幼馴染で、仲の良い友達。 オレが本格的にポケモンバトルにのめりこんでからは、ソニアとの関係に「ライバル」が加わった。 「ワンパチ、ほっぺすりすり!」 「まひに負けるな。ヒトカゲ、ひっかくだ!」 庭に作ってもらったバトルコートで、オレとソニアは勝っては負け、負けては勝ってを繰り返していた。町の名物とまではいかないが、通りがかった人が足を止めて応援するぐらいには、オレたちのバトルは盛り上がっていたし、ソニアとタッグを組んで、大人のトレーナーに勝ったことも一度や二度ではなかった。 「ホップ、ストップ!」 家の中から母さんの悲鳴が聞こえてきた。小さなホップはポケモンが大好きだが、まだ入っていい場所とそうでない場所の区別ができない。オレは弟の前に立ちはだかり、バトルコートへの乱入を防いだ。 「ホップ、コートに入ったら危ないぞ。バトルが見たいなら、ここで大人しくしてろ」 「だぁ!」 ホップは機嫌良く笑っているが、コートに立つヒトカゲとワンパチは、もはやバトルどころではなかった。困ったような視線が、オレとソニアの間を行き来する。 「今日はもうバトルはおしまい。ワンパチもヒトカゲもお疲れさま」 勝利が目の前にあっても、ソニアはホップがコートに近づいて来たらすぐにバトルを切り上げる。弟がケガをしないように気を配ってくれるのは嬉しいが、正直なところ、決着がつくまでバトルを続けたいオレには、少し物足りない。 「庭のコートは、すぐにバトルができるけど、周りにわざが飛んでいったら危ないし、ダイマックスができないんだよな」 スタジアムには特別な装置が使われているので、観客がダイマックスしたポケモンのわざに巻きこまれることはない。ポケモンバトルのスタジアムが、試合を見る人の安全を考えて作られているのは当たり前のことだとオレは考えていたが、ポケモンバトルがテレビで放映されるのはガラル地方だけで、外国ではポケモンリーグの公式戦であっても、テレビカメラが入ることは滅多にないのだという。 「バトルのたびにポケモンがダイマックスしたら、家どころか町が壊れちゃうわ。それに、ダイマックスバンドを持っているトレーナーでないと、ポケモンのダイマックスはできないんだよ」 お小遣いを貯めても、ショップでダイマックスバンドを買うことはできない。ねがいぼしが組み込まれたバンドを着けられるのは、ガラル地方のジムトレーナーか、ジムチャレンジの参加者だけなのだ。 「オレがダイマックスバンドを手に入れたら、ヒトカゲはどんな感じにダイマックスするんだろうな」 ヒトカゲはオレの言葉に首を傾げ、そして慌ててホップから距離を取った。尻尾の先に伸びる小さな手を、オレは静かに握る。 「ホップ。ヒトカゲの尻尾に触るとやけどするって、いつも言ってるだろう?」 ホップは声を上げながら、全身で不満を表わした。小さな弟を宥めるオレを、ソニアは微笑みながら眺めている。 「仲良し兄弟って素敵だよね。わたしは見ているだけなのに、何だか気持ちが温かくなっちゃう」 「そりゃ、オレの大事な弟だからな」 ホップを抱き上げて、ソニアに目線を合わせると、二人の笑い声が重なった。 オレはアニキだから、弟を守るのは当たり前のことだ。だが、父さんがいない我が家では、ホップを危険な目に遭わせないようにするだけでは、きっと足りないのだと思う。 ハロンタウンで暮らしていれば、食べるものや着るものに困ることはないだろうが、ためになる本や人気のゲームを手に入れるにはお金が必要だ。将来、ホップが大学に行きたいのならば、今から学費を貯めておかなければならない。子どもがお金の心配をする必要はないと大人たちは口を揃えるが、大人がいつまでも子どもを守ってくれるわけではないことを、オレとソニアは知っていた。 「オレは立派なポケモントレーナーになって、オマエのことを守ってやるからな」 ポケモントレーナーには、オレがなりたいものとやりたいことが全部詰まっているのだ。このガラル地方では、一年に一度行われるジムチャレンジやファイナルトーナメントで良い成績を残せば、子どもでも一人前として認められる。 「ホップ、アニキに言ってやりなよ。ポケモントレーナー になる前に方向音痴を治せって」 ソニアの膝の下から、ヒトカゲとワンパチが声を上げた。