今月の法話

今月の法話　　　　　6月私は、死ぬまで煩悩具足の凡夫です　清胤　徹昭　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　きよたね　てつしょう Until I die, I'll just be an ordinary person full of desire.
ある時、ご門徒若い奥さんが私に相談に訪ねてこられました。　とてもまじめで、かつ聡明な女性ですが、子育てに自信がもてないでノイローゼ気味になっていました。　赤ちゃんがかわいくて仕方がないのに、夫が仕事で出かけ、お子さんと二人だけになると、不安に襲われ、どう接したらいいかわからなくなってしまったそうです。　そして、「私は子供を愛していないのではないだろうか」とか、「この子を刺して殺してしまうのではないか」という妄想に悩まされるようになったそうです。　戦後の教育を受けた人は、知識をつめこんだり、ある程度の選択肢があってその中から選んだりすることはできても、どういう動きをするかわからない生身の人間への対応というのが、まったく不得手なのです。　ですから、彼女の苦しみは、現代に生きる人間が共通してもっている苦しみではないかと思います。　苦悩の日々の中、神経科にも通いながら、少しずつ教えにふれてきた彼女にひとすじの光明が見えてきました。　だんだん現実を受け入れられるようになっていったのです。　なぜかというと、「いいお母さんでなくてはならない」という彼女の思いが翻（ひるがえ）ったからです。　「いいお母さんでなくてはならない」ということが彼女を縛り、そうではない自分に落ち込んでいったのだということがわかってきたのです。　誰だって「いいお母さん」であるに越したことはありません。　しかし、「いいお母さん」というのは、自分の思いでしかないわけです。　勝手に作り上げた思いだけが先行しているのです。「いいお母さんに」という、そんな立場はなかったのだと気づきはじめた時、現実を受け入れて生きていける世界が開けてきたのです。　これは、あきらめでも開き直りでもないのです。　本願念仏の教えに照らすと、人間は縁に遇う存在であると教えられます。　「いいお母さんに」と思っても、縁によっては必ずしもそのとおりにはならないし、逆に「悪いお母さんに」と思ってもなれるものではありません。　それがそもそもの人間存在の在り方であり、それを「凡夫（ぼんぶ）」と教えられるのです。　ですから、「凡夫」というのは、実に健康的な在り方なのです。　そのことを無視して、自分の思いを達成しようというのを親鸞聖人（しんらんしょうにん）は「自力（じりき）の心」とおさえられました。　ですから自力の心は、本来成就（じょうじゅ）しないものなのです。　もっと言えば、人間存在の在り方を無視している罪があるといってもいいでしょう。　「不安のつきない煩悩（ぼんのう）多き身ですが、自分ができることを精一杯やっていきたいです。もう”いいお母さん”にならなくていいんですね」。　苦しみを縁として自分を深めていった中での彼女の言葉には、凡夫としての自覚が表れていました。　まさしく新しい生き方のはじまりです。「凡夫」とは自己卑下（ひげ）した言葉ではなく、本当の自分に出遇（であ）い、凡夫として立ち上がっていく大地を獲得（かくとく）した喜びの言葉なのでしょう。　現代は自力の極致（きょくち）の時代です。　本当の人間の在り方を忘れてしまっている時代です。　凡夫に立ち返るということは、本当の自分に出遇うということです。　本願念仏の教えに照らされて、「私は死ぬまで　煩悩具足（ぼんのうぐそく）の　凡夫です」と、堂々と宣言できる世界に立ち返らせていただき続けることが、一人ひとりに願われているのではないでしょうか。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（本多　雅人）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　1960年生まれ、東京都在住　東京教区連光寺　　　　　　　　　　東本願寺発行　「法語カレンダー2002随想集　今日のことば」　より収録