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孤立するヌルハチ。
満洲において並ぶもの無い権勢を誇ったワンカオ。
彼の部下が明の役人を惨殺した事で、彼自身が明の討伐を受けた。
ゆえに、その子アタイは明に背き、しばしば土地を荒らしまわった。
一度は説得応じたものの、再び背き討伐を受ける事になった。
城は明軍に包囲され、もはや風前の灯火である。
アタイの妻はヌルハチの祖父ギオチャンガの孫である。
アタイとヌルハチ一族は婚姻関係であった。その関係でギオチャンガとタクシは城に入ったとされている。
アタイへ降伏する様に呼びかけにいったのか、それとも孫娘だけでも救おうと思ったのか。
それは分からないが、結局二人は城内の混乱の中で殺されてしまった。
ギオチャンガも、タクシも亡くなり、遺産は急遽ヌルハチが引継ぐことになった。20代前半の若者である。
まず彼が考えたのは、ニカンワイランへの復讐である。
先の殺害にはニカンワイランが関わっているとヌルハチは考えた。
彼は明当局に対して、ニカンライランの処罰を要求する。
しかし、その前にヌルハチは祖父らの誤殺に対する謝罪と賠償を求め、明はそれに応じている。
立て続けの要求に、さすがの当局も不快感を示した。
明はニカンワイランを庇ったのである。
その為に築城を支援し、加えて彼を満州の主であると認定した。
明がニカンワイランをボスと指名したので、周辺の人々は彼に帰参した。
「ニカンワイラン、ぶっ殺す」と言っていたヌルハチは孤立していくのである……。
チャンシュらの帰参。
ギオチャンガは勢力拡大に際し、ずいぶん無茶をした様である。
一族の者は彼が死ぬと、その復讐の矛先をヌルハチへ向けた。
ヌルハチは周辺のニカンワイラン支持者だけでなく、一族の者からも命を狙われる様になった。
あるいは、そのまま潰される結末もあったかもしれない。
しかし、一貫してニカンワイランを敵視した事が、もう一方の支持をヌルハチに集める事となった。
ニカンワイランと利害面で対立していたのか、人間的に嫌いだったのかは定かではない。
スクスフ地方のサルフ城城主ノミナの兄ウラは、ニカンワイランを嫌い、彼に逆らう様な発言をした。
ニカンワイランは明に対してそれを訴え、明はサルフを責め立てた。
兄の暴走で明の非難を受けたサルフ城主ノミナは恐れたことだろう。
自分たちは孤立して、いつか潰されてしまうと。
彼の住むスクスフ地方は、ニカンワイランに友好的ではなかった様である。
同じ地方で、同じ様にニカンワイランを嫌う有力者を集めて、彼らは協議した。
この時、集まったのはジャン砦のチャンシュ・ヤンシュ兄弟。ギヤムフ砦のガハシャンハスフ。
ちなみにガハシャンハスフは、あのエイドゥの親戚にあたる。
エイドゥは幼くして両親を失い、叔母を頼ってギヤムフへ移った。ガハシャンハスフとは本当の兄弟の様に仲がよかったという。
集まった人々に対して、ガハシャンハスフは言う。
「我等と考えが同じ人に頼ろう。ニングダのアイシンギョロはどうか?」
皆、それに納得した。
ヌルハチは「ニカンワイラン憎し」と言って孤立してしまったが、それ故に反対する人々から盟主と呼ばれる様になったのである。
ニミナ、チャンシュ兄弟、ガハシャンハスフは人々を率いて、ヌルハチに帰参したのである。
盟約。
帰参した人々とヌルハチの間で盟約が交わされたという。
ヌルハチは牛を生贄に捧げ、天を祭り、裏切らないと誓った。
チャンシュは言う。
「我々は率先して帰参いたしました。どうか我々を自分の体の一部の様に大切にしてください。
