放送事故に注意!


 子どもポケモン電話相談は、十五歳以下の子どもの疑問や質問に対して、ポケモンの専門家たちが回答するガラル地方で人気の生放送ラジオ番組である。
 ラジオアプリの開発と聞き逃し配信サービスの提供、そしてSNSの発展により、近年では大人も楽しめるコンテンツに変化を遂げつつある番組のスタッフから、ソニアに送られてきた出演オファーのメールは、ラジオを聞きながら祖父母の畑仕事や植物の世話を手伝っていた幼い日を思い出させた。
「あの番組の先生になるなんて、すごいじゃないか。ソニアは教え方がうまいから、きっと小さい子も喜ぶぞ」
 幼い頃にソニアから文字の読み書きと数字を学んだホップは、彼女の人生最初の教え子とも言うべき存在だ。彼やその兄との経験があるからこそ、ソニアは電話で人の質問に答えることの難しさを理解している。
「ホップは昔から素直で覚えが早いから、教える方もやりやすいのよ。それに、分からないことがあっても、近くにいれば文字や絵を使って説明ができるでしょう」
 ソニアが手元の本を掲げると、ホップは納得したように頷いた。
「そうか。電話だと言葉だけで説明しなくちゃダメなのか。それは、ちょっと難しいかもな」
「例えるなら、迷子になったダンデから電話がかかってきて、本人の説明だけで居場所を突き止めて、目的地まで案内しなくちゃいけないレベルだね」
「大変だ! 急に難易度がものすごく上がったぞ!」
 ホップが抱えた頭を大きく振る。予想を上回るリアクションに、ソニアは笑みをこぼした。
「今、ホップが難しいと思ったのは、ダンデが方向音痴なのをよく知っているからだよね。でも、彼がしょっちゅう道に迷うことを知らない人には、この説明は伝わらない。それも分かるでしょう?」
 子どもの知識は、年齢だけで判断できるものではない。電話相談の回答者には、質問を送ってきた子どもの能力を測った上で、彼らが理解できるように、分かりやすく物事を説明する技術が求められるのだ。
「難しいけれど、やりがいはあるわよね」
 オファーを断るという選択は、最初からソニアに存在しない。子どもの疑問に答え、好奇心と探究心を守り育てる大人の姿勢が、子どもの成長を促し、ひいては知識や学問の発展につながることを彼女は家族から学んでいた。
「すごいぞ、ソニア先生の誕生だな! レギュラーになったら、そのうちにアニキとも共演するんじゃないのか?」
「なんでそこでダンデが出てくるの?」
 首を傾げるソニアに向かって、ダンデ公認の「世界一のファン」はスマホロトムの画面を示した。番組の公式サイトには、リスナーの反響が大きかった質問がテキストや写真とともに掲載されている。司会を務めるアナウンサーの両隣に立っているのは、ゲスト出演したダンデ「先生」とキバナ「先生」だった。
「確かに、ダンデはこのガラルで一番ポケモンバトルに詳しいと思うけど。この番組にまで出てたんだ」
 ポケモンの専門家とは、必ずしも学位を持った研究者とは限らない。ポケモンリーグのオフシーズンには、ジムリーダーやチャンピオンが回答者を務めるスペシャル番組が放送されることを、ホップは熱のこもった口調で説明した。
『もしも野生のサザンドラとドラパルトが戦ったら、どっちが勝ちますか?』
 棲む場所が異なる野生のポケモンが戦うことは本来ありえないのだが、だからこそ強さ談義は、バトルと同じぐらいに人を熱くさせる。ドラゴン担当のキバナとバトル担当のダンデの議論は制限時間が迫っても決着が付かず、なぜか番組終了後に、二人はバトルを行うことになったのだった。
「あっという間にシュートスタジアムでの生中継が決まって、すごかったんだぞ。もちろんアニキが勝ったけど」
「質問した子もビックリしただろうね」