ハロンタウンとブラッシータウンの人たちは、オレの方向音痴を知っているから、あまり困ることはないのだが、スタジアムのある大きな町では、間違いなく迷子になるだろうし、道に迷って試合に遅れるのはさすがに困る。 「そうは言っても、人間にもポケモンにも、向き不向きってものがあるだろう。オレにはヒトカゲがいるから、どうにかなるさ」 「バトルに道案内。ヒトカゲはがんばってるよね。もちろん、ワンパチも」 ソニアに頭を撫でてもらったヒトカゲとワンパチが、機嫌良く笑う。ポケモンに触りたいのか、ホップがオレの腕の中から手を伸ばした。 「でもね。がんばり過ぎなくていいんだよ。人にもポケモンにも、得手不得手があるんだから」 ポケモンに視線を合わせてソニアが屈む。その表情は見えなかったが、彼女の言葉はヒトカゲとワンパチだけではなく、オレにも向けられているような気がした。 「そうだぜ、ホップ。得意なことだからって、がんばればいいってわけじゃないぞ。ものには限度があるからな」 オレは、ソニアほど頑張っている女の子を知らない。世の中には分からないことや知らないことがたくさんあるのだと語る彼女は、多くの本を読み、ポケモンの観察とスケッチを続けている。早く一人前になって、おばあさまに認められたい。それが彼女の口癖だ。 「夜になったら電気を消して寝る。暗いところで本を読んだり、絵を描いていたりしたら、目が悪くなるぜ」 「何で、ダンデくんがそれを知ってるのよ……」 振り返ったソニアが口を尖らせる。ホップはオレたちの言葉が分かっていないようで、大きく首を傾げていた。 「ホップ、こっちにいらっしゃい」 「よし、ホップ。母さんのところに行ってこい」 ホップの顔と母さんの顔を交互に見ながら、ワンパチが走る。ホップは地面に足が着くなり、ワンパチを追いかけはじめた。母さんが弟を抱き留めるのを見届けてから、オレはソニアの耳に顔を近づける。 「博士の予定、分かったか?」 母さんとホップが家に入ったことを確かめてから、ソニアが頷いた。弟に告げ口はできないが、二人の秘密を漏らすわけにはいかないのだ。 「三日後に、シュートシティからお客さまが来るわ」 ジムチャレンジに参加するには、ガラル地方のポケモンリーグの関係者のすいせんじょうが必要だ。ハロンタウンとブラッシータウンの人間は、ジムがある他の町に比べると不利に思えるが、そこで頼りになるのがマグノリア博士だ。ダイマックスを研究している彼女のもとには、すいせんじょうを用意できる人たちが、少なくとも月に一度は訪れる。博士の孫であるソニアは、お客さまに挨拶をすることもあれば、もてなしを手伝うこともあった。 ポケモンリーグの関係者と知り合いになって、すいせんじょうを用意してもらう。オレとソニアは何度も話し合った末に、それがジムチャレンジに参加する一番の近道だという結論を出した。 「シュートシティから来るってことは、きっとポケモンリーグの偉い人だぜ」 「あまり偉すぎない人がいいな。本当に偉い人は、言葉や行動に気をつけなくちゃいけないから、子どもにはすいせんじょうを出してくれないと思うの」 「偉い人も大変なんだな」 三日後、研究所に現れたお客さんは、はっきり言って偉いなどというレベルではなかった。ガラル地方のポケモンリーグで、長年のあいだチャンピオンの座を守り続けた伝説のポケモントレーナー。その人はすいせんじょうを出せない代わりに、オレとソニアを自分の道場に連れて行ってくれた。 「ありがとうございます、マスタード師匠!」 先生ではなく、師匠。トレーニングや練習ではなく、修行と稽古。ヨロイじまで男心を熱くさせるものに囲まれてポケモンバトルの腕を磨いたオレに、師匠が紹介してくれたのが、ポケモンリーグのローズ委員長だった。 「ダンデくんとソニアくんのすいせんじょうを用意しましょう。ガラルの未来は、きみたちのような若い人にかかっています。二人の活躍を期待していますよ」 ローズ委員長が口にしたガラルの未来は、オレにはスケールが大きすぎて理解できなかったが、彼の署名入りのすいせんじょうが、オレたちを自分の未来をつかむためのスタートラインに立たせてくれたのは間違いなかった。 「やったぜ、ソニア!」 「やったね、ダンデくん!」 