祭に火を焚く行事は、地方的にも季節的にも全国的に多く、小正月の左義長・春のお松明・盆の柱松等があります。お祭りに火を焚くのは、神さまをお招きするお祭りで、神さまは、この火を目じるしに降臨なされるものと、古くから考えられていたのです。とくに、酒井神社の大火を焚く御火焚は、冬至に行われるのですから、さらに、日の恵みの感謝とさらなる復活を期待して、祈り待つという意味が強いのです。 十一月二十二日、夕刻三時ごろ神社に集った子供たちは、手に手に御幣をささげ、その中の二人は、面で顔をおおい、 まいどこまいどこ わら三把出さんもんは ツラに毛が一杯ハヨハヨヨー と唱えながら、梵音堂の旧社地へと向います。そこで楓の枝をとり、再び町中を唱えまわり神社にそれを持ち帰って神前にお供えするのです。 翌日早朝、社の境内で藁を焚き、この行事は終ります。この神事を子供たちにまかせているのも、左義長が主として少年の管理によって行われることと、軌を一つにしているのでしょう。もっともこのことは、子供は神に近づきやすいという古代からの考え方とも無関係ではありません。なお、当社ではこの御火焚神事を、子供たちが道中で唱える言葉にちなんで、「まいどこ」とよんでいます。ただ、この[まいどこ」が何を意味するか神社の縁起書・年中御祭礼記類をみても、現在ではわからなくなっています。 酒井神社は、昔、この地に酒の泉が湧出するということで、これを神聖視し、酒の精を祀る小祠に始まります。産土神としての旧社地は、今の場所から西北のさほど遠くなく、梵音堂町に残っています。現在も宗教的生命を維持しつづけており、「まいどこ」神事で子供たちが旧社地に出かけて行くのは、この神社のご祭神を勧請することを意味します。これは一種の神迎えであります。そのためにも、御幣は必要なのであり、楓の枝には神が降臨されることを意味します。 このまいどこの面は、一方は口を開き他方は口を閉じている。いわゆる阿吽の一対をなします。この一対の性格は、神社の阿吽の狛犬・寺院山門の阿吽の仁王にも通じ、狛犬と仁王は、ご神体なりご本尊仏を、邪気から守護するという性格をもちます。 本社から旧社地への往路はその道筋の邪気を祓うことであり、復路は目に見えぬ神さまを守護し奉っていることを意味します。 また、翌日夜明に焚く大火も、降臨した神に、来る年の天下泰平、五穀豊穣、延命息災を祈り、そして無事に神さまが昇天られることを、願うのであります。 |
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この面は眼球が大きく、口も大きく開いて、顎をグッと突き出たせ、そのうえ、下顎の周りには彫りがある。仮面分類上の名称でいうなら、「蛇」の面であります。他の神社祭礼に使われる邪気払いの鬼神阿面は、普通は飛出という面を使用するのを原則であるそうです。飛出とは名称の示すごとく、眼球を飛び出させて口を大きく開けた面で、能では天上の神役に使います。 竜神信仰の厚いこの近江地方には、室町期作の蛇面の佳品がかなり多く現存しています。この面も、そのーつであります。 現在は彩色はすっかり剥落し、鼻頭も少し損じ、下の歯列の牙も 欠いていますが、彫刻はかなりすぐれており、眼の縁に残る質の粗い白土や、ロ端にみえる白土の上の明るい丹の性質から考えても、恐らく室町末期は下らないといわれています。面裏は、木地のままであるが、鼻裏のあたりには、縦の刻線五本がみられ、これによって、この面が越前地方で制作された面であることがわかります。この面には、作者が誰であるかを示す署名こそありませんが、この刻線はある特定の作者群であることを知らせ、これによって越前の面打の作であることが知られます。 |
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「べしみ」。この名称のいわれは、口をムッと強く結んで、いわゆるへし口をしているからである。能では地獄の鬼神役に使う。眼も鋭く、眉間をしかめてなかなか力強い。右眼の金具は立派に残っているが、左眼のそれは残念ながらなく、さらにその下辺も欠き、またその左眼を中心にして面は縦に割れているのがおしまれる。彩色もかなり剥落しているが、蛇の面に比べれば、白土下地に明るい朱を混ぜた褐色彩色が、まだまだ残っています。面裏は、黒漆を薄手に塗り、額の中央には作者の銘と思われる、刻印の花押がみられ、花押の様式からすると、この面も、十分室町期の作品であると考えてよいといわれています。 |
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太くて長い眉が、目尻をつりよげた上瞼にそって頭頂に 向い縦状に盛り上がっている。一方、口端を動物のそれのように 後方に引き深く切りこみ、上下の歯列も頑丈に、そのうえそれぞれ一対の牙をもつ。さらに、鼻柱も太く、小鼻は左右に怒り、表情はなかなか力強く、鬼神面として、いかにもふさわしい。 表面 全体を、朱塗で彩色。目・眉・歯列は、黒漆塗りである。頭頂の左右に、角を差しこんであったと思われる穴がみられるので、もとは立派な角が差しこまれていたのであろうと判断されます。なお、頭頂には、がって粗い植毛があったらしく、その残欠を示す多くの穴がみられます。相貌は、角を除けば舞楽面の「抜頭(ばとう)」に近い。裏面は、黒の拭き漆。この面の制作時代も、少くとも室町末期。 |
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両社神社でも「まいどこ」神事が行われている。(神社総代・宮世話で奉仕)その所蔵されている天狗面。天正十六年戊子浅野幸長寄進」と伝えられています。 縦と横はそれぞれ二十二・四糎と十八・九糎で、表面は、丹を薄手にさっと塗った程度。目は白土下地に黒。眉も黒。丸い眼球の上に大きく立派な眉を彫り出し、口端を左右に引き、口をムッと結んでいる。二本の小さい角と額の細い皺状にやや弱さを感じさせるが、頬の肉取りは簡素ながら、力強く面白い。鼻はいわゆる天狗鼻で太くて長い棒状だが、残念ながら根元から折れている。裏面は、黒塗り。室町末期から桃山時代にかけての作といわれています。 |