 ソニアは呆れた表情を隠さないまま、自身のスマホロトムを手に取った。収録当日までに、番組の雰囲気をつかんでおく。事前調査や下調べは、ソニアの得意とするところだった。
『ぼくは大きくなったらカビゴンになりたいです。どうすれば、りっぱなカビゴンになれますか?』
 六歳の男児の質問に、ソニアは思わず吹き出しそうになったが、ポケモンの心と体の専門家は真摯に男児の言葉に耳を傾け、彼の胃腸が弱く、腐った物を口に入れても腹を壊さないカビゴンに憧れていることを突き止めた。
 人間はカビゴンにはなれないし、カビゴンのような胃袋を得ることもできないが、食事や生活習慣を変えれば、胃腸を少しずつ丈夫にすることはできる。男児の悩みを解決に導いたベテラン回答者の手腕に、ソニアは電話相談という番組のあり方を見た思いがした。
「本日はよろしくお願いします」
 シュートシティのラジオ局で、ソニアはスタッフや共演者と顔を合わせた。二時間番組の回答者を務めるのは、ソニアとナックルユニバーシティの教授で、彼は長年、法律の先生として番組に出演しているベテラン回答者でもある。
「私たちがフォローしますから、ソニア先生は気楽にやってくだされば大丈夫です」
 番組の司会進行を受け持つ女性アナウンサーの落ち着いた声が、ソニアの緊張を解いた。
 子どもポケモン電話相談では、電話とメールで質問を受けつけている。ソニアは歴史の先生として招かれたため、寄せられた質問は彼女の著書やポケモンの歴史に関するものが多かった。番組で取り上げる質問は、基本的に回答者が選ぶが、似た内容の質問が複数届いている場合は、スタッフの判断で質問者を選ぶこともある。
 陽気な音楽に合わせて、時間通りに番組がオンエアされた。質問が採用された子どもには、進行に応じてスタッフが電話をつないでいく。
「そらとぶタクシーの運転手になるには、特別な免許がいると聞きました。特別な免許と普通の免許の違いを教えて下さい」
 人とポケモンに関する法律の専門家は、穏やかな口調で答える。次の質問がポケモンへの遺産相続に関するものだったので、ソニアは電話をかけてきた子どもの年齢を確かめずにはいられなかった。十二歳の少女は、親戚の遺言がきっかけで、遺産相続という人間のルールに関心と疑問を持ったのだという。
「ポケモンが人間の財産を受け取れるかどうかについては、実際に裁判になったこともあります」
 地面や金属を好むポケモンは少なくはないが、不動産や現金の価値を理解したうえで、それらを欲するポケモンはおそらく存在しない。人間とポケモンの関わり方の変化に合わせて、法律を変える必要があるかもしれないと、教授は短い講義を締めくくった。
 人間とポケモンの関係。記念すべきソニアへの最初の質問もまた、それにまつわるものだった。
「大昔にも、ブラックナイトがあったって、ママが言ってたんだけど、もし、ムゲンダイナのトレーナーが、チャンピオンから別の人に変わったら、またブラックナイトが起きたりするの?」
 ナックルシティに住む五歳の男児は、ローズ元委員長が引き起こしたムゲンダイナ騒動の際に、自宅から避難したのだという。幸い、本人にも家族にも被害はなかったが、暗い空に浮かぶ巨大な姿は、恐怖と共に幼い心に焼きついていた。
「そうだよね。またあんなことが起きるんじゃないかって、心配になるよね」
 現在はチャンピオンのモンスターボールに身を潜めているポケモンを恐れる声は、電話をかけてきた幼子だけのものではなかった。二度にわたってムゲンダイナを鎮めた英雄の正体を解き明かした本人だからこそ、ソニアはその問いに答える必要を感じたのである。
「本当は、ブラックナイトはもう起きないと言って、君に安心してもらいたいんだけど、今はまだ、それができないの。三千年前のブラックナイトの原因もそうだけど、ムゲンダイナについては分かっていないことがとても多いから」
