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ヌルハチの養子となる。
フルガン。トンギャ氏族の人。ヤルグ出身。父親フラフが一族と敵対し、それがきっかけで氏族挙げてヌルハチに帰参した。
ヌルハチが兵を挙げて6年目の話である。有力氏族の帰参をヌルハチは大変喜び、歓迎した。
当時、フルガンは13歳であった。ヌルハチは彼を養子にし、愛新覚羅の姓を与えた。
成長し、フルガンはヌルハチの側に仕える事となる。
彼は育ててくれた恩に報いようと、いつか死ぬその時まで戦では必ず先陣に立つ事を心に決めた。
ウラ軍を大いに破る。
カルカ地方のフィオ城はウラ部の支配下にあった。ウラの部長ブジャンタイはフィオの人々を虐待した。
暴虐に嫌気の差した彼らは、ヌルハチに保護を求め、ヌルハチはフィオの人々を自身の支配地域に移す事とした。
シュルガチに3千の兵を与えて、住民の移送を命じた。
フルガンは最も重要な役目を任された。住民の警護である。しかし運悪く、そこへブジャンタイが1万の兵を持って奪還にやってきた。
この時、フルガンの指揮していた兵数はわずか300名であった。
ひとまず住民を高台へ移し、百名をもって護衛に当たらせた。自身は200名の兵と供に偵察に向かい、敵が控えている陣地を発見した。
シュルガチの本隊に急いで救援を呼びに行かせ、翌日には本隊が到着した。
フルガンも敵兵を迎え撃ち、奮戦してウラ部の兵を大いに破った。
ウラ部は有力者を相次いで失い、この一戦で彼らの命運は尽きたといえるだろう。フルガン達から見れば、それくらいの大勝利だった。
この後も東海方面への遠征で多くの功績を残している。
明、フルガンの身柄を要求する。
国境を巡って明との関係が崩れ始める。
明とヌルハチの間で国境を画定する盟約が結ばれた。
ヌルハチは住民に対し明領へ入らない事を厳命し、破った者は決して許さず死罪に処すと発表した。
そうやってヌルハチは気を使っていたが、明の住民は国境を越えて人参を採り、銀を掘り返し、野菜果物を刈り取った。
この状態が毎年の様に続いた。
さすがに我慢の限界となったヌルハチは、フルガンに命じて不法入国者の摘発に当たらせた。
フルガンは明の住民を見つけると捕らえて殺した。その数、およそ50人である。
ヌルハチは仕方なく殺したのだ…とアグリらを使者として明へ送った。
広寧巡撫李維翰はアグリらを拘束し、さらに使者を送って「犯人を引き渡せ」と厳しく責め立てた。
ヌルハチは引渡しを拒否し、代わりに国境線で自ら処刑すると伝えた。この時身代わりにされたのはイエヘ部の捕虜であった。
明当局はそれを信じて、アグリらを釈放している。
サルフでの大活躍。
天命4(1619)年2月、先の撫順失陥を受けて明軍は楊鎬を総司令官に、大軍を満洲へ送ってきた。
フルガンは貝勒アミンと供に先行し、戦端を開き游撃の喬一gを破った。
明軍には朝鮮・イエヘの軍も加わっていた。喬一gは後金軍の猛攻を受け、たまらず朝鮮軍指揮官カン・ホンリプ(姜弘立)の元へ逃げ込んでいる。
サルフでは杜松を破り、ジャンギャン崖において馬林を破るなど、決戦にフルガンは全て参加している。
劉挺が兵を率いてトンギャへ攻め入ってくる。守備兵だけでは支えきれず、フルガンが援軍に駆けつけた。
しかし、数において明軍が圧倒している為、フルガンは守備兵と供に山間に隠れ、本隊の到着を待った。
劉挺がアブダリ山に陣をひくと、彼は部隊を下がらせ衝突を避けた。
本隊が駆けつけるや、東西から劉挺を挟み撃ちにし、劉挺を討ち取った。
こうして遼東における明軍の影響力は大きく失われた。
明軍との一連の戦いでフルガンは頭角を表し、その影響力は諸皇子にも並んだという。
失脚。
ヌルハチの長男チュエンは後継者として父親からも期待されたが、傲慢な性格が災いして人心を失い、後継者から外された。
しかし、ヌルハチはその次を決めなかった。
こうなると、「次は誰になるのか?」と人々は思う様になる。
特にダイシャン、ホンタイジら皇子たちの頭の中はそれが重きを占めたであろう。
皇子やそれを支持する人々がまず行ったのは、廷臣たちの支持を集めることであった。
ゆえに大臣・将軍を家に招き、酒を振舞い、賄賂を渡し、人気取りが活発となった。
特にヌルハチとも親しいフルガンの元には、彼らが多数押しかけ、彼をしきりに持ち上げた。
おだてられフルガンもおかしくなってしまった様である。
この軽薄な風潮にいち早く気づいたヌルハチは、皇子たちを厳しく叱り付けた。
フルガン自身、賄賂を貰った罪で降格処分となり、加えて議政大臣としての職を追われた。
信用を失ったフルガンは失意のうちに亡くなった。
天命8(1623)年10月の事である。享年48歳と、まだまだ働き盛りの中での急逝であった。
晩年は冷たくあたったが、それでも我が子同然に育てたフルガンである。ヌルハチは葬式に赴き、その死を悼んでいる。
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