お祭りに行こう!


 ランスリッターの正騎士叙勲と同時に、フィンは王女アルテナの守役に任命された。そして、三歳の誕生日を迎えたばかりのアルテナにとって、守役とは一日じゅう側にいて、一緒に遊んでくれる人のことであった。
 城にいる間、フィンはほぼ付きっきりでアルテナの相手をする。王女の相手とは、中庭で鬼ごっこをしたり、子ども部屋で積み木を並べることだ。王女さまは年長の遊び相手が気に入っているらしく、毎日のように誘いがかかった。
「フィン、あそぼう!」
「かしこまりました。今日は何をして遊びますか?」
 アルテナの言葉に、フィンは騎士として応じる。その真面目な態度が、アルテナの信頼を得ているのかもしれない。
「おまつり!」
「おまつりごっこですか?」
 フィンは首を傾げた。聞き馴れない遊びである。考えこむフィンの前で、アルテナは勢いよく首を振った。
「ちがう。ほんとのおまつり。アルテナ、おまつりにいきたいの」
 その一言で、フィンは城下町で春の訪れを祝う祭りが行われていることを思い出した。一足先に見物に出掛けた友人によると、リーフ王子の誕生が重なったために、今年の祭りは例年より盛り上がっているそうだ。アルテナに言われるまでフィンが忘れていたのは、最近、アルテナの相手の他にも仕事が忙しく、城に泊まり込む生活が三日ほど続いていたからである。
「おまつり、はやくいこう」
 行こう行こうと騒ぎながら、アルテナはフィンの袖を引っ張る。町に出て人々の暮らしに触れることは、アルテナにとって悪いことではない。フィンもまた、祭りに興味がないわけではなかった。
「わかりました。さっそく準備いたしましょう」
 フィンは壁に掛けられた鈴で侍女を呼ぶと、アルテナと町に出かけることを告げた。レンスターは身分ある人の外出に寛容な国である。フィンの言葉は聞き入れられ、侍女はアルテナの外套を用意してくれた。
「ありがとう。いってくるね!」
 外套を着せてくれた侍女に礼を言い、アルテナは勢いよく子ども部屋を飛び出していった。フィンが遅れて廊下に出ると、部屋を出たときと同じ勢いでアルテナが駆け戻ってきた。
「アルテナ様、廊下を走っては危ないですよ」
 ぶつかるように膝にしがみついてきたアルテナの目線の先に、彼女の父親の姿があった。フィンが騎士の礼をとるよりも早く、はしゃぐアルテナの声が廊下に響く。
「フィンといっしょに、おまつりにいくの!」
「そうか、気をつけて行けよ」
 キュアンは目を細めて微笑んでいる。父が腕に抱えた羊皮紙の束を、アルテナは見逃さなかった。
「ちちうえ、おしごと?」
「ああ。本当は、お前と一緒に町に行きたいが、お仕事がいっぱいあるから、だめなんだ。今も、書斎に忘れ物を取りに戻ったところでな。アルテナは父上の分まで、お祭りを楽しんでおいで」
 同じ建物の中にあるが、キュアンの書斎と子ども部屋は離れており、方角も逆である。アルテナの様子を見るために、キュアンはわざと遠回りをしたのだ。ひとたび執務室に入れば、夜遅くまで書類と戦わねばならない主君である。寄り道をして愛娘の顔を見る程度のことは許されてもよいだろう。不敬ながらもフィンはそう思った。
「おみやげ、かってくるね」
「アルテナはやさしい子だな」
 父に髪を撫でられて、アルテナがくすぐったそうに笑う。そこへ新たな足音が近づいてきて、フィンは振り返った。
「あら、三人とも、廊下でどうしたの?」
 夜着に長いガウンをまとったエスリンが、赤子を抱いて微笑んでいる。襟元からのぞく白い肌から、フィンは慌てて、しかしさりげなく目をそらした。
「エスリン、もう起きてもいいのか?」
 出産を終えて間もないエスリンの体を、キュアンが気遣うように支える。夫婦を包む穏やかな空気に、フィンは目を細めた。
