イエヘ年代記−4−
  


    ■ 明とイエヘ協力する。 

         ヌルハチは万暦44(1616)年に、大ハーン(皇帝)位に就き、後金を旗揚げする。
        イエヘを巡る関係で、完全にこじれた明と後金はこの後、戦闘状態に入る。
         
         かつて明とイエヘは敵対関係であった。
        明に従わないイエヘに対して、ハダに力添えをしていたのは前述した通りである。
       それが今では盟友となった。
         万暦46(1618)年9月、ギンタイシは我が子デルゲルと共にヌルハチを攻撃。
        砦を一つ落とし、470名を捕らえ、84名を殺した。
       明はこの功績を称えて、白金2千両、上等な衣装などを与えて功績を称えた。
 
         翌年1月、しかしヌルハチの報復に遭う。
       息子ダイシャンに5千の兵を与えて、ジャカ関へ向かわせ明軍に当らせた。陽動である。
       その隙に本隊はイエヘ進んだのである。
       城を2つ落とし、イエヘ城東十里に至る間に、大小あわせて20近くの砦を攻略した。
       イエヘは明に救援を乞い、総兵馬林が駆けつける。
       ヌルハチは馬林軍が強く、勝てないと感じて撤退した。
 
        2月、楊鎬を総司令官とする大軍が後金を襲った。
       明将竇永澄から出撃の要請があり、イエヘ部も2千名を送ってそれに応じた。
       しかし、明軍は歴史的大敗北を喫する。イエヘ部隊も永澄もろとも、三岔下で全滅した。
       この時、ヌルハチはかつてイエヘ部に属していた人々を使って、ギンタイシに降伏を呼びかけたが失敗している。
       6月にはヌルハチが開原を占領。イエヘはこの時も2千名を救援に送っている。
       8月、かの熊廷弼が総司令に就任。ギンタイシは「開原を我々が取り戻す」と意気込み、廷弼は大変それを喜んだ。
       ギンタイシは現実感覚が乏しかったのか?それどころではなかったのに。
 
       同じ月にイエヘ自体が滅びる事となる。 
 



     ■ イエヘ滅亡(上)。

          サルフの戦いで大敗し、明軍の軍事力は大きく低下した。
        今こそ、イエヘという毒を取り除く好機だと、ヌルハチは考えた。

        8月、大軍をヌルハチは集める。
        外向けには「瀋陽を攻めるために兵を集めている」という情報を流した。
        明軍はヌルハチの次なる攻撃に備えて、守りに入らざるを得なかった。
        19日、ヌルハチは大軍を率いてイエヘへ向かう。
        22日にイエヘ城下へ到着した。イエヘの城は東西二つに分かれていた。
        東のギンタイシの守る城をヌルハチが攻め、息子たちがブヤングの籠もる西城を攻めた。
         ブヤングは城を出て近くの岡に登って陣を構えていたが、ヌルハチの軍が士気盛んなことを知り、城の中へ戻った。

 

 楽器が鳴り響き、兵士の士気も盛んである。
ヌルハチは東城を取り囲むと、ギンタイシに向け投降を呼びかけた。しかし彼は応じない。
「オレは明兵の様に弱っちくない、偉丈夫だ!何もせずに降伏すると思うか!むしろ戦って死んでやる!」
ギンタイシはそう答えたという。
東城は岡の上に作られている。ギンタイシへの呼びかけが無駄だと悟り、ヌルハチは総攻撃を命じた。
上を両軍の矢が飛び交い、下を盾を持った兵士たちが駆け登っていく。
イエヘの人々は石や丸太、たいまつを落として、進撃を妨害する。
しかしヌルハチの兵士は、その中を果敢に進み、ついには城壁へ達し、それを崩した。
 
 イエヘ軍は城内で迎え撃ったが、敗れ、雲の子を散らす様に逃亡し始めた。

 ヌルハチは「むやみに殺すな。そして老人・子供は保護せよ」と言っていたので、城内が大混乱になる事はなかった。
 そしてイエヘの人々に対し、「投降する者は殺さない」と告げると、人々は皆、降参してきた。
 
 こうして東城は陥落したのである。
 当のギンタイシは家族とともに櫓へ登り、それを兵士たちが取り囲んだ。
 

           ヌルハチはギンタイシに投降を呼びかける。
         彼はホンタイジとの面会を求めた。ホンタイジの母はイエヘの人である。ギンタイシとホンタイジは言わば親戚であった。
         その頃、ホンタイジは西城を攻略中であったが、ヌルハチは彼をこちらへ呼び寄せた。

          ギンタイシはホンタイジとの面会を求めたのは良いが、実は面識が無かった。
         「オレは甥を見たことがない。どうやって本人と確かめればいいのだ?」
         全く情けない話だが、彼はそう言った。
         フィオンドン、ダルカら後金の将は、「一般とは衣装も異なるし、見たら分かるだろう?不安なら乳母を連れてこようか?」と言い返した。
         イエヘと満洲がまだ仲の良かった頃、その乳母はホンタイジと、そしてギンタイシの子デルゲルの世話をした。
         彼女なら顔を知っている、とフィオンドンらは提案したのである。
         
           なかなかホンタイジとの交渉が進まない事にギンタイシは怒った。
         「お前らは乳母に確かめさせるとか調子の良い事を言って、何とかオレを降ろさせて殺すつもりだろう!
          お前たちに城の鉄門は破られてしまったが、もう一度戦って同じ様に勝てると思うなよ。
          先祖はここに根を下ろし、オレはここに生まれ、ここに育った。そして今はここで死ぬのみだ」
         