 受話器の向こうから、男児が息を飲む気配が伝わってきた。
「わたしたち研究者は、分からないことを調べて、ブラックナイトが二度と起きないようにするにはどうすればいいのかを考えてるの。そして、歴代のチャンピオンや、たくさんの人たちが研究の手伝いをしてくれてるんだ」
 広くはないスタジオの視線がソニアに集まった。自身が生んだ沈黙を破るように、再び彼女は言葉を紡ぐ。
「ムゲンダイナはブラックナイトを起こしたけれども、それはガラルの人々を怖がらせたり、意地悪をしようと思ったからじゃない。今、わたしたちは研究所でムゲンダイナのことを調べているけれども、ムゲンダイナは大人しくしてるよ。暴れたり、人やポケモンを傷つけたことは一度もない」
 千年後のガラルのために。ムゲンダイナの暴走を招いたのは、たった一人の人間の大きすぎる願いだった。その善悪を判断することはソニアにはできないが、彼女には男が残した研究を未来につなげるための知識と、人のつながりがあった。
「よく分からないものを怖いと思うのは、当たり前のことだよね。でも、安全な場所に移動して、気持ちが落ち着いたら、怖いものがどうして怖いのか、それを考えて、相手のことを知ってもらえたらいいな」
 相変わらず黙りこんでいる男の子には見えないと分かっていながら、ソニアはいたずらっぽい表情を浮かべた。
「わたしの話が難しくて、よく分からなかったなら、今日はこれだけ覚えておいて。ムゲンダイナは、ポケモンなの」
「ムゲンダイナは、ポケモン……」
「そう。君の家の周りや街に住んでいるのと同じ、ポケモン。だから、いつかムゲンダイナと友達になって、背中に乗せてもらえる日が来るかもしれないね」
 ソニアの言葉に、法律の専門家が灰色の髭を震わせながら口を挟んだ。
「あんな大きいポケモンが空を飛べば、タクシーの運転手やポケモンが驚くでしょう。ひこうポケモンの免許に関する法律を見直す必要があるかもしれませんね」
 出演者が笑みを浮かべるスタジオで、アナウンサーが穏やかな声で男児の名前を呼んだ。
「もうブラックナイトが起こらないように、ソニア先生やムゲンダイナが力を合わせて研究してるっていう今のお話、分かったかな?」
「わかった!」
 心からの言葉に、ソニアは安堵の表情を浮かべる。先生としての役割は、無事に果たせたようだ。
「カッコ良かったぞ、ソニア先生!」
 番組の収録を終えてブラッシータウンの研究所に戻ったソニアを、ホップが笑顔で出迎えた。まだ番組に質問を送ることができる彼に、ソニアはラジオを聴くという課題を与えていたのである。
「ユウリもワイルドエリアで聴いてたらしいぞ。それに、SNSも盛り上がってた」
 プロスポーツやポケモンリーグの生中継に熱狂し、見知らぬ相手とハイタッチを交わすパブの客のように、SNSの利用者はテレビやラジオがもたらす感情を、リアルタイムで共有する。子どもポケモン電話相談がSNSで人気を集めたのも、番組の対象となる子どもではなく、親の世代の力が大きい。番組のハッシュタグとともにSNSに書きこまれるのは、大人が気にも留めないような物事に疑問を抱く子どもたちへの好意と、彼らに真摯に向き合う回答者に対する敬意だった。
「ムゲンダイナやブラックナイトを怖いと思っているのは、ソニアに質問してきた子どもだけじゃないみたいなんだ。オレだって、もしもアニキの身に何か起きてたら、ムゲンダイナが今はユウリのポケモンで、悪いヤツじゃないって分かっていても、アイツのことを嫌いになってたかもしれない。でも」
 どことなく誇らしげな笑みを浮かべながら、ホップはスマホロトムの画面をソニアに示した。SNSの丸いアイコンには、二十代後半とおぼしき女性の写真が使われている。