「キュアンたら、おおげさね。寝室の掃除をしてもらっているあいだ、アルテナの様子を見に来ただけなのに」
 エスリンの眼差しが、アルテナの橙色の外套をとらえた。紡ぎだされた優しい声が、フィンに問いかける。
「今から、おでかけ?」
「ええ。町に祭りを見に」
「おみやげを買ってきてくれるそうだ。欲しいものがあれば、今のうちに頼んでおくといい」
 キュアンの言葉を受けて、エスリンの瞳に楽しげな光が浮かぶ。桃色の唇からこぼれた笑みが、リーフの頬を撫でた。
「リーフ、お姉ちゃんが、おみやげ買ってきてくれるんですって。何をお願いしようかしら?」
 問いかけとともに、三色の瞳がアルテナに向けられた。大地の瞳と春の瞳は、娘への深い愛情と、ひそかな期待に輝いている。空の瞳だけが、不安と緊張をはらんで強ばっていた。
 蝋燭の炎が消えて闇が訪れたような急な変化は、だが予想されたものだった。両親に背を向け、勢いよく廊下を駆け去る。それがアルテナの答えだった。
「申し訳ございません」
 主君夫妻とその娘を交互に見比べて、フィンは頭を下げた。親しい人間がリーフに話しかけるところを見ると、アルテナは途端に機嫌が悪くなる。いわゆる下の子へのやきもちは、フィンの悩みの種だった。仲の悪い姉弟を見て、キュアンとエスリンに胸を痛めてもらいたくはない。
「お前のせいではない。気にするな、フィン」
「そうよ。気にしないで。あの子、やきもちを焼いているだけだから。しかたないお姉ちゃんね、リーフ」
 どこか困ったような顔で、エスリンは笑う。アルテナの態度を受け入れ、フィンさえも気遣う二人の心に、フィンは胸が打たれる思いだった。さらに深く頭を下げると、キュアンの手が伸びてきて、青みがかった髪をかき回した。
「街は人が多いだろう。迷子にならないように、気をつけてな」
「アルテナのことをよろしくね。夕食までには戻るのよ」
 主とその妻の見送りを受けて、フィンは王女を追った。アルテナは、門に向かう渡り廊下の端で、歩き疲れて座りこんでいた。

「アルテナ様、さっきの態度は良くありませんね。キュアン様とエスリン様が困っておられましたよ。リーフ様と仲良くしてくださいね」
 アルテナは答えない。街に夢中で聞こえていないのか、聞こえていないふりをしているのだろうか。フィンはひそかにため息をついた。
「アルテナ様は、何も悪いことをしていないのに、人にきらわれるのは、嫌でしょう。リーフ様も同じことです。分かりますね?」
 フィンとつないだ手を固く握って、アルテナは小さな唇を尖らせた。
「でも、リーフはずるいよ。ははうえをとったもの」
 なるほど。その気持ちが、やきもちに結びつくのか。頷くフィンの隣で、アルテナは言葉を続ける。
「ははうえ、かえってきたときに、これからはいっぱいあそぼうねって、いってくれたのに。リーフはヨツギノオウジだから、リーフのほうがすきなのかな」
「そんなことはありません。決して」
 強く言って、フィンはアルテナを抱きあげる。気の利いた言葉が思い浮かばないままに、栗色の頭に手を置いた。
 アルテナは、乳離れもすまないうちに、両親と離れて暮らすことになった。城の広間に飾られた肖像画と数カ月ごとに戦地から届く手紙でしか触れることのできなかった父母と二年半ぶりに会えた喜びは、余人にははかり知れない。母を独占しているリーフを快く思わないのも、無理のないことだろう。
 そう考えると、フィンにはアルテナを強く諌めることができない。幼くして孤児となったフィンは、両親を慕う心を痛いほどに知り尽くしていた。
「アルテナ様は、お父上お母上と一緒にいたいのですね」
 アルテナの両親も、王女と同じ望みを抱いていることを、フィンは知っている。それをアルテナに教えないのは、両親から直に伝えるべきものと考えているからだ。