オレたちは道場の裏で、ハイタッチを交わした。師匠は何も言わなかったが、オレたちのはしゃぐ声は、きっと聞こえていたと思う。 すいせんじょうを手に入れたことで、ジムチャレンジの準備はほとんど終わったものとオレたちは考えていたが、十歳の子どものジムチャレンジ参加を、家族が黙って許すはずがなかった。 「ジムチャレンジはワイルドエリアに入るんでしょう。あんたとソニアちゃんに、そんな危ないことさせられないよ。ホップからも兄ちゃんに言ってやりな」 「ホップを使うのは反則だぜ、母さん!?」 「だだ、めめ」 ホップはまだ小さいが、何も分からないわけではない。オレとソニアが二人だけでヨロイじまに出かけたことに、弟は腹を立てていた。機嫌を直してもらうために、オレたちはずいぶんと手を焼いたものである。 「ホップったら、ダンデに行っちゃだめだって言ってるよ」 「ホップだけ、仲間はずれは寂しいよな」 じいちゃんとばあちゃんがホップの援護に回った。オレのヨロイじま行きには反対しなかった二人でも、ジムチャレンジに対する考えは違うらしい。 きっとソニアも、祖父母を相手に苦戦を強いられていることだろう。ジムチャレンジへの参加を認めてもらうには、マスタード師匠との出会いのように、彼女と二人で作戦を練るよりほかにない。 そんなことを考えていたオレに、マグノリア博士から一通の手紙が届いた。 ジムチャレンジの件で、二人きりで話がしたい。 クリーム色の便箋が、オレには師匠が話していた果たし状に見えた。 「今日はよく来てくれましたね、ダンデ」 指定された時間通りに博士の家に着いたオレは、植物に囲まれた応接間に通された。 「ダンデくん」 銀色のトレイを運んできたソニアが、不安そうにオレを見る。ティーセットとスコーンをテーブルに置くと、彼女はお祖父さんに連れられて部屋を出て行った。 「冷めないうちにおあがりなさい」 ジムトレーナーと戦う前に、ジムリーダーからバトルを挑まれたジムチャレンジャーのような心境にあったオレには、手作りスコーンの味がよく分からなかった。大きな塊を飲み込んでから、ジャムとクリームの存在に気づく。 「ソニアと二人でジムチャレンジに参加したいそうですね」 「はい」 「あなたのご家族は反対していると聞きました。どうしてかしら?」 オレは瞬きを繰り返した。マグノリア博士はオレたちのジムチャレンジに対して、オレの家族と同じ意見だとソニアから聞いている。 「どうしてって、そんなの」 「なぜご家族がジムチャレンジに反対しているのか、あなたの考えを聞かせてちょうだい」 眼鏡のレンズ越しに向けられた視線は、口頭試問を行う教師を思わせた。 「ワイルドエリアには強いポケモンがたくさんいて、危険だからです。ヨロイじまは狭かったし、マスタード師匠がオレたちを守ってくれましたが、ジムチャレンジではそうはいきません」 オレは無意識のうちに両手で頬を叩いていた。スクールの試験は、生徒を落第させるためではなく、勉強をどれだけ理解しているのかを調べるために行われる。マグノリア博士もきっと同じだ。オレたちにジムチャレンジに参加する力があるのか、マスタード師匠やローズ委員長とは違った形で確かめようとしている。 「……それから、オレは道を覚えるのが苦手です。修行を積んでも、こればかりはどうもなりませんでした。ワイルドエリアは天気が変わりやすいから、下手をすれば迷子どころか遭難するんじゃないかって、家族は心配しています 」 「自分の欠点と周囲の状況を、しっかりと理解しているようですね」 流れるような手つきで、マグノリア博士はティーカップを口元に運ぶ。オレもミルクティーを飲み、口の中が緊張で乾いていたことに気がついた。 「ワイルドエリアで起こる危険を知っていながら、あなたは、ソニアを連れ出そうとする。孫を道案内に利用するつもりならば、わたしはあなたたちのジムチャレンジを認めるわけにはいきません」 マグノリア博士の表情が険しいのは、ソニアのことを大切に思っている証拠だ。オレのじいちゃんやばあちゃんとは身なりも話し方もまるで違うが、孫を心配する気持ちはきっと同じだ。 「行き先がワイルドエリアじゃなくても、オレは間違いなく、ソニアとワンパチを頼ると思います。