「今日のラジオで、ソニアが言ってただろう。ムゲンダイナはポケモンで、友達になれるかもしれないって。この人、自分の娘があの日のことを思い出して泣いちゃったら、ソニアの言葉を借りるんだってさ」
「……そうなんだ。そういうこと言われると、何だか照れちゃうね」
 公共の電波の力というものを、ソニアは二日後に番組スタッフから送られてきた「今後の番組出演について」という件名のメールで実感することとなった。そこには、ラジオに出演した五歳児の母親を始めとする多くのリスナーから寄せられた感謝や応援の言葉をまとめたファイルが添付されていたのである。
「すごいな! ソニア、本当に番組のレギュラーになったんだ。オレもスタジオ見学に付いていっていいか!?」
「言われなくてもそのつもりよ。それに、そのうちにあんたやユウリにも、番組から出演依頼が来るんじゃない?」
 ソニアの予想は正しく、ムゲンダイナ騒動を解決に導いたユウリとホップ、そして若くしてジムリーダーの地位を譲られたビートとマリィの四人は、特別ゲストとして番組に招かれ、専門家に鋭くも微笑ましい質問を投げかけた。番組終了後、公式サイトに掲載された写真には、出演者だけではなく保護者の姿もあり、ファンを喜ばせた。
「再来週のワイルドエリアスペシャルは、時間を拡大してお送りいたします。皆さんの質問に答えてくれるのは、バトルのダンデ先生とほのおのカブ先生、ドラゴンのキバナ先生とガラルのソニア先生です」
 二度目の番組出演が決まったとき、ソニアは歴史の先生からガラルの先生に進化していた。祖母であるマグノリア博士のもとでダイマックスの研究を続けてきた彼女はポケモンに詳しいだけではなく、天文学や地質学をはじめとするガラル地方のさまざまな知識も有している。選択肢が多すぎたために専攻科目を決めるのに時間がかかったものの、ラジオ番組のレギュラー回答者というポジションは、ソニアの膨大な知識がたぐり寄せたものだった。
「すっげー! 超豪華ゲストだ! この前も面白かったけど、オレ、せっかくならこの回のスタジオに行きたかったぞ!」
 ホップに教えていなかっただけで、ソニアは収録スケジュールと共演者を前もって知らされていた。番組内で正式に告知されても、名だたるジムリーダーと同じ回答者という立場で番組に出演する実感がわいてこないのは、彼らがポケモンバトルという、現在のソニアからはかけ離れた世界の住人だからだろう。
 だが、ダンデは違う。十歳にしてチャンピオンの座につき、故郷のハロンタウンを離れた男は、ソニアにとって遠くて近い存在だった。立場が変わっても態度が変わらない、幼馴染。
 多忙でありながら、他愛のない用件で頻繁にソニアの元に顔を出していた男は、バトルタワーのオーナーに就任してから手土産を持参することを学んでいた。シュートシティの人気店のチョコレート菓子は、紅茶と共に研究所のテーブルに置かれている。
「始発だと番組の打ち合わせに間に合わないだろう。シュートシティのホテルにでも泊まるのか?」
 子どもポケモン電話相談は、普段は休日の午前十時に放送されるが、四時間にわたって放送される「ワイルドエリアスペシャル」は、八時に番組が開始される。それに合わせて、出演者のスタジオ集合時刻が七時に繰り上げられていた。
「ええ。スタジオ近くのホテルを予約したけど?」
「そうか。部屋が余っているから、よければオレの家にと思ったんだが」
 ソニアは盛大にむせ、口元を覆った。テーブルの台拭きに手を伸ばした幼馴染に抗議の視線を向ける。
「気持ちはありがたいけど、お互いもう子どもじゃないんだから、そんなことできないわよ」
