待ち人1「海を射抜く夕陽」


 彼女は、待っていた。彼が自分を利用しただけだと分かっていながら、その男を待っていた。
最愛の男を、待っていた。
 彼女は、待っていた。罪を犯した自分を裁き、聖なる父の名誉を取り戻す者を待っていた。
現れたのは、彼女の妹であった。
「私を殺しなさい。そして、聖なる父の名誉を取り戻しなさい、ユーシスッ!」
 振り下ろされた銀色の刃が肩に食い込んで、彼女の翼が、肌が、衣が、一瞬のうちに真紅に染まる。
 赤は血と炎の色だ。そして、その色が象徴する戦乱は、男が引き起こし、彼女が助力したものだった。
「姉さん!」
 死に至る直前、彼女の心を捕らえていたものは、彼女に斬撃を浴びせた炎の色の髪の少女でも、顔を 涙で濡らしながら走り寄った妹でもなく、ついに彼女のもとに戻ることのなかった最愛の男性だった。
「ユーシス、ラシュディを止めて……」
 待ち続けた男のことを妹に託して、堕天使ミザールは絶命した。

 波間に突き出した岩に腰を掛けて、リムメラーナは空と海を眺めている。永久凍土の冷えきった風が 火照った頭と頬には心地がよかった。
「どうか、姉のことで、思い悩まないで下さい。姉を救うことができなかったのは私も同じ。いえ、私の責任なのですから」
 ミザールの亡骸を抱きながら、ユーシスはそう言って深く頭を下げた。リムメラーナは過ぎ去った物事を深く考え悩むような性格ではないが、ミザールのことをまったく気に掛けずにいられるような性格でもなかった。
 永久凍土での戦後処理も、今後の方針を定める軍議も一区切りついた。つかの間与えられた時間にリムメラーナは自然とミザールのことを考えていた。
 決して戻ることのない男を待ち続けることが、果たして幸福であったのか。それに答えられるのはそれを選択したミザール本人しかいない。そして、それが幸福につながると思ったからこそ、彼女は待つことを選んだのだろう。
 幸福の形は様々だ。勝利と成功とともに手に入ることもあれば、苦痛を断ち切ることで訪れることもある。
 リムメラーナは、待つという行為を好まない。帝国軍との戦いでも、迅速な用兵と飛行部隊を投入した奇襲戦法こそが彼女の好むところだった。作戦上、待ち伏せを行うこともごく稀にあったが、そのような場合には、リムメラーナは前線に立つか別動隊の指揮に回り、本隊の指揮はウォーレンやランスロットに任せていた。
 待つということは、自分以外のもの、例えば人、物、状況が、自分にとって都合よく変化することを望み、その達成を確認した後に行動を起こすことだ。逆に言えば、自分以外のものが何らかの形で変化しない限り、行動を起こしてはならないことになる。
 それは、単なる時間の浪費ではないかと、リムメラーナは思う。人間は、自分自身でさえも、思い通りにできるとは限らないのだ。なのになぜ、自分以外のものが都合よく変化することを望むのだろう。
 それ以上、リムメラーナは考えを突き詰めることをしなかった。代わりに耳をそばだてると、波の音の間から、砂浜を踏みしめる足音が聞こえてきた。
「リムメラーナ!」
 名前を呼ばれたのとほぼ同時に、リムメラーナは振り返った。笑みを浮かべて手を振った先には、兜を脇に抱えたランスロットが立っていた。
「お疲れさま。……私がここにいるって、よく分かったわね」
 わずかに突き出た岩を身軽に飛び越えてランスロットに駆け寄り、リムメラーナはねぎらいの言葉をかけた。彼は、新たにカオスゲートが発見されたアンタリア大地に、三日前から赴いており、つい先ほどバルハラに戻ってきたのだった。
「ウォーレン殿が、教えてくださった」
 この海岸が自分のお気に入りの場所だと、いつの間にウォーレンは知ったのだろう。リムメラーナが首を傾げている間に、ランスロットは慌てたように自分のマントを外して、彼女の肩に掛けていた。リムメラーナの細い手足は、冷たい空気にさらされて、白さを増していた。
「そんな格好では、風邪をひく。これを」
 赤いマントが、柔らかく暖かな空気とともに、リムメラーナの体を包む。礼を言ってから、リムメラーナは、ランスロットが何かを言いたそうにしているのに気が付いた。
「どうかしたの?」