彼女のトレーニングのおかげで、ヒトカゲはこのあたりの道を覚えました 」 鋭さを増した視線を受けながら、オレは言葉を続けた。 「少なくとも、オレと一緒にいるあいだは、ソニアはオレを見ていてくれる。何かに気を取られて、一人でどこかに行ってしまうようなことはないはずです」 森に入った子どもがひどい目に遭った。まどろみの森に入ってはならない理由を、ソニアは自分自身で作ってしまったのだ。ホップに言い聞かせる時には、彼女の事件が持ち出されることだろう。 「ジムチャレンジがどれだけ大変なことか、オレたちは分かっているつもりです。だからこそ、危険を乗り越えるにはオレとソニアと、お互いのポケモンが力を合わせなくちゃならない」 マグノリア博士の唇が、ほんのわずかに動いた。勢いに乗るならば、今しかない。 「お願いします、マグノリア博士。オレとソニアのジムチャレンジを認めてください。オレたちは、二人一緒でないとダメなんです!」 勢いよく頭を下げたせいで前髪がティーカップに入りそうになったが、オレは気にしなかった。 「前にソニアが、あなたはエスパーわざが使えるのかもしれないと話していましたが、もしかしたら、テレパシーの特性を持っているのかもしれませんね。時間があれば、研究したいものです」 エスパーわざを使っているのは、博士のほうではないかとオレは思った。ガラル地方の偉い研究者が、ソニアの優しくて厳しいお祖母さんが、冗談を口にして、声を立てて笑っている。 「ソニアも同じことを考えていましたよ。あなたと二人ならば、ジムチャレンジを突破できると」 ローテーブルの棚から、マグノリア博士はクリップで留められた紙の束を取り出した。表紙にはソニアの字で「ワイルドエリア及びジムミッションの傾向と対策。ジムチャレンジ突破を目指して」と書かれている。 「あなたたち二人のジムチャレンジを認めましょう。ダンデ、ソニアのことを頼みましたよ」 「はい!」 ジムチャレンジを許された以上に、ソニアを任されたことがオレには嬉しかった。顔を上げ、柔らかなソファにもたれかかる。体から力が抜けていくのが分かった。 「立ち聞きとは、紳士らしくない振る舞いですね」 オレは慌てて上半身を起こした。マグノリア博士の視線の先で、ソニアのお祖父さんがティーポットを持って立っている。 「自分の妻が、若い男と二人きりで話をしているんだよ。気にならないはずがないじゃないか」 何かを誤魔化すように咳払いしたマグノリア博士に笑いかけ、お祖父さんはティーポットをテーブルに置いた。 「ダンデくん。きみとソニアのジムチャレンジを、わたしたちは応援するよ。だがその前に、ソニアを呼んでお茶にしよう」 自分の部屋から下りてきたソニアとオレは手を取りあって喜び、マグノリア博士に行儀が悪いと窘められたが、若い頃から何度もワイルドエリアに足を運んでいる彼女がオレたちのジムチャレンジを認めたことで、オレの家族も考えを変えることになった。 「マグノリア博士がジムチャレンジを許したってことは、あんたとソニアちゃんなら、ワイルドエリアに行っても大丈夫ってことなんだろうね」 母さんの言葉に、じいちゃんとばあちゃんが顔を見合わせた。 何度も話し合った結果、大人たちはオレとソニアのジムチャレンジに全面的に協力してくれることになった。 ヨロイじまでテントの立て方と片付け方、火の起こし方や料理といったアウトドアの基本を身につけていたオレとソニアに、大人たちが教えこんだのは、サバイバルの技術だった。万が一、ワイルドエリアで身動きが取れなくなったときの対処法や飲み水を得る方法、食べられる草の見分け方。 「野生のキノコは、専門家でも毒がある種類を見分けるのが難しいんだ。取ってもいいけど、絶対に食べてはいけないよ」 植物に詳しいソニアのお祖父さんは、普段の様子からは考えられないほど厳しい顔で言った。 オレたちが無事にジムチャレンジを終えて家に戻ることを目標に、オレとソニアの家族は力を貸してくれたが、一人足並みが揃わなかったのが、まだ幼いホップだった。 「めぇ! めぇ!」 ウールーと遊んでいるうちに鳴き真似を覚えたわけではなく、弟は拒絶の意思を示しているのだ。まだジムチャレンジは理解できなくても、オレがしばらく家を留守にすることは分かっているらしい。 