 ダンデの提案は間違いなく善意によるものだったが、いささか常識に欠けていた。二人はおそろいのパジャマでベッドに潜りこんだ後も小声で話を続け、大人に叱られるような年齢ではないのである。
「それに、人を泊めるって言っても、ダンデくんの家に、お客様用のベッドはあるの?」
 シュートシティの高級住宅街に、ダンデが一軒家を借りていることをソニアは知っていたが、一度も足を運んだことはなかった。とても広いが隠れんぼには向いていないというホップの評価を信じるならば、ダンデが余っていると表現した部屋は普段使われていないどころか、家具も置かれてないのだろう。
「……言われてみれば、ないな」
「そんなことだろうと思った。もし、私が今のお誘いをオッケーしてたら、ダンデくんの家の床で寝るところだったじゃない」
「ウールーの小屋で、昼寝をしたことならあるだろう」
 懐かしい思い出に、ソニアの表情が和らぐ。昼下がりの陽気とウールーの柔らかい毛並みに眠気を誘われた彼女が、ダンデとともに藁の山に飛びこんだのは、まだ自分のポケモンを得る前のことだった。自宅のアルバムには、ウールーに囲まれて眠る二人の写真が収められている。
「あの後、服に藁が入って大変だったんだよね。でも、ジムチャレンジ中のテント暮らしが苦にならなかったのも、そんな経験のおかげかも」
 ジムチャレンジャーは、ポケモンリーグと提携しているホテルを無料で利用できるが、宿泊施設のない道路やワイルドエリアでは野宿が基本だ。テントを自分で組み立て、焚き火で料理を作る生活は、参加者のキャンプ気分を盛り上げるが、それに馴染めずにジムチャレンジをリタイヤする者も一年に二、三人は現れる。
 のどかな田舎町で幼少期を過ごしたソニアとダンデは、厳しい自然への適応力と野外生活の知識、そして手近な物を組み合わせて道具を作る技術を持っていた。二人が十歳にしてジムチャレンジの推薦状を得たのは、ポケモンバトルの才能に加えて、万が一ワイルドエリアで遭難しても、仲間と力を合わせれば命を守ることができるサバイバル能力の高さが評価された結果でもある。
「今でもフィールドワークは苦にならないけど、さすがにシャワーも浴びてない状態で、人前に出る訳にはいかないでしょう。私、収録の前日まで、フィールドワークなの」
 番組の三日前から前日にかけて、ソニアはワイルドエリアでの調査を計画していた。夕方にナックルシティから電車に乗り、シュートシティのホテルにチェックインする。よほどのアクシデントでも起きない限り、休息は充分に取れるはずだった。
「ワイルドエリアの調査か。仕事だと分かっているが、羨ましいな」
 ダンデは空腹を訴えるワンパチのように眉を下げた。立場とともに求められる役割が変わった結果、彼がデスクワーク漬けの日々を送っていることをソニアは知っている。
「……なあ、ソニア。ポケモンリーグの人間によるワイルドエリアの視察は、今後のトレーナー育成のためにも必要なことだと思わないか?」
 少年のように輝く黄金の瞳に、ソニアは肩をすくめる。マイペースで頭の回転が速い幼馴染は、自分の有利な方向に物事を進める技術に長けていた。多少、強引にスケジュールを調整してでも、彼はソニアのフィールドワークに顔を出すつもりなのだろう。
「……何が食べたいの?」
「カレー!」
「オッケー。トッピングは自分で用意してよね」
 満面の笑みの背後に、ソニアは勢いよく揺れるワンパチの尻尾を見たような気がした。彼女の相棒は、ダンデのリザードンと身を寄せ合いながら、日当たりの良い窓辺で寝息を立てている。
「キャンプでソニアの料理を食べるなんて、随分と久しぶりだな」
「たぶん、ジムチャレンジ以来じゃない? 考えてみれれば、十歳のわたし、よくやってたわよね。自分とダンデくん、それにお互いのポケモンの分まで料理を作ってたんだから」
