私の見た堀井繁造

黙々と歩む気概の男―堀井隆彦
オヤッサンと私の間柄は、父と子というよりも、むしろなんでもざっくばらんにしゃべれる兄弟や、親しい友人に近いと思う。だから、オヤッサンと私の間には、常に対話があり、その対話は、オヤッサンが守山町町会議員をしていたころから、ずっと続いています。そのころのオヤッサンは、議会活動にとても熱心だったので、県庁へ陳情に通ったり、工場誘地のために走り廻っていました。ですから、当然家業には身が入りません。その上、オヤッサンの歳費は、あまりにも安いので、とても生活は苦しかったのでした。なにも知らない他人は、「政治家っていうのは、よう金がもうかるんやろう」とよくいいますが、オヤッサンは八年間の議員生活のなかで、六反あった田と、二反の畑を売りつくしてしまったのです。そして唯ひとつ残ったものは、最後の任期が終わったときに、県町村議長会から送られた銀時計だけでした。オヤッサンは今でも、その銀時計を大切に持っています。オヤッサンはよくこんな話をします。「人になんといわれようと、自分が正しいと信ずる道をまっすぐに歩いてさえすれば、いつの日にか、人はきっとわかってくれる。誰が何といっても、水は高い方から低い方へ流れる。この自然の法則は、誰にも変えられない。政治をやろうと志すもんは、人々に愛され、親しまれなくてはいけない。人々の強い支持を受け、そこではじめて政治をやる資格を得るんや」こんなオヤッサンを、ある人は、「まったく、つかみどころのない男だ」と、いったけれども、オヤッサンはそんな中傷には耳をかさず、相変わらずニコニコと笑いながら、暇をみつけては、路地うらや道ばたで、さまざまな人と身近な政治の問題を取り上げては、熱心に話し込んでいます。そんな時のオヤッサンは、実に頼もしげに見えます。そこには、自分の信ずる道、黙々と歩む男の気概を見ることができます。