「ダメだって言われても、オレとソニアにはやることがあるんだ。オマエはいい子で待っててくれ」 「いいぃやぁぁぁぁー!」 ハロンタウンは人間の数が少ないので、ホップには年の近い遊び相手がいない。寂しがるのは分かっていても、近所の道路とは違い、ワイルドエリアは弟を気軽に連れて行けるような場所ではないのだった。 「いいか、ホップ。オレたちは、遊びに行くんじゃない。スクールは勉強するところだから、オマエを連れて行けなかっただろう。それと一緒だ」 オレは膝の上にホップを抱えあげ、視線を合わせた。金色の瞳が、不満げにオレを見ている。 「……オレたちは、戦いに行くんだ」 野生のポケモンが生存競争を繰り広げるワイルドエリアも、大人のトレーナーが待ち受けるスタジアムも、戦いの場であることに変わりはない。十歳の子どもが、命がけでそんな場所に飛びこむ必要はどこにもないのかもしれないが、それでも、オレとソニアは決めたのだ。 「オレたちには、欲しいものと、なりたいものがあるんだ。そのためには、戦って勝たなくちゃいけない」 「なーい!」 知らないのか、それとも分からないのか。勢いよく首を振るホップの瞳が、テレビで見た輝きを連想させた。 「寂しい思いをさせる代わりに、オマエにはとびっきりのお土産を持って帰る。チャンピオントロフィーだ」 師匠の元で修行を積んでから、ポケモントレーナーというオレの目標は、より大きく具体的な形を示すようになった。ガラル地方の頂点に輝く金色を、自分の手でつかみ取る。それが遠い宇宙の星ではないことを、オレは既に知っていた。 「ちゃー、ちゃん!」 「そうだ、チャンピオンだ。約束する」 頷いたオレの顔にホップの小さな手が伸びて、乾いた音を立てた。 「ありがとうな、ホップ」 弟を抱きしめて両目を閉じる。頬に宿る暖かな気合いがあれば、どんなピンチでも乗り越えられるような気がした。 色違いの帽子をかぶり、マグノリア博士から贈られたダイマックスバンドを手首に着けて、オレとソニアはブラッシータウン駅の改札をくぐった。 「二人とも、気をつけてね!」 「家には毎日連絡するんだぞ」 見送ってくれた家族の後ろで、近所の人たちが手を振っている。いつの間にか、オレとソニアのジムチャレンジは、町じゅうの関心を集めていたのだった。 「ダンデ、迷子になってソニアちゃんに心配かけるなよ!」 「ソニアちゃんも、一人で危ない真似はしないようにね」 過去の騒動を蒸し返されたソニアが左手で顔を覆う。ブラッシータウン発エンジンシティ行きの電車が五分遅れで発車するまで、彼女の右手はオレの左手をつかんでいた。 「改まって言うのも変な感じだけど。ダンデくん、これからよろしくね」 二人きりの車両でソニアが差し出した手を、オレは強く握り返した。 「オレのほうこそ、よろしくな。ジムチャレンジ、一緒に頑張ろうぜ!」 オレたちのジムチャレンジは、電車がワイルドエリア駅に緊急停車するというアクシデントで幕を開けた。 「やったぁ! ワイルドエリアだ!」 ソニアが両手を突き上げた。ジムチャレンジャーであれば、子どもでもワイルドエリアに入ることができる。ジムチャレンジの目標を一つ達成した彼女の足下で、ワンパチが吠えた。 一歩進んだだけで目まぐるしく天候が変わるワイルドエリアには、図鑑やテレビでしか見たことのないさまざまなポケモンが暮らしている。ポケモンを追いかけ、時には強いポケモンに追いかけられ、散策ときのみ集めに夢中になったオレたちは、ワイルドエリアで二晩を過ごし、あやうく開会式に遅れそうになった。 「ダンデくん、絶対にわたしを見失わないでよ」 エンジンスタジアムの通路に集まったジムチャレンジャーは、揃いのユニフォームに身を包んでいた。スタジアムではユニフォームを着てミッションやバトルに参加することが決まっているから、万が一ソニアとはぐれれば、オレは間違いなく迷子になってしまう。 「ジムリーダーのみなさん!」 ローズ委員長の声に続いて八人のジムリーダーがコートに姿を見せた途端、スタジアムが揺れ、不安は消し飛んだ。 ターフ、バウ、エンジン、ラテラル、アラベスク、キルクス、スパイク、ナックル。倒すべきジムリーダーの顔を見つめていると、リーグスタッフがジムチャレンジャーに入場の指示を出した。 