「それは私の台詞だ。……失礼」
 籠手をつけたままのランスロットの右手が、リムメラーナの額に置かれる。潮風のものとは違う冷たい心地よさに、リムメラーナは軽くまぶたを閉じた。
「……ウォーレン殿が、心配していらしたのだが」
 リムメラーナが目を開けた時、ランスロットの手は額から離れていた。その代わりに、ランスロットはリムメラーナが驚くほどの真剣な面持ちで、彼女の顔をのぞき込んでいた。
「ここ二三日、君はあまり体調が良くなかったそうだな」
 問われて、リムメラーナは目を見張る。そして、笑いながら首を振った。
「いやだ、そんなことないわよ。確かに、色々とあったし、戦後処理とかで忙しかったから、疲れてたかもしれないけど、大丈夫。心配ないって、ウォーレンに言っといてよ」
 内心、リムメラーナは、ウォーレンの観察力に舌を巻いていた。確かに、ここ二三日の体調は、万全ではなかったのだ。だが、戦後処理も軍議も、滞りなく済ませていたし、一緒に行動する時間が長かったアイーシャやラウニィーには、気づかれなかったのに。
「それなら良いのだが、このままここにいては、本当に風邪をひいてしまう。城に戻ったほうがいい」
「そうね、ちょっと寒くなって来たし、そうしようかな」
 リムメラーナは素直にうなずいた。彼女がこの砂浜に留まっている限り、ランスロットが城には戻らないことを、リムメラーナは知っている。旅から戻ったばかりの彼を、冷たい風にあたらせるつもりは、彼女にはなかった。
「それにしてもウォーレンもよく見てるわね。もしかして、こっそり私の観察記録とか、つけてたりして」
 リムメラーナの隣で、ランスロットが苦笑した。
「まさか、それはないだろう」
 並んで砂浜を歩きながら、リムメラーナはランスロットの顔を見上げた。彼がバルハラを発ったのは三日前の朝だから、全く彼と会っていなかったのは、一昨日と昨日の二日間だけである。しかし、リムメラーナには、何カ月もの間、彼と会っていなかったように感じられた。そして、思わず口に出していた。
「あーあ、こんなことなら、ランスロットと一緒に行けばよかった」
 リムメラーナの言葉を、戦後処理を嫌がってのものと受け取ったのか、ランスロットは呆れたように、しかし厳しさを込めて彼女をたしなめた。
「そういう訳にも、いかないだろう」
「そうじゃなくて、待つの、あんまり好きじゃないから」
 不思議そうな顔で、ランスロットはリムメラーナを見下ろしている。慌ててリムメラーナは言葉を続けた。
「だって、時間がもったいないじゃない。……別に、誰かを、何かを待っている人を、待つことを選んだひとを、非難したり軽蔑したりするんじゃないけど」
 少しずつ、リムメラーナの声が細いものになる。今の言葉は嘘ではない。しかし、彼女はまだ、待つことを嫌う最大の理由を、口にしてはいなかった。それを語った時、ランスロットがどんな反応を示すか、リムメラーナには想像がつかなかった。
 待つこと。人はそれを選んだとき、不安と孤独を同時に抱え込む。ランスロットの帰りを待っている間、リムメラーナは、彼が無事に戻ってくるかどうか不安であったし、彼でなければ埋めることのできない孤独を、心に感じた。それは耐えられないものではなかったが、快いものでは決してなかった。ウォーレンが感じ取り、ランスロットが指摘した、最近の体調の悪さは、それが原因ではなかったか。
 ミザールも、こんな思いを抱えながら、どうしようもできないままに、待っていたのだろうか。
 リムメラーナがそれを考えた時、ランスロットが口を開いた。
「君の考えを否定するつもりはないが、場合によっては、待つことが最良の選択ということもある。戦争でも、それ以外のことでも」
「……ごめんなさい、変なこと言って」
 側に立つ年長の騎士が、母国の再興と帝国の打倒を目指して、二十五年間潜伏していたことを、今更ながらリムメラーナは思い出していた。待ち続けた二十五年という年月の評価は、ランスロット本人が下すべきものであって、他人のすることではなかった。
「いや……」
