七 福 神


七福神(The Seven Gods of Good Fortune)とは
七福神は幸福を招くという七人の神さまです。
七福とするのは、『仁王般若波羅蜜経』卷下受持品の中の「七難即滅、七福即生」の語句がその基になっているようです。また、その成立はいつ頃かはっきりしていません。おおよそ室町時代以降には、現在の形にでき上がったようです。
ここでは、一に恵比須、二に大黒天、三に毘沙門天、四に弁才天、五に寿老人、六に布袋和尚、七に吉祥天を挙げました。
一般には、一に恵比須、二に大黒天、三に毘沙門天、四に弁才天、五に福禄寿、六に寿老人、七に布袋和尚の七人を挙げることが多いようです。

恵比須

 恵比須さまは、七福神の中で唯一の日本の神さまです。漁をもたらす神さま、家の福を増す神さま、台所を守る神さま。そして、商売繁盛、交通安全に霊験あらたかな神さまです。(恵比須、恵比寿、恵美須、ゑびす、えびす、夷、戎など異名が多い)
 恵比須さまは、蛭子神(ひるこのかみ)とも事代主命(ことしろぬしのみこと)とも言われています。また、塩土翁説、彦火々出見尊説、椎根津彦説、くじら崇拝説など、恵比須さまには、色々な信仰や物語があります。
 一般に、風折り烏帽子に狩衣、指貫を着、釣竿で鯛を釣り上げている姿が多いようです。
 恵比須さまと言えば、関西では、正月10日の[十日えびす]が有名ですね。
京都では「京のえべっさん」または「旅えびす」と呼ばれる、ゑびす神社が有名。

大黒天

 大黒天は、梵語の摩訶迦羅(マハー・カーラ)の訳で、マハーが大で、カーラが黒になるであるからです。ヒンズー教ではシヴァ神の一化身として、シヴァが世界を灰に帰する時、この姿になるとされています。また密教の曼荼羅に描かれているマハーカーラはとっても恐ろしい姿をしていますね。
 また、大黒天は、福徳や財産を増やし、財宝を与える神とされています。そのお像は、狩衣のような服を着て、丸く低いくくり頭巾をかぶり、右手に打出の小槌を持ち、左肩に大きな袋を背負い、米俵の上にいるのが、もっとも一般的です。
 滋賀では、比叡山の三面大黒天、京都では、松ケ崎大黒天が有名です。
[ひえいの山の三面の大黒は、いづれの大こくよりもれいげんあらたかにて]などと狂言にも登場します。ここで言う[ひえいの山の三面の大黒]は、比叡山の三面大黒を指しています。この大黒さまは[出世開運]の福神さまです。
 また、大黒天は、中国では、食厨の神として寺院に祭られた神です。日本では、これを受けて、寺院の庫裏に神王の形で袋を持つお像を安置する慣習が生れました。そこから、寺院の婦人(僧侶の妻)を大黒さまというようになりました。
 また、日本において大国主命は大黒天であるとする説があります。そこで、甲子の日が祭日となり、二股の大根を供える習慣があります。

毘沙門天

 毘沙門天は、四天王・十二天の一人です。七福神の中では、ただ一人だけ鎧を着て厳しい顔をしています。また、お釋迦さまの説法を数多く聞いたものを漢訳した[多聞天]と呼ぶこともあります。
 日本では、四天王の一人として呼ぶ時は[多聞天]、単独で信仰される場合は[毘沙門天]と呼ばれることが多いようです。
 毘沙門天は、世界の中心であり帝釈天の住む須彌山の中腹に宮殿を構えて、北方を守護し、多くの夜叉・羅刹を統率して、佛法を守護し、福徳を授ける神さまです。
 『眞如觀』には「福を求めば、毘沙門天、大福をあたへてん」とあります。
 毘沙門天で有名な寺院は、京都山科に天台宗門跡寺院の毘沙門堂門跡があり、また天台佛教の比叡山北方の守護とされた鞍馬寺があります。また東寺などがあります。
 また、傳教大師最澄さまが感得したとされる比叡山の三面大黒天は、大黒天が主となりますが、毘沙門天と弁才天が合体した福徳神です。また天台密教(台密)においては、[双身毘沙門天]という珍しい毘沙門天が登場したりします。