コートに足を踏み入れたオレたちに、観客の声と拍手が降り注いだ。ジムチャレンジャーたちに声援を送る人々を見上げ、オレはガラスの天井の先に晴れ渡った青空が広がっていることに気づいた。 「ソニア」 小声で幼馴染を呼び、人差し指を上に向ける。天気が不安定なガラル地方では珍しい空模様に、ソニアが目を見開いた。 ガラル地方そのものが応援してくれているのだから、ジムチャレンジは成功する。根拠もなくオレはそう思っていたし、ターフジムとバウタウンを越えてエンジンシティに戻るまで、オレたちのジムチャレンジは順調だった。 「ソニア選手とダンデ選手は十歳。このジムチャレンジの最年少選手なんです! 少し、お話を聞かせていただけますか?」 序盤の難関とも言われる、エンジンスタジアムのバッジを手に入れられるジムチャレンジャーは、決して多くはない。そこに含まれる十歳の子どもが注目を集めるのは、考えるまでもないことだった。 「テレビを見ているご家族に、一言お願いします」 「すいません、わたしの家にテレビはないので、家族はこの番組を見ていないと思います」 テレビ局のアナウンサーのごくありふれた質問に、ソニアが正直に答えたことが悪かったとはオレには思えない。だが、その瞬間から彼女は、ハロンタウンやブラッシータウンでは感じたことのない眼差しを周りから向けられるようになった。 「何と! ソニア選手は、あのマグノリア博士のお孫さんなんです!」 オレたちがワイルドエリアを越えてナックルシティに到着した頃には、テレビ局や新聞社の大人たちは、ソニアとマグノリア博士の関係はおろか、オレたちがローズ委員長からすいせんじょうを出してもらったこと、そしてマスタード師匠の元で修行に励んだことまでも、簡単に突き止めていた。 「お二人が、ジムチャレンジで一緒に行動している理由を教えてください」 「ミスター・マスタードやマグノリア博士からは、お二人のジムチャレンジ参加にあたって、何かアドバイスはありましたか?」 インタビューを終えたオレたちは、ポケモンバトルとは違う疲れに襲われた。ナックルシティにはポケモンリーグと提携しているホテルがあるが、また記者に囲まれてはたまらない。 逃げるように足を踏み入れた6番道路でオレを待っていたのは、ジムチャレンジャーとの出会いだった。 「ハロンタウンのダンデだな!?」 キバナと名乗った少年は、オレよりも二つか三つほど年上に見えた。 「オレさまはガラル最強のドラゴン使いになる男! オマエに勝負を申しこむ!」 「望むところだ!」 バトルを終えた後、オレたちはリーグカードを交換して、ライバルとなった。ソニアに続く、オレの二人目のライバルである。 「このままラテラルタウンに向かうのか?」 「いや、今夜はここでキャンプをする。トレーニングだけでなく、新しいポケモンも手に入れたいからな」 キバナと別れ、オレはヒトカゲからリザードに進化した相棒に連れられてテントに戻った。理由は説明できないが、オレは絶対に、できたばかりのライバルをソニアと引き合わせたくなかったのだ。 「遅い! また迷子になったんじゃないかって心配したんだよ」 焚き火を扇ぎながら、ソニアが口を尖らせる。オレたち二人はキャンプに必要な技術は一通り身につけているが、ジムチャレンジではオレがテントを立て、ソニアが料理を作っていた。彼女が言うには、料理は気晴らしになる上に、実験をしているみたいで面白いらしい。 「きのみって不思議よね。嫌いな味でも、こうやって料理にするとみんな喜んで食べるんだもの」 よく見ると、ソニアの口元に赤い汁が付いていた。新しいきのみを採るたびに、彼女は味見と称して口に放りこんでしまう。 「オレには、毒がないと分かった途端、きのみを丸かじりするソニアが不思議で仕方がないけどな。さっき食べたきのみはどんな味だったんだ?」 「楽しい味だったわよ。甘くて酸っぱいのに、辛くて苦いの!」 さまざまな味のきのみを使ったソニアの料理は、オレのポケモンにも人気が高い。リザードのお気に入りはモモンのみで、ワイルドエリアできのみ探しを手伝ってくれたこともある。 「食べやすいヒメリの実を使ったのが今日の夕飯、三種のきのみとチーズのホットサンドです!」 