 ランスロットが、リムメラーナの言葉や態度に怒りや不快を示したことは、今まで一度もない。彼が自分よりも大人であることを、彼が自分の幼さと未熟さを理解し、また許容してくれていることを、リムメラーナは知っている。彼に許容される度に、自分がまだ、幼く、未熟であることをリムメラーナは強く思い知らされる。そして、彼が自分を甘えさせてくれていることを知っている。彼に自分が甘えていることを知っている。
 いつまでも、このままの関係で良いわけがない。それは十分に分かっていた。胸に抱え込んだ気まずい空気を打ち破るべく、リムメラーナは声をあげる。
「待っていて、あなたは、どうだった?」
 その問いは、彼女の目の前の男と、彼女が斬った女に、同時に向けられていた。答えを内に秘めたまま、女は逝ってしまった。男の答えを、リムメラーナは知りたかった。他の誰でもない、彼の答えだから。彼の答えは、いつか、何らかの形で、自分の進むべき道を示してくれるだろうから。
「最初は、待つことだけしかできなかった」
 何度も考え込みながら、ゆっくりとランスロットは話し始めた。
「その間に、色々なものを失った。大切なものを幾つも失って、そうまでして待つことに意味はあるのか。 ……何度もそれを考えた」
「答えは、出たの?」
 喉からは、かすれた声しか出てこない。リムメラーナの胸を、いつか聞かせてもらったオルゴールの音色が締め付ける。失われたものたちの声は、かつて彼が愛した人の、今もなお愛しているかもしれない人の形見は、何をランスロットに語りかけているのだろう。
「失われたものたちのことを考えると、自分の選択が必ずしも正しかったとは、断言できなくなる。 あまりにも、多くの血が流れ過ぎた」
「そう……」
 うつむいたリムメラーナの肩から、ひとふさの髪が滑り落ちる。それに手を伸ばしながら、ランスロットは歩みを止めて、リムメラーナの正面に向き直っていた。
「だが、戦いは始まったのだし、ゼノビアを取り戻すこともできた。トリスタン皇子も、戻ってこられた。……そんな今があるのは、ウォーレン殿と、多くの仲間と、妻と、何より君のおかげだし、それは、二十五年間待ち続けた成果だと思っている。……待ち続けたことを、少なくとも後悔はしていない」
 ランスロットは目を細めて、眩しそうにリムメラーナを見つめていた。それは決して、夕陽のためではない。 今もなお、永久凍土の空は、見る者に息苦しさを感じさせるほどの分厚い雲に覆われている。
   風が、強くなってきた。
「ありがとう、君のおかげだ」
 その言葉がまるで聖なる呪文でもあったかのように、リムメラーナの胸の乾いた痛みは消えていた。そして、温もりが内側から胸に広がっていく。それを感じながら、リムメラーナは小声で呟いた。
「それは私の台詞よ、きっと」
 その呟きは、にわかに強くなった風に飲み込まれて、ランスロットの耳には届かなかった。聞き返すランスロットに、リムメラーナは微笑みかける。
 彼は気づいているだろうか。二人の出会いが、彼が選択した、待つという行為の結果だということを。彼は知っているだろうか。待つという行為が単なる時間の浪費ではないのだと、リムメラーナに教えたのが、彼の言葉なのだということを。
「あなたが待っていてくれて、あなたに会えて、本当に良かった」
 その言葉でさえも、風がかき消してしまった。寒さの余りマントを引き寄せた時、リムメラーナの側で、ランスロットが小さく体を震わせるのが見えた。
「マントなしじゃ、寒いでしょ?」
 言うが早いか、リムメラーナはランスロットの後ろに素早く回り込んでいた。そして、ランスロットが何かを言おうとするよりも早く、次の行動に移る。
「こうやってくっついてたら、ね」
 ランスロットの首に後ろから両手を回して、リムメラーナはランスロットの背中に抱きついていた。ランスロットの肩はリムメラーナの頭よりも高い位置にあるので、少し爪先だちになってしまう。
「ほら、暖かいでしょ? ……っと」
 砂浜に足を取られ、前のめりに倒れそうになったリムメラーナの体を、ランスロットの背中が受け止める。そのままランスロットは上半身を前方に傾けて、軽い気合の声とともに、リムメラーナの体を上へ移動させた。
「それなら、こうした方がいい」
 上体を起こしながら、ランスロットは、右腕を後ろに回してリムメラーナの足を支えている。リムメラーナの赤い髪が、彼の銀の鎧に落ちかかった。