「キュアン様にお願いして、私とエスリン様が交替でリーフ様の世話をすることにしましょうか。私にだって、リーフ様のおしめを変えたり、寝かしつけることはできますからね。そうすれば、私がリーフ様といるあいだ、アルテナ様はエスリン様と一緒にいられますよ。いかがでしょう?」
 アルテナの髪をできるだけ優しく撫でながら、フィンは口を開いた。言葉を選んではいるが、我ながら差し出がましい申し出だと思う。親の手で子を育てたいと願って、リーフに乳母をつけなかったエスリンは嫌がるかもしれないが、アルテナが賛成すれば、フィンは夜にでもキュアンに掛け合うつもりだった。
「だめっ!」
 耳元で放たれた大声に、フィンは目を丸くした。道路を行き交う人々の視線を感じる。正面に、大地の瞳の潤んだ輝きがあった。
「フィンは、アルテナといっしょにいるの!」
 その提案を、フィンがリーフに奪われるものと受け止めたのだろうか。アルテナは激しく首を振った。騎士の首にしがみついた両手が、熱を放っていた。
「申しわけありません。ほかの方法を考えます」
 相手が三歳の幼女であっても、自身に非があれば謝罪する。フィンは複数の訝しげな視線を受けながら、腕に抱いたアルテナに向かって大きく頭を下げた。
「うん、わかった。フィン、あれ、なに?」
 フィンの詫びを頷いて受け入れると、アルテナは前方を指さした。ざわついた気配とともに、人の波が押し寄せて来ている。人の輪の中心に、派手な衣装に身を包んだ大道芸人がいた。
「大道芸ですよ。今からはじまるようですね」
「だいどうげい」
 教えられた言葉を繰り返しながら、アルテナは体を伸ばした。心得たフィンがアルテナを肩に担ぎ上げる。
 顔を赤と緑に塗った大男が、銅鑼を鳴らした。
 動き出した芸人たちを、アルテナは飽きる事なく瞳で追い続けた。火の輪くぐりや軽業、腹話術や犬の球技などの演目は、生まれて初めて大道芸を見たアルテナばかりではなく、芸事に目の肥えたレンスター人をも楽しませた。
 そして、獣使いの男が投げた短剣が、女軽業師の頭に置かれた林檎に真っすぐに突き刺さると、観衆の拍手が空気を揺らした。
「だいどうげいって、すごいね!」
 フィンの頭の上で、夢中で手を叩いていたアルテナが声をあげた。騎士をのぞき込む顔が、紅玉の色に染まっている。
「お代はここに入れておくれ!」
 道化に扮した芸人が、毛織りの帽子を抱えて見物客に近づくのが見えた。一座の者たちが、路上にばらまかれた硬貨を手分けして拾い集めている。フィンは左手でアルテナの膝を押さえながら、右手を懐に伸ばした。
「これをどうぞ。あとで渡してあげてください」
 フィンの手から二枚の銅貨を受け取ったアルテナが、首を傾げた。
「これ、なに?」
 幼いアルテナは、金銭というものを知らないのだ。フィンは説明せねばならない。
「お金ですよ。買い物をするときに、これを使うのです」
「ふーん」
 アルテナは銅貨を握りしめて物珍しげに眺めている。道化の男が近づいてくるのを見て、フィンはアルテナを腕に抱きなおした。
「だいどうげい、おもしろかった。またやってね!」
 感想を口にすると、アルテナはやや名残惜しげに手を開いた。帽子の奥に落ちた硬貨が音を立てる。道化の男は厚い化粧を崩して笑い、見料を受け取るべく群衆に潜りこんだ。
「次はどこに行きましょうか?」
 フィンが尋ねると、アルテナは町を見回し、やがて屋台の並ぶ大通りを指さした。初春の太陽は二人の真上から弱い光を投げかけてくる。踊り子の見物に、小舟での水路下り、大地母神エスニャへの特別礼拝など、祭りの町はアルテナの興味を引くもので溢れている。王女が満足するまで、フィンは時間をかけて付き合うつもりだった。


後編へ続きます
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