,これら以外にも,コーヒーは肝機能を強化し,動脈硬化を防ぐなどの効能が報告されています。

(3)コーヒーの語源 : 
コーヒーの語源は,アラビア語の“カファ(qahwa)”で,これが15世紀頃トルコに伝わって,“カフヴェ(kahve)”に,更に“コッファ(coffa)”となり,さらに今日の“コーヒー(coffee)”となりました。
 アラビア語の“カファ”は,当時の1種の酒の名であり,酒が禁じられていたイスラム教国で,酒と同じように興奮剤的な効果があるところから,その酒の名を転用したと想像されています。


 コーヒー豆の生産と消費 : 
 コーヒー豆は,赤道をはさんだ南北25度の間の,いわゆる「コーヒーベルト」で生産されています。
これらの地域では,年間気温が15〜25℃,年間降雨量1,500〜2,000mmという温暖多湿な気候で,さらに湿り気がある「水はけ」の良い山の斜面や高原で栽培されているようです。
 ただし,適度の日陰も必要とされ,一部の産地では,
バナナの木も一緒に植えられています。

 現在,コーヒーは世界約60数ケ国で生産されており,生産量が多いのは,(1)ブラジル(30%),(2)コロンビア(11%),(3)
ベトナム(10%),(4)インドネシア(5%)・・・という順番です。
なお,日本では亜熱帯の沖縄がこの範囲に入っており,実際に栽培されているようです。
 主な生産国とコーヒー名は,下図のとおりです。

 なお,消費が多い国は,(1)アメリカ,(2)ドイツ,(3)日本,(4)フランス,(5)イタリア・・・と続き,日本は3番目です。



コーヒーの産地別風味の特徴
 各地の豆の風味の特徴を一言で言い表すことは難しいですが,一般的には,コロンビアやブラジル産を標準的なものとして,「キリマンジャロ」や「モカ」は「酸味」,「マンデリン」は「苦み」があり,グアテマラは「コク」があるとされています。これらの単価は,下表にもあるとおり,(某コーヒー専門店では)100gあたり360〜420円です。
 これに対し,ブルーマウンテンは苦み,酸味,コク共にバランスがとれており,品質が良く,希少価値ということもあり,単価は他のコーヒー豆の約3倍(1,400円)になっています


品名 ブラジル コロンビア マンデリン グアテマラ
外観
風味 標準 適度な苦み コク
某コーヒー専門店での値段(@100g) \360円 \360円 380円 \380円
品名 キリマンジャロ モカ ブルーマウンテン
外観
風味 適度な酸味 苦み,酸味,コクの適度な融合
某コーヒー専門店での値段
(@100g)
\380円 \420円 \1,400円


コーヒーの花と実   見学記:
日本では,通常なら見ることが出来ないコーヒーの花と実を,茨城県で見学してきました(2005,5,27)
見学先は,ご自身でもコーヒー専門店(”
とむとむ(注))を経営し,書籍(「珈琲 パーフェクト・ブック」)も執筆されている小池さんの農園です。とてもおいしいコーヒーも戴きました。
農園全体 農園内 農園内の大きなバナナの木
(中央にバナナが出来ています)
<バナナの木は日よけが目的>
<以下の画像はクリックすると拡大します> <以下の画像はクリックすると拡大します>
コーヒーの木 ジャスミンに似たコーヒーの花
(通常2〜3日しか咲かないようです)
少し色づいた実
(実の大きさは,直径1〜1.5cm程度)
(注) 茨城県北相馬郡利根町横須賀804-1
“コーヒーハウスとむとむ”さんの珈琲農園を見学。

コーヒーの加工工程:
コーヒーの加工されるフローシートの例を以下に示します。
(1)



 原料の生豆はまず,製品別に製造会社独自の割合で配合(ブレンド)され,200〜230℃程度で10〜20分かけて焙煎されます。
コーヒーの独特の風味は,生豆の状態では得られず,単にお茶のような色と味がするだけですが,焙煎によって,豆の成分が化学変化を起こし,あのコーヒー独特の風味(色・味・香りなど)が作り出されます。
 