我々を亡国の民にすることのない様、お願いします」
ヌルハチはヤンシュとガハシャンハスフを、自分の妹と結婚させ親族とした。
今回の帰参によって、ヌルハチは兵隊を得る事が出来た。
ヌルハチは早速、ニカンワイランへ討ち入りを行うが、ノミナが寝返り、ニカンワイランを取り逃がしてしまう。
ニカンワイランに敵対したのは兄だったので、ニカンワイランと手を組むことに抵抗が無かったのかもしれない。
あるいは駆け出しのヌルハチに危機感を持ったのかもしれない。
早々にノミナが寝返ったのは、チャンシュらにもショックだったことだろう。
ヌルハチが討つ前に、彼ら自身が動かなければヌルハチの不信感を買う事になりかねない。
彼らが要請したという形で、ノミナは粛清された。
ヌルハチの親戚、ロンドゥンはなかなかの策士だった様である。
先のノミナ裏切りも彼が工作したものと言われている。
1584年、そのロンドゥンがヌルハチに帰参。
ロンドゥンは早速、サムジャン(ヌルハチの継母の弟)と接触し、ヌルハチを追い落とす計略を練った様である。
ガハシャンハスフの行動予定をロンドゥンはサムジャンに伝え、サムジャンは彼を待ち伏せして殺してしまった。
妹の夫を失って、ヌルハチは大変怒った。それと同時にせめて遺体は葬りたいと考えた。
一族兄弟は皆、危険だと反対した。背後には奸智に長けたロンドゥンがいるから、罠があるはずだと反対した。
皆、それを怖がって行こうとしないので、ヌルハチは側仕えの者と出発してしまった。
叔父のレンドゥンニはさらに制止する。
「一族の者がお前を殺したがっている。そうでなければどうしてガハシャンハスフは殺されたのか?どうか行かないでくれ」
ヌルハチはそれを聞かず、彼の遺体がある城へ向かってしまう。
城の南の岡を一気に上がり、城に向かってヌルハチは叫んだ。
「オレを殺したいヤツはさっさと出てこい!」
皆、ヌルハチの武勇を知っているので怖がって、あえて出ようという者はいなかったという。
かくしてヌルハチは遺体を引き取って帰った。
衣服を着替えさせ、綺麗な身なりにして棺に納めたという。
その後、彼を暗殺したサムジャン、ネジュンらをヌルハチ自ら軍を率いて攻め、仇を討った。
ロンドゥンについてはその後の詳細がない。
チャンシュ兄弟の子孫。
結局のところ、真っ先に帰参した人々…ノミナ、ガハシャンハスフらは間もなくして命を落としてしまった。
旗揚げ当初の混乱、謀略の中に巻き込まれてしまったといえるかもしれない。
チャンシュ兄弟はその後もヌルハチに仕え、四旗を作った際はニルエジエンに就任。
その後は八旗に編入され、ジョウ(金+襄)白旗に属したという。
チャンシュ・ヤンシュ兄弟は二人ともヌルハチより先に亡くなってしまった。
ヤンシュが亡くなった際は、その喪にヌルハチ自ら臨んだという。
兄弟の子孫たちは、武人として多く功績を残している。
簡単ではあるが追記しておきたい。
チャンシュの子チャハラは各旗に置かれた調整大臣に就任。ホンタイジの下、武人として明軍と戦い、戦歴を残した。
孫はドルゴンに従い李自成を撃破、その後はモンゴル遠征に転戦した。さらに曾孫は張獻忠、鄭成功討伐に活躍している。
ヤンシュはヌルハチの一族を妻とした事もあり、その子ダルハンは甥に当たる。そのため優遇された。
朝鮮討伐、明との戦いで功績を残す。しかし、ジルガランと遠征中に対立し、それがきっかけで全ての職を失った。
しかし、その子は途中解任される事もあったが、鄭成功討伐に功あったとして太子太保の職を贈られている。
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