私の見た堀井繁造 わが心の友―川島正行(守山町議会議員) 私は、堀井繁造氏に教えられるところがとても多いのです。堀井氏は、議会活動もやり、数多くの公職にもたずさわってきた人なのですが、ふつう地域社会において、このような経歴を持った人は、誇らしげにしたり、おごりたかぶる場合が数あるのです。しかし、堀井氏にはそんなところが、微塵も感じられないのです。堀井氏は、男といわず、女といわず誰とでも、気軽に膝を交えて、互いにうち解けあうまで語りあったり、道で会った人に、気楽に会釈したりするといった庶民性を備えています。こういうと、腰が低くて愛想がよいのは、根性が稀薄で小さい人物だからなのではないかと、いう感じがするのですが、実際はまったく正反対なのです。堀井氏の、生れ星は”九柴火星”といって火の星なのですが、そのとおり、内に秘めた信念は誰よりも強いものがあります。それをうまくハラの中に納めて、表面は常におだやかなのです。堀井氏は、これまで数多くの苦労を味わい、自ら社会の荒波にもまれて、人間を磨いてきた人なので、義理人情に厚い典型的な、日本人としての人間性をそなえているのです。それだけに体験から生みだす実践力というものに、理論を知って実践にうつす人にはない、力強さが感じられるのです。また、短期間のうちに現在の基礎を築いたので、とかくなにも知らず、堀井氏の側面だけしか見ていない人には、誤解を受けたり、ネタまれたりすることもあるけれど、日常の交わりをかさねて、堀井氏をよく知っている私には、現在の地位を築いたのは、当然の結果だと思えるのです。それだけに私は、もっと多くの人達に、真の堀井氏をわかってほしいのです。昭和二十五年、郷里の中主町から守山町に出て来てからは、みるみるうちにその才覚をあらわし、当時はまだ、となり町から来たとはいえ、よそ者扱いされ、陽のあたる場所に出してももらえない場合が多かったのですが、堀井氏は、その因習を打ち破り、昭和三十一年、守山町議会議員に見事当選したのです。このように、短期間のうちにすい星の如く現われ、現在の地位を築くことができたのは、やはり、堀井氏の内に秘めた、火のような情熱と、数多くの試練と苦しみの体験があったからだと、改めて私は思うのです。
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