こんにちは
法華経についてのコメント読ませて頂きました
親鸞聖人の在世鎌倉時代には、法華経との争いはありません
日蓮聖人は念仏無間・禅天魔・・・・と誹謗しました
法華経の教えは賢者の教えであり末法の時代・・正法・像法・末法の三時思想から今の世の中は
教を聞き行じて悟りを開くことは、凡夫には無理である故に念仏一つで往生するという考えでありました
賢者は法華経をよりどころにすればよいことで、愚者は浄土3部経による念仏で救われていくのであるという立場でありました
比叡山の天台宗では朝に法華経夕べには念仏の勤行が今日でも続いてるところです
歎異抄の第2章「おのおの12カ国の境を超えて身命を顧みずしてたずるきたらしめたもうおんこころざし
ひとえに往生極楽の道をといきかんがためなり しかれば南都北嶺にもゆゆしき学生おおくおわせられ候・・・」と
関東からの弟子をはねつけられました。まさに法然より教えて頂いた念仏より他に無いという力強さを観ずるところです
また、当時も今日も相でしょうが天神ちぎをあげめるひとがおられてそれは、形のうえであり如来の信心を頂いた人は
心動かないと申されております
後の蓮如上人もしかり他のものと、争論あることいかんとご文章にもお書きになってます
日蓮聖人の気性からたのものは全て否定され法華経のみと頂かれたことは、賢者なればこそでしょう
後覚如上人いご学問の争論がありました。それはすでに決着済みであることは承知の事実であります
釈尊の説かれた説法は「対機説法」「応病予薬」とも言われるように人の根機によって法を説かれたことであり
どれが良くてこれが悪いと言うことは、釈尊を否定することに他なりません
杉浦
----- 元のメッセージ -----
差出人 : 長屋@爺さん
日時 : 14年4月21日 13:40
宛先 : 路端の花と地蔵さんと。
件名 : 法華経と親鸞聖人の信仰
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