この焙煎の程度は,短時間の「
浅煎り」から「中煎り」を経て長時間の「深煎り」までありますが,それらをさらに細分化すると8区分になります。
 時間の経過に伴う一般的な風味の変化としては,「浅煎り」では香りが高く酸味がありますが,時間をかけた「
深炒り」では,酸味は消えていき,代わりに苦み香ばしさが強くなります。
 なお,メーカーによっては,最初に豆の種類ごとに最適の条件で
焙煎し,その後に配合(ブレンド)するところもあります。
 焙煎の後は,風味を逃がさぬよう急冷されます。
(2)   焙煎した豆を粉砕(grind)し10〜20メッシュの粉体にした後,熱湯と水蒸気(150〜180℃)をかけ,成分の抽出が行れます。またこの濃縮工程として,抽出液を−3〜−7℃の低温に保ち,攪拌しながら溶液中に氷の結晶を析出させ,分離する「凍結濃縮」が最近行われているようです。

(3)  濃縮した液を乾燥し,インスタントコーヒーを製造する主要な方法として,噴霧乾燥法スプレードライ法SD)と凍結乾燥法フリーズドライ法,FD)があります。
(a) 噴霧乾燥
大型ホッパー内では,200℃以上の熱風が吹き上げられており,この気流中へ,上部から抽出後の濃縮液をスプレーします。
スプレーされた液滴に含まれる水分は,熱風中を降下しながら蒸発し,乾燥した粉体がホッパー底部にたまります。
粉体は部分的に真球状になります。

インスタントコーヒー
(N社,エクセラ)
噴霧乾燥品
 粒子には気体が抜けたような
 小さな穴が多数できています。

(b) 凍結乾燥
(フリーズドライ)
コーヒー抽出液を−40℃で冷凍し,粉砕した後,さらに真空状態(4.6Torr以下)で加熱します。こうすると,氷は水にならず,そのまま蒸発する(=昇華)ため,コーヒーの粒子だけが残ります(下図のphaseダイヤグラム参照)。

この粒子は噴霧乾燥時のような高温の熱を受けないため風味が損なわれにくいというメリットがあります。また水分の占めていた空間は孔としてそのまま残るので,溶けやすい(吸湿しやすい)特徴があります。

インスタントコーヒー粒子
(N社,ゴールドブレンド)
凍結乾燥品
小さい孔が多数あり,つながっているため,お湯等に溶けやすくなっています。
(c)
***乾燥方法の違い(原理)***
(P1またはQ1まで冷却した後, 加熱乾燥する過程の違い)

a) P1→P2
通常の熱風乾燥
(固相→液相→気相と変化します。)

(b) Q1→Q2
凍結乾燥:昇華
(固相→気相と変化します。)
加える熱は昇華に必要な潜熱のみ。
図:純水の3重点近傍におけるPhaseダイアグラム

コーヒーの歴史 : 
(1)
コーヒー飲用の開始 コーヒーの始まりは,エチオピアアビシニア高原に自生していたコーヒーの木と実であると考えられています。しかし,それがいつ頃から人々が飲用するようになったかは定かではありません。

(2)
イスラム教徒にだけ飲まれていた時代
<9世紀〜15世紀>
コーヒーは,初期の時代(9〜13世紀頃),イスラム教徒の一部高僧たち)が夜通し祈りをするとき,眠りを覚ます貴重な飲み物として,秘かに飲用していました。

この頃の伝説が2つ残されています。
(a) イスラム教の僧侶オマールの話
イスラム教の僧侶シェイク・オマールは,罪に問われてアラビアのモカからイエメンのオウサバという所へ追放されていたが,飢えて食べた木の実の煮汁に,疲労も吹き飛び活力の湧く作用があるのを知り,多くの病人を救った。やがて罪を許され,モカに帰った彼は聖者としてあがめられた。
(b) アラビアの山羊飼いカルディの話
エチオピアのアビシニア高原に住むカルディという羊飼いの青年が山羊を牧草地に連れて行くと,夜になっても興奮して寝付かないので,困って修道院に相談した。修道士が調べると,山羊たちは赤い実を食べていることが分かり,その煮汁を飲んでみると精気がみなぎり,眠気を覚ます効果のあることを知った。それ以降,修道士たちは,夜のお祈りの際には必ずその実を煎じた飲み物をとるようになった。

その後,1,454年に一般のイスラム教徒にも飲用が許可されると,瞬く間に各地に伝播しました。
なお,
焙煎の開始は,13世紀〜15世紀頃とされています。
(3)