「ねえ、ランスロット」
 彼が左腕に抱えている兜に手を伸ばしながら、リムメラーナはランスロットの名を呼んだ。
「私、やっぱり、待つことは好きじゃないわ。待たなくちゃ仕方ないときは、我慢もするけど、待たないで済むなら、やっぱりそれにこしたことはないと思う」
 無駄なことではないと分かっていても、停滞よりも流転を好み、静よりも動を選ぶ。それがリムメラーナの気性だった。そう簡単に、人間の性格は変わるものではない。
 黙ってうなずいたランスロットの横顔がのぞき込めるように、リムメラーナは自分の体をランスロットにさらに近づけた。
「だから、私は周りを変えていこうと思う。……もし、私の好きな人が、私を見てくれないとしても、その人が私を見てくれるようになるのを、待ったりはしない。私は、その人を変えるわ。私を見てくれるように。そして、そんな風に、人や物や、他の色々なものを変えていけるように、私は私を変えていくの」
 顔を動かすと、余りにも近くにリムメラーナの顔があったので、ランスロットは驚いたようだった。そして、驚きが消えた後に、リムメラーナの顔のすぐ側で、ランスロットは微笑んでみせた。 大人の微笑みだと、リムメラーナは思った。
「そうか。……君には時間がたっぷりある。だから、焦ってはいけない」
 ああ、やはり彼は自分よりも年長者で、大人なのだ。思ったそれを表には出さず、リムメラーナは極力明るい声で、言った。
「そうよ!」
 自分は、自分が望むように変わることができるだろうか。その疑問は、常に付きまとうだろう。しかし、自分が変わることをただ待ち続けて、変わらないかもしれないという不安に苛まれるよりは、ずっと良い。リムメラーナはそう思う。
 そして、良きものであれ、悪しきものであれ、ランスロットが自分の変化していくさまを見守り、正しい方向へ導いてくれるだろう。そしていつの日にか、二人の関係も、変えていけるに違いない。願わくば、それがより良きものであるように。
「楽しみにしているよ」
「え? 何か言った?」
 さらに顔を近づけて聞き返すリムメラーナに、再びランスロットは笑みを向けた。それを見ているうちに、リムメラーナは追求する気が失せてしまった。
「いや、なんでもない。そろそろ、戻ろうか」
「そうね」
 兜を抱えたリムメラーナを両腕で背負ったランスロットが、砂浜を歩きだす。
 雲の切れ目から差し込んだ夕陽が、二人の姿を照らしていた。


 オウガバトルシリーズで、一番好きなカップリングに、
「騎士ランスロットと女オピニオンリーダー」を挙げる人は多いのではないかと思います。かくいう私もその一人です。
 PSでゲームを始めたころ、リーダーのリムメラーナ(戦士系)は戦争が苦手でした。(正確に言うと、プレイヤーが)
 ですから、最初のころは、よくピンチに陥りました。
「ああっ、あっちからもこっちからも敵が来た!ああっ、戦いに負けた。街を奪われる!
助けてぇー、ランスロットさん!」
 結局、兵法書(攻略本)を手に入れるまで、こういう日々が続きました。
(最初からアヴァロン島ぐらいまでになります)
 今にして思えば、一軍の指揮官がこんな風(↑参照)なのは、かなり情けないのではないでしょうか?
ですが、我らがヒーロー、ランスロットさんは、文句の一つも言わず、リーダーの期待にこたえてくれました。
 そんな頼もしくて優しい彼に、リムメラーナ(とプレイヤー)は次第に心をひかれたのです。
 一緒にアンデット退治(アライメントとカリスマを上げるため)に出かけたり、
教会を解放(未来の予行演習?)しているうちに、二人の仲は急接近! めざすは駆け落ちエンディング!
(注:ここの段落の文章は、筆者の妄想です)

 そんなこんなで、待ち人1ができあがりました。要するに、ラブラブな二人を書きたかったのです。
続きの待ち人2は、ワールドエンディングの話です。(ネタバレしてますので、ご注意を)
 よろしければ、ここから待ち人2にジャンプできます。

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