          ホンタイジ、ヌルハチは再三に渡って降伏を呼びかけ、結局、家族は地上に降ろした。
         しかしギンタイシ本人は最期まで拒んだ。
         ヌルハチらに向かって矢を放ったのがきっかけで、兵士たちは櫓を破壊し始めた。
         それに対しギンタイシは自ら火を放ち、櫓は炎上し崩れ落ちたのである。
         こうしてギンタイシは死んだと思われた。しかし本隊が撤退した後に、焼け落ちた灰の中に潜んでいたのを発見された。
         そして彼は縊り殺されたのである。
         

 


     ■ イエヘ滅亡(下)。
  

         ギンタイシは我が子デルゲルらを下に降ろした。
        ホンタイジはデルゲルを縛り上げ、ヌルハチの元に連行した。
        デルゲルは父と共に死ぬ覚悟は出来ている様だった。
        「オレは36歳になった今日死ぬのか!
         何で縛り上げるか!さっさと殺せ!!」
         ヌルハチはそれを許さなかった。食事を用意し、ホンタイジにもいっしょに食べなさいと述べた。
                      
そしてホンタイジに対し、「お前の兄にあたるのだから、きちんと扱え」と命じたという。
        イエヘの有力者を殺すことに抵抗があったのか、彼の勇敢さに感じ入ったのかは定かではない。
              

 

         
こうして東城が攻略された頃、西城も息子たちが取り囲み、陥落しようとしていた。
        西城に立て篭もるブヤングは東城が落ちたと知り、戦意を失い弟のブルハングと共に降伏した。
        彼らが殺さないという保障を求めた。
        ダイシャンは「死ぬのを恐れておられる。先にあなたの母を出しなさい。あなたの母は我々の身内なのだからどうして殺せようか」と諭した。
        ブヤングが母を先に送ると、ダイシャンは酒を用意し天に殺さないと誓った。
        それを見て2人も信用し投降したという。
        
                       しかしヌルハチの前に連れ出されると、ブヤングの心境は一変した。
        ヌルハチと面会するが膝を折るだけで、頭を伏せようとしない。
        金を与えたが、やはり頭は伏せない。酒を勧めても呑まず、彼は立ち上がった。
        ヌルハチもさすがに諦め、「この者は恨みが強すぎる」と言い、ダイシャンに連れて行く様に命じた。
        最初は死にたくないと言っていたが、やはり長としての誇りがあったのかもしれない。
        夕方になって、彼は処刑された。
 
         遅ればせながら、明軍が救援に駆けつけたが、逆に返り討ちにあった。游撃馬時楠が戦死している。
         


     ■ 後日談。
  
          かくしてイエヘ部は滅亡する。
        
明から見れば、これによってイエヘは最期まで憎きヌルハチと戦った忠臣となった。
        かつては敵同士だったのを考えると、全く奇妙な話である。
        万暦帝の命を受け、給事中姚宗文は辺境へ赴き、イエヘの生き残りを捜し求めた。
        デルゲルの娘2人がモンゴルに嫁いだ事を知り、彼女たちに金2千を贈ったという。
         
         廷臣はイエヘ部族長らの勇敢な最期に感じ入り、ギンタイシ、ブヤングの霊を慰める廟を作りたいと申し出た。
        さらにハダ部族の血筋にあたる王世忠は妻がイエヘの者だった事から游撃の地位を授けられた。
 
         この様に明では彼らの勇敢な戦いを称える動きが各所で見られたのである。
        また辺境にて、明の温情を宣伝する事で、何とか明に見方する部族を作りたかったという側面もあったと思われる。  

        思えばヌルハチが懸命に投降を呼びかけたのも、彼らが勇敢だった故だろう。
        人不足の後金にとって、彼らの様な強い人間はどうしても必要だった。
        ゆえに彼らの長を殺して恨まれる様な愚を避けようとしたのではないだろうか?
           


     ■ デルゲル後。
  
           明でイエヘの行為が称えられる一方、ヌルハチも彼らを厚遇した。
        デルゲルは一族ともに上三旗(皇帝直轄師団)の一つの正黄旗へ組み込まれ、三等副将の地位を与えられた。
         時代は変わり、ホンタイジの代となった天聡3(1629)年、デルゲルは爵位改正にあわせて、三等梅勒章京となる。同年に世を去った。
        天聡10(1636)年、モンゴルのチャハル部においてリンダン・ハーンが亡くなり、内紛が勃発。
        その混乱に乗じるべく、ホンタイジはドルゴンにチャハル部攻略を命じた。
        この時、デルゲルの後を継いだ子供のナンチュも従軍している。
        ナンチュの姉は、リンダンハーンの妻(スタイ太后)となっていた。
        その縁を使って彼が投降を呼びかける。しかし、弟ナンチュが来たと言ってもスタイ太后は信用せず出てこない。
        代わりにイエヘ部の頃から付き従った召使に見に行かせ、彼女が「ご本人です」と告げると、泣いて驚き、太后はようやく出てきたのである。
        かくして、リンダンハーン一族は降伏したという。
 
         この様な功績があったナンチュだが、後に罪があり爵位を奪われた。
        代わって弟のソルホが後を継ぎ、子孫は乾隆時代にはニ等男爵となったという。
 
          なお、ブルハングも三等副将となったが、後日罪に連座してその職を剥奪されてしまった。
         
        

 


          
      


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