キリスト教圏の各国(ヨーロッパ〜アメリカ)への広まり
<16世紀以降>
ヨーロッパにコーヒーのことが知らされたのは,エジプトやトルコに旅行した見聞録からで,16世紀以降とされています。
決定的であったのは1,605年,ローマ法王クレメンス8世により,コーヒーを読んでも良いとのコーヒー洗礼を受けてからで,その後ヨーロッパ各国に広まり,イギリスなどではコーヒ−ハウスが大流行しました(下記
<参考>参照)。
また,アメリカには1,607年に伝えられたとされています。

<参考>
(1).現在世界で最も生産量の多い
ブラジルにコーヒーが伝わったのは,18世紀,フランス領ギニアを訪れたポルトガル人の軍人が持ち出した苗木からという説があります。
 彼(パルヘッタ中尉)は,当時国外持ち出しの禁止されているコーヒーの種を手に入れる目的でギアナ総督夫人にアプローチしました。その結果,彼に恋した婦人は,別れの日,彼にプレゼントした花束に,コーヒーの種と苗木5本を忍ばせて渡したのだそうです。

(2)いくつもの国でのコーヒー反対運動・禁止令も効果なし。
 (a)1,511年,カイロでイスラム教徒のみならず,一般人もコーヒーを飲みだしたため,戒律を守らなくなる恐れがあるとして,
コーヒー禁止令が発布されましたが,国王が大のコーヒー好きであったため撤回されました。
 (b)1674年,ロンドンの婦人たちによる「
コーヒー店反対」の大運動。 当時は男性のみがコーヒーハウスに入ることができ,入り浸りでなかなか帰らない亭主共を脅しにかかったが効果現れず,尻すぼみで終わってしまったそうです。
 (c)1675年,チャールズ2世が禁止令を出すも,あまりの反発の大きさに驚き,すぐ解除したそうです。

(4)
日本でのコーヒーの飲用
<17世紀以降>
日本にコーヒーが持ち込まれたのは17世紀の終わり頃で,オランダ人長崎の出島で愛飲したのが始まりとされています。そこでは一部の日本人(通訳,役人,商人,遊女など)だけが飲用していました。一般の日本人庶民が広くコーヒーを飲み始めるのは,江戸時代末の開国後に外国人によりもたらされたコーヒー飲用の習慣に接してからです。

その後,明治時代になりコーヒー店も開店し,ハイカラなコーヒーを飲用する人々が増え,大正から昭和に入りますます拡大普及を続けました。
しかし,いくつかの戦争勃発とともにコーヒー豆の輸入が困難になり,ついに第2次大戦突入と共に,それも途絶えました。しかし人々はコーヒーをあきらめきれず,戦時中は,
代用コーヒーとして,小豆,黒豆,サツマイモの乾燥品を煎ったもの,ユリの根,その他・・・を,手当たり次第に試すという状態であったようです。

終戦後は昭和25年に輸入が再開され,今日に至っています。
 
(5) インスタントコーヒー缶コーヒー インスタントコーヒーの最初の発明は,日本人(加藤サリトル博士)です。彼は1,901年(明治34年),アメリカの博覧会で「ソルブル・コフィ(溶けるコーヒー)」として売り出し,好評を博したとされています。
ただし,今日のインスタントコーヒーの始まりは,1937年(昭和12年),N社がインスタントコーヒーの製造技術を完成し,翌1,938年に「ネスカフェ」の商標名で発売したときとされています。
缶コーヒーは,昭和45年にU社で開発されました。

(注)上記は,以下の文献を参考にしました。
1 「おいしいコーヒーを楽しむ」<日本放送出版協会発行,NHK編,
           まる得マガジン (おいしいコーヒーを楽しむ),2004,11,1>
「コーヒーハンドブック」<池田書店刊,UCC上島珈琲編,1997,7,1>
「コーヒー学講義」<人間の科学社刊,広瀬幸雄・星田宏司著,2003,4,20>
「珈琲 パーフェクトブック」<日本文芸社刊,小池康隆著,2003,11,25>
「香りへの招待」<研成社刊,梅田達也著,1979,9,10>

その他の粉体:
コーヒーに加えるクリーミングパウダー砂糖の一例です。
クリーミングパウダー(M社) クリーミングパウダー(A社) グラニュー糖
(M社とA社は製法が異なるようです。)

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