今月の法話     4月

ある月忌のご縁に

三帰依文より

独唱
 人身受け難し、今巳に受く。佛法聞き難し、今巳に聞く。此の身今生向かって度せずんば、更に何れの生に向ってか此の身を度せん。大衆諸共に、至心に三宝に帰依し奉るべし。

同唱
 自ら佛に帰依し奉る。當に願わくは衆生と共に、大道を體解して無上意を発さん。 
 自ら法に帰依し奉る。當に願わくは衆生と共に、深く經蔵に入りて智惠海の如くならん。 
 自ら僧に帰依し奉る。當に願わくは衆生と共に、大衆を統理して一切無碍ならん。

独唱
 無上甚深微妙の法は百千萬劫にも相遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の眞実義を解したてまつらん。

同唱
 願わくは此の功徳を以って、平等に一切に施し、同じく菩提心を発し、安楽国に往生せん。 と


 良くお参り頂きました。 雨森の光明寺です。

 さて、何気なく生活しています我々も、ひとたび変化のある生活に遭うと、初めて気づくことがあります。 人はひとたび人としての生を受けても必ず亡くなっていくことです。このことは今このようにして故人の為に追善供養を営んでおりますこの私たちも必ず通って行くことです。 本日は月忌のご縁にお相伴いただき、皆様とともに仏法(宗教)について、共に考えて見たいと存じます。
 亡くなられましたおじいさんは享年83歳、生前は大工の仕事をされていた職人気質の方とお聞きし、また、お寺にはご縁が深く、御堂内陣の佛華も手なづけて居られたようです。
 先ほど「三帰依文」を朗読致しましたが、私にとっては非常に心に残る文章で御座いまして、京都に居りました頃、よく米原樋口の明照寺前々住職「藤谷秀道師」宅(米原明照寺道場)で6月ごろ紫陽会が開催され、九州の同行と共に法話をされていた頃、法話の冒頭必ず朗読されていたものでして、当時は訳もわからずいっしょに唱和させて頂いたものです。 師は不幸にも車社会の犠牲となり命を絶たれましたが、それまでは大蔵経を読破され真受の位まで戴かれた本山佛光寺の最高の布教使でした。
 普段、生活を中心に暮らしていますと、およそ「死」と言うものにはお目にかかることはありません。 病にかかる、年をとる、これらのことを経て、死を迎えます。
 むかしインドではバラモン教カースト制度に悩む人たちに「生・老・病・死」の無常を悟られ、出家され、修行をされ、そして悟りを開かれた釈迦族の首長「おシャカさま」が居られました。
往生成仏
 阿弥陀経に爾時佛告








 



このホームページに掲載されている全ての画像、文章等のデータについて、無断転載をお断りします。
Copyright 2001-2002,Hououzan Koumyouji. All rights reserved.