弁才天

 弁才天は、他に[辯才天][辯財天][辨財天]などと表記されます。また、[妙音天][美音天][大弁才功徳天]などと称されます。
 元々はインドの神さまで、梵語サーラスバッティの訳語とされています。
 佛教においては、舌・財・福・智慧・延寿などを与え、災難を除き、戦勝を得させる女神とされています。また、吉祥天と混同されたり、穀物の神さまである宇賀神とも混同されています。
 『金光明最勝王経』第七大辯才天女品には「この天女は現世の中において寿命を増益し、資身の具をして悉く円満せしむ」と言われます。
 ご尊像は、八臂のお姿のものと二臂のものがあり、八臂の場合は、弓・箭・刀など持っており、二臂の場合は、琵琶を持っているのが多いようです。  京都の六波羅蜜寺には、スリランカより贈られたもので、手にシタールを持っている弁財天がいらっしゃいます。

寿老人

 寿老人は、中国の宋の時代、元祐年中の人で、寿星の化身と言われます。また、商売繁盛、健康、除災、長寿の神さまで福祿寿と同体とされます。このことは、日本人による縁起のよい誤解があったとされます。また、老子のことであるとも言われます。
 そのお姿は、白髪が多く垂れ、身の丈三尺で、長頭の老人で玄鹿を伴っているのが多いようです。この玄鹿は千五百歳を経た鹿で、その肉を食べると二千歳の長寿を得るといわれて、後世付け加えられたようです。
 本来、福祿寿とは、福人・祿人・寿人を合せて描いた名前であります。日本での福祿寿という仙人と思い込んでいた長頭の仙人は、実は寿老人であったのです。
 寿老人は、京都の革堂行願寺が有名ですし、福祿寿としては、延暦寺の塔頭赤山禅院が有名です。

布袋和尚

 布袋和尚は、中国の唐代末五代の頃に実在したお坊さんです。名前は契此(かいし)といい、定応大師、長汀子などとも称されます。
 その特徴は、なんといっても怪しく奇異なお姿にあります。額が広く大きく、腹の肥えた身体といった容貌をしていました。そして、『景徳傳燈録』第二十七によると、常に杖を持ち、また日用品の全てを入れた大きな袋をになって町中を歩き、喜捨を求めたり、占いをしていたようです。この特徴から布袋和尚とあだ名され、太鼓腹と大きな袋と杖が目印となっています。
 また、布袋和尚は「彌勒眞彌勒、分身千百億、時時示時人、時人自不識」という偈文を残しました。これは、自ら彌勒佛の生まれ変わりであると名乗ったことであり、ここから布袋和尚が彌勒佛の化身であるとする伝説が生れました。
 布袋和尚といえば、京都宇治の萬福寺が有名です。

吉祥天

 吉祥天は、もとは婆羅門教の女神といわれ、後に佛教に入った天女です。
 その特徴は、顔かたちが美しく、衆生に福徳を与えるとされます。
 『金光明最勝王経』第八「大吉祥天女増長財物品」によれば、この天女は人の財物を増長し、所須のもの皆満足を得させると言われます。日本においては、金光明最勝王経会や毎年正月に吉祥天を請して、災禍を払い福徳を招くことを祈願する法会である、吉祥悔過会の本尊としてまつられることが多いようです。
 この吉祥天は、父は徳叉迦で、母は鬼子母神で、毘沙門天の奥様(あるいは妹)と言われます。
 お姿は、多くの場合は、宝冠をかぶり、天衣をつけて、右手を施無畏印に、左手に如意宝珠を載せています。
 京都の淨瑠璃寺や奈良の薬師寺、東大寺法華堂などが有名です。





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