厚手のグローブを着けたソニアが、スキレットをキャンプ用のテーブルに移した。テントの周りで自由に過ごしていたポケモンたちが、いつの間にかテーブルに集まっている。 「「いただきます」」 フォークを突き立てたホットサンドから、チーズが溶け出る。オレはキバナをソニアに引き合わせたくなかった理由を噛みしめた。キャンプで彼女の手料理にありつけるのは、オレたち二人とお互いのポケモンだけでいい。 「この前のカレーライス。また食べたいから作ってくれよ」 カレーライスは、カントー地方の子どもがキャンプで作る定番料理らしい。米を炊くという作業にソニアは苦労していたが、たくさんのきのみを使った料理は温かく、お腹がいっぱいになった。 「ダンデくんがそんなこと言うなんて珍しい。作るのは構わないけど、きのみ集めと後片付けは手伝ってよね」 「もちろんだ。キミの料理があれば、どんなトレーナーが相手でも、負ける気はしないぜ」 ジムミッションには手こずったものの、オレは一度の挑戦でラテラルタウンとアラベスクタウンのバッジを手に入れた。キョダイマックスポケモンは見ているだけで胸が高鳴るし、バトルで勝つのは楽しい。バッジを手に入れたオレを、スタジアムの観客が祝福してくれるのも嬉しかった。 町に着くなりスタジアムに向かおうとするオレとは対照的に、ソニアは慎重だった。ポケモンバトル専門誌や試合中継から情報を集め、準備を整えてからジムチャレンジに挑み、確実にバッジを手に入れる。 オレとソニアに対する世間の反応は、戦い方の違いでは説明できないほどの差があった。ジムトレーナーに勝利を収め、バッジを手に入れたという結果は同じなのに、観客がソニアに送る歓声や拍手は、オレに比べて明らかに小さいのだ。 「オレもソニアも、バトルに勝ってバッジをもらったのは同じなのに、こんなのおかしいじゃないか」 ポプラさんのクイズ以上に腑に落ちない。顔をしかめるオレに向かって、ソニアは肩をすくめた。 「ねえダンデくん、もし、今日ホップに電話をかけて、彼がお喋りと文字の読み書きができるようになってたらどう思う?」 「天才じゃないかって思う」 自分の居場所を知らせるために、オレは毎日、メールや電話で家族と連絡を取っている。たまにホップが受話器を取ることがあるが、日ごとに話す言葉が増えているような気がする。子どもの成長は早いが、さすがに限度があるはずだ。オレたちのジムチャレンジ中に、ホップが文字の読み書きをマスターすることはないだろう。 「でも、十歳のわたしたちにとっては、会話も読み書きも、計算もできて当たり前。そうでないなら、専門のサポートが必要。それと同じことなんだよ」 「つまり、十歳の子どもの読み書きみたいに、ソニアがジムバッジをゲットするのも当たり前だと思われてるってことか?」 「試合を見た人に直接聞いたわけじゃないから、本当かどうかは分からないけどね」 世間の評価というものに対して、ソニアの反応は驚くほど乾いていた。もしも彼女が、怒りや悲しみを形にしてくれていれば、オレは宥めるなり慰めるなり、何らかの行動がとれたかもしれない。 結局、ソニアはオレではなく、家族に相談したようだった。スマホロトムを手にキャンプ地を離れた彼女が、どこか晴れやかな赤い顔で戻ってきたとき、オレは胸をなで下ろしたものである。 ジムチャレンジを乗り越える仲間で、ともに上を目指すライバル。お互いに助け合うことはできても、頼り頼られる関係を築くことができないまま、オレたちは旅を続けた。 ジムミッションやバトルの難易度が上がる一方で、オレたちはキルクスタウンで足湯に浸かり、物好きな大人が海水浴を楽しむ9番道路の入り江で釣り糸を垂れた。 ホエルコに釣り竿ごと氷の海に引っ張りこまれそうになった挙げ句、釣り糸を切られたことも、スパイクタウンでソニアとはぐれ、薄暗い路地に迷い込んだこともあったが、ジムチャレンジはオレにとって、楽しい冒険だった。 「ダンデくん、ワンパチ、待たせてごめん!」 三度目の挑戦でナックルジムのバッジを手に入れたソニアと合流するなり、オレたちは一目散でナックルシティ駅へと走った。八つのバッジを手に入れたジムチャレンジャーだけが参加できるセミファイナルトーナメントには、エントリーの期限が設けられている。