 食事にスピードとボリュームを求める男が、幼馴染の手料理にこだわるのは、それがジムチャレンジと深く結びついているからだとソニアは考えている。少年が仲間とともに全力で駆け抜けた日々の、懐かしい思い出。
「……食事に道案内。子どもだったとはいえ、あのころのオレはキミをなんだと思っていたんだろうな」
 苦い後悔を滲ませながら、ダンデが呟く。共に旅立った幼馴染を踏み台にしてチャンピオンの座に就いたという罪の意識が、金色の瞳に陰りを落としていたことにソニアが気づいたのは、顔を上げて彼の視線を受け止められるようになった、つい最近のことだ。
「ダンデくんが私のことをなんだと思ってるのかは、今でも時々、考えさせられるんだけどね。ところで、紅茶のお代わりは?」
 返事を聞くよりも早く立ち上がったソニアに、ダンデの眼差しが向けられた。
「ソニアは、家族と同じぐらい、あるいは家族以上に、オレの人生に関わったひとだ。キミの存在を抜きにして、オレの子どもの頃や、ジムチャレンジ中の出来事を語ることはできない」
 テーブルのチョコレート菓子に視線を移し、ソニアはようやくダンデの来訪の目的を悟った。彼はワイルドエリアを特集するラジオ番組で、ジムチャレンジに関する質問が寄せられることを予想して、行動を起こしたのだろう。
「キミのことを、ラジオで話しても構わないか?」
 男の言葉に、ソニアは無意識のうちに背筋を伸ばしていた。自分よりも幼く、弱い者が相手でも、決して手を抜かず、真剣に向き合うのがダンデという人間だ。厳しさの根元に大人の本気を感じるからこそ、ガラルの子どもたちは彼に憧れ、その言動を手本にする。
 ダンデは他人にも自分に厳しいが、同じぐらいに優しい男でもあった。共に挑んだジムチャレンジで、ソニアが不特定多数の人間に悪意を向けられたことを彼は知っている。残酷なまでに無邪気な子どもの好奇心が、ソニアの心の傷に触れることを案じる彼の気配りはありがたいのだが、消えかかった傷跡を見せて、彼を安心させることはできなかった。
「ダンデくんってさ、態度に裏表はないけど、たまに、すごくムラがあるよね」
「ムラ?」
 ケトルが置かれたクッキングヒーターのスイッチを入れ、ソニアは肩をすくめた。
「私が手早く料理が作れるとか、雑な紹介する割に、ジムチャレンジは触れられたくない過去なんじゃないかって、気にしてるでしょう。そういうところ」
 無骨で繊細、柔軟にして頑固。頼もしい大人でありながら、放ってはおけない少年。一見、相反する要素が、ダンデという人間の中で巧みにバランスを取っていることを知っているのは、ソニアを含むごく限られた人間だけだ。
「ジムチャレンジも、セミファイナルトーナメントも、今のわたしにとっては、全部いい思い出。自分の将来やポケモンとの付き合い方について、じっくり考えることができたし、友達も増えた」
「……そうか」
 ケトルの前に立ったまま、ソニアは体の向きを変えた。
「わたしの言うことが信じられないなら、今度のラジオ番組、スタジオでわたしを見ていてよ。ワイルドエリアの質問はもちろん、ジムチャレンジのことも、聞かれればきちんと答えるから。ダンデくんも、わたしの名前を出さないでいてくれたら、昔のことを話してくれて構わない」
「だったら、そうさせてもらおう。子どもたちの質問に対して、回答者がお互いの知識をぶつけ合う。ラジオの放送日が楽しみだな」
 ダンデの声は穏やかだったが、両眼にはポケモンバトルに臨むかのような強い光が宿っていた。間近で見るその輝きを懐かしく思いながら、ソニアは呆れたように微笑んだ。
「本当にバトルバカなんだから、ダンデくんは」


後編を読む
ポケモン小説のコーナーに戻る