この人物に注目3
  アンフィヤンク
 (1559〜1622)
 
エイドゥと同時期からヌルハチに仕えた古くからの股肱の臣。五大臣の一人。

   エイドゥと同時期から付き従う。  

       アンフィヤンク。フジ部ギオルチャ氏族出身。父親ガンプルは早くからヌルハチ支持を表明していた。
     ジャンギャの人がガンプルを誘い謀反を呼びかけたが、ガンプルは応じなかった。
     ガンプルの孫を誘拐し、さらに脅してもガンプルは決して首を縦に振らなかったという。
     そういう父の姿を見て育ち、アンフィヤングも父とともにヌルハチに仕え、初期はエイドゥと供にヌルハチのボディーガードをつとめた。

   率先して戦う。

      仇敵ニカンワイランを討つべく、ヌルハチは兵を挙げる。
     アンフィヤンクもエイドゥらと供に兵に加わり、ニカンワイラン討伐で名を挙げた。
     ニカンライワン討伐の折、サルフ城城主ノミナ兄弟が寝返り、ニカンワイランへ情報を流した。
     この為、ニカンワイランは逃亡し、討つ機会を逸したのである。ヌルハチは激怒し、ノミナ討伐に向かう。
     アンフィヤンクは兵を率いて城を攻撃し、ノミナは捕らえられ処分されたのである。
       続いて、一族のリダイがヌルハチに叛旗を翻す。彼はハダ部と結託してハダ兵を満洲に入れようとした。
     ヌルハチはリダイの居城ジョーギャ城を攻略し、リダイを捕らえる事に成功した。
     しかし一族のリグリジャダイはヌルハチを恐れて逃亡。アンフィヤンクはヌルハチの命を受けて、彼を説得にあたり降伏させている。
       同年6月、マルドゥン砦攻略戦が行われた。
     この砦は険しい所に作られており、守備兵の抵抗も苛烈だった。
     矢や石が次々降り注ぎ、3日経っても落とす事が出来ない。
     

    ションコロバトゥル。

       リダイを討伐したのと同年6月、マルドゥン砦の攻略が行われた。砦は険しい崖の上にあり、また守備兵の士気は盛んであった。
    上から矢や石が降り注ぎ、3日経っても落とす事ができない。
    そこでアンフィヤンクは自ら兵を率いて、夜間、暗い中を切り立った崖をよじ登り、奇襲をかけて砦を陥落させた。
       ジュチェン部討伐戦では、ドゥン砦、ワンギャ城を落とすなどの功績を残している。
       ジャンギャ、ニマラなどを落とし、その地方の有力者リドゥンバイフを降伏させている。
 
      1593年6月、ヌルハチはハダ部のトルギャチ砦を落とした。ヌルハチは殿を務め自ら兵を整え撤退を始めた…丁度その時である。
    救援に駆けつけたハダの貝勒メンゲブルがヌルハチに追いつき、襲い掛かった。
    敵兵一騎がヌルハチの前に踊り出て弓を構え、さらに三騎がヌルハチに向かってくる。
    矢はヌルハチの馬に辺り、ヌルハチは転げ落ちた。突進してくる騎の兵は刀を抜きヌルハチに切りかかった。
    まさに絶体絶命の時、アンフィヤンクが駆けつけ、敵の刀を受け止め、敵兵をことごとく切り捨てた。
    ヌルハチは弓をとってメンゲブルに矢を放ち、動揺した敵兵は去っていった。
    窮地を救ったアンフィヤンクの勇敢さをヌルハチは称え、彼に「ションコロ・バトゥル」の称号を贈った。
      同年9月、9部連合がヌルハチを襲ったが、全軍挙げて迎え撃ち勝利を収めている。
    連合に加わったネイン部を、彼はエイドゥ、ガガイらと攻め、その部長セオウェンセクシを降伏させた。
       
      フルガンと供に、東海サハリヤン部の攻略を命じられた際は、木を彫りぬいて船を作り、陸路と水路のニ方面から攻め上り36砦を落とした。
    8月には黒竜江北部まで到達。本来なら9月頃から河が凍り始めるそうだが、この時は部隊が渡れる辺りだけ凍った。
    フィオンドンは「天の助けだ!」と言い、まず一騎が渡り、安全を確認した。
    そして全軍が粛々と渡りきった。すると氷は解けてしまったという。
    かくして北部11砦を瞬く間に降伏させた。
   
      明との戦いにおいては、張承胤を三路から攻め、フィオンドンは左翼を指揮して明軍を破った。
    その後、サルフの戦い、イエヘ攻略、瀋陽、遼陽などの戦いに常に参戦したという。
    

   末尾。

      天命7(1622)年7月。フィオンドンは亡くなった。享年64歳。
    ある時、ホンタイジは廷臣らに次の様に話している。
    「昔、ダハイやクルらが朕に漢人の服装を着る様、勧めてきた。
     朕は戦場以外ではそれもよいだろうと答えた。
     しかし、我等があの様な大きい袖のだぼだぼの服を着たとしよう。
     アンフィヤンクやローサの様に、挺身で敵陣に突入したり、またよく守ったりできるか?」
    あの時代は勇者が雲の様に次々と登場した。その中でもアンフィヤンクやローサは一際優れていた…そうホンタイジはそう評している。
  
      思えば、満洲族は次第に野生の血を失い、自分たちの言葉すら忘れてしまった。
    大多数の漢人の中で暮らすうちに、いつの間にか飲み込まれてしまった。
      しかしながら、服装だけは頑なに守り続けた。
    歴代皇帝はしばしば、服装・民族意識について発言し、流行に流される同族を戒めている。
    それは単に民族としてのアイデンティティーにだけ、こだわっているのではない。
    ホンタイジの次の発言が真意を付いているだろう。
    「われわれが漢人の衣冠を真似れば、他人に肉を切られて食われるに等しい」
    満洲族は少数で大多数を支配していた。力を失う事は、支配そのものを失う事を意味していた。
    ゆえに常に武人である事を忘れてはならない…ホンタイジはそう未来へ警告したのである。
        
 


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