ソニアがバッジを得るのに手こずったこともあり、オレたちは予定より少し遅れてシュートシティに向かうことになったのだ。 「本当に、ワンパチとバチュルだよな」 「アレはバチュルに引っ付かれてるっていうより、主人を待つワンパチだろ。『忠犬ダンデ』映画化決定! 全イッシュが泣いた」 十代半ばの少年たちが、大声で笑う。足を止めて言い返そうとしたオレの背中にソニアが手を置き、やや強引に改札をくぐらせた。 「バトルを挑まれたら戦うのは当然だけど。ダンデくんがあんな人たちの言葉を聞く必要ない。っていうより、絶対に相手しちゃダメ」 「けど! ソニアが馬鹿にされるのを黙って見てるなんて、そんなことできるはずないだろう」 「だったら、できるようになって。……チャンピオンになるための修行だと思って」 修行という言葉は、オレにとって効果はバツグンだ。ソニアはそのことをよく知っているだけではなく、やり場を失った感情をバトルや食事で発散させてくれる。 だが、ホワイトヒル駅から降り立った10番道路は、バトルにもキャンプにも向いていなかった。ワイルドエリアに匹敵する吹雪が防寒具の上から体を叩き、視界が白に塗りつぶされる。 「一年中雪が降るとは聞いてたけど、ここまでとは思わなかった。日が暮れるまでにシュートシティに入ろうぜ」 オレとソニアは体を寄せ合いながら雪道を歩き、背中合わせで野生のポケモンと戦った。オレの相棒は既にリザードからリザードンに進化しており、大きな翼で風を遮り、尻尾の炎で疲れた体を温めてくれた。 「見えたぜ、ソニア。シュートシティだ」 長い坂を上りきったオレたちの目の前に、レンガ造りの街と、最先端の技術を使った塔が見えた。 「ようやくここまで来たね」 ソニアが白い息をつく。オレたちは視線を交わし、どちらともなく手をつないで雪のない坂を下りた。 「会社のビルに自分の名前を付けちゃうなんて、ローズ委員長ってすごいことを考える人だよね」 ローズ委員長が、古いものを活かしつつ、新しいものを取り入れて築き上げたシュートシティには、世界中から多くの人々が訪れる。彼らの目的は、シュートスタジアムで行われるポケモンバトルだ。 「すごいよな。世界中の人たちが、オレたちのバトルに注目するんだぜ」 「……テレビカメラには、いつまで経っても慣れなかったな」 苦手だと言いながらも、ソニアはメディアの取材を断ったことがない。オレが知らない言葉を使って丁寧にインタビューに答える彼女のことを、お高くとまっているなどという連中の気持ちを、オレは一生理解できないだろうし、理解したいとも思わない。 「こんなことダンデくんにしか言えないけど、ワイルドエリアには記者が追いかけてこなかったから、少しだけ気持ちが楽だったかな」 「ピンチの連続だったけどな。テントごと吹き飛ばされそうになったし、霧で足下が見えなくて、崖から落ちそうになったこともあった」 「自転車で水の上を走って、ギャラドスにぶつかったこともあったよね」 眩しいが暑くはない日差しを受けながら、オレたちは坂を下った。走ると危ないというのもあるが、少しでも長く、彼女と話を続けたかったのだ。 「無事だったからこうやって笑い話にできるけど、やっぱりワイルドエリアは危ないよな。オレは、ジムチャレンジに反対した家族の気持ちが分かった気がするし、ホップが大きくなっても、絶対に一人で行かせたくない」 「そんなの、想像するだけで絶対に無理! 強いポケモンが一緒でも、絶対にダメ!」 ホップを実の弟のように思っているソニアが首を振る。一人きりではなく、彼女と二人だったからこそ、オレは八個のバッジを集め、シュートシティにたどり着くことができたのだ。 「ソニア、ありがとうな。キミがいてくれなきゃ、オレはジムチャレンジに参加することすらできなかった」 感謝の言葉はどこか照れくさく、オレの気持ちを示すには足りないような気がした。 「それは私のセリフだよ。ダンデくんがいなかったら、多分、途中でリタイヤしてた。私をここまで連れてきてくれて、本当にありがとう」 エメラルドグリーンの瞳が揺れ、ソニアがわずかに視線をそらす。少しだけ力がこめられた手を強く握り返して、オレたちは同時にシュートシティの門をくぐった。 |