黄檗宗・慧日山永明寺HP |
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瓜 頂 和 尚 『 祖 録 』 漫 解 帖 宗祖・隠元禅師編集 『三籟集』 |
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〔解説〕 『三籟集(さんらいしゅう)』は、黄檗宗祖・隠元禅師が高槻の普門寺住持に就かれてまもなくの万治3(1660)年、禅師69才の時に、弟子たちの指導のために編纂された詩集です。 元の嘉興福源・石屋清珙和尚の山居詩40首、 元の嶽林栯堂禅師の山居詩40首、 元の天目山・中峰明本禅師の四居詩40首(船居、山居、水居、鄽居(てんご)各10首)が収録されています。 冒頭には宗祖の序文があり、この詩集を編纂した想いが書かれています。 序文は、この種のものとしては比較的長文ですが、それだけに宗祖のこの詩集にかけられた意気込みが窺えます。 前述したように、この詩集が編纂された時期は宗祖が渡来されて6年後で、日本国内での宣法がやっと許され、普門寺に禅堂が開単された時期です。 冒頭、どうしてこの詩集を編纂したかを伺わせる経緯が書かれています。 日本での禅の指導を本格的に開始された宗祖は、 日本の禅林の修行体系の中で、 欠落しているものの一つとして、 偈頌や詩文への勉学を挙げておられます。 こうした思想は、当時の日本ではとても考えられないことでした。 「不立文字 教外別伝」を頑なに守っていた当時の日本禅界の常識からすれば、語録や詩偈の勉強は「文字禅」に陥ることとしておろそかにされがちなことだったのです。 しかし、隠元禅師は参禅の合間に、こうした語録等の勉学は不可欠であると指導されました。 歴代の祖師方の語録や名著には、筆者の声光が厳然表出しているのだから、禅を学ぶものとしてそれらを学ばねばならないと諭されたのです。 多くの僧が隠元禅師の下に参集したわけが理解できます。 宗祖が言われるには、この自然界には「三籟」と称される三つの微妙な素晴らしい音が発せられていて、真理はこれらの音からこそ聞き取れるので、その音を聞き取らねばならない。 これらの音をよく聞き取りさえすれば、「法門も雅致も全てが試され、宗門の偈語はこれらを超えることは無い」とまで言い切っておられるのです。 さらに、宗祖は本詩集120首によって、これら全ての詩を「熟読玩味して自分のものとなさねば自由の働きを示すことは難しい」とまで評されるばかりか、具体的に、各和尚方の優れた表現力を列挙されています。 つまり、本詩集には、私たち参禅の徒への宗祖の老婆親切が行き渡っているとまで言い切れます。 こうして本書は、詩作に長じた中国渡来の高僧(宗祖)が紹介する、和僧のための「漢詩実例書」として注目されてきたのです。 なお寛文12(1672)年に梅嶺道雪禅師註の.3巻本「三籟集」が刊行されています。 また大正6(1917)年には、前記本をもとに阪田金龍禅師が編集された「黄檗隠元三籟集」が刊行されています。 |
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<<<参考>>> |
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◇ 石屋清珙禅師(1272~1352)について 中国、元時代の代表的な禅僧。 臨済宗第19世。 俗姓は温氏、字は石屋。 南宋咸淳8(1272)年に生誕、元の至正12(1352)年に示寂。 江蘇省常熟市、崇福寺の惟永法師のもと、20才で得度された。 23才で具足戒を受け天目山・高峰原妙禅師につき修行されたが為すことなく、高峰禅師の法嗣、及庵信禅師のもとへ向かわれた。 ここで石屋禅師は“法海中透網金鳞”と認められ浙江省平湖東門外の福源寺に入山された。 さらに、元の順宗至正年間、朝廷から金襴の袈裟を賜り禅風を弘揚されている。 その後禅師は、至正12(1352)年、病にかかり、“青山不著臭屍骸 死了仍須掘地埋 願我也無三昧火 光前絶後一堆柴” の遺偈を認め示寂された。 世寿81才。 ◇ 嶽林栯堂禅師について 中国、元時代の代表的な禅僧とされるが詳細は不明。 温州の人。 「八十三年 什麼巴鼻 柏樹成仏 虚空落地」の遺偈が伝わっている。 ◇ 中峰明本禅師(1263~1323)について 中国、元時代の代表的な禅僧。 臨済義玄禅師下の第19世に当たる(隠元禅師は32世)。 師は高峰原妙。 俗姓は孫氏、杭州銭塘県(現在の浙江省杭州市)出身。 字が中峰であり、幻住道人と号した。 各地に「幻住庵」と名付けた庵に仮住まいしつつ修行を続け、金襴の袈裟を下賜され、「仏慈円照広慧禅師」(元・仁宗)ほか、智覚禅師(元・文宗)、普應国師(元・順宗)の号を賜っている。 日本人では、古先印元、無隠元晦禅師が嗣法している。 中峰禅師は仏教と、儒教の調和融合を主張し、「教禅一致」思想の先駆者と言える。 |
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三 籟 集 序 |
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夫三籟並鳴没絃音韻畢著。 四居己作列祖聲光嘗然。 是以寥々法門鏗々雅致。 絶唱古今者斯集可歟。 |
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〔和訓〕 | 夫れ三籟(さんらい)並び鳴りて、没絃(もつげん)の音韻 畢(ことごと)く著(あら)わる。 四居(しきよ)己に作して、列祖の聲光(せいこう)嘗然(げんぜん)たり。 是を以って寥々(りようりよう)たる法門、鏗々(こうこう)たる雅致(がち)。 古今に絶唱する者、斯の集を騐(こころ)む可き歟(か)。 〔大意〕 天籟(天地自然の音響。 自然になる風の音など。)、 地籟(地上におこるいろいろな音。地上の音響。)、 人籟(天籟・地籟に対して、人の吹きならす鳴り物の音。 笛の音や歌声など。)と言われる三籟は、弦も無いのに種々の音色を競い合うように奏で、鳴りわたっている。 だから、四居(山居、船居、水居、鄽居(てんきょ)の生活をしていると、歴代の祖師方の声光が厳然と現れるのである。 このためにひっそりと隠れたような法門も、琴の音のような風流さも、ともに古今に絶唱した歌は、この詩集によって試されるといえよう。 |
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然或有云、教外別傳唯明心見性而後己。 假文言聲頌短句長篇爛漫葛藤。 無乃徒亂耳目引人情識。 奚有了期曷補於道。 噫子之所論古之糟粕局於一時。 |
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〔和訓〕 | 然れども或る人云いしこと有り、 教外別伝唯だ心を明め見性して而る後ち己む。 奚(な)んぞ文言(ぶんげん)聲頌(せいじゆ)、 短句長篇、 爛漫たる葛藤を假らんや。 無乃(むしろ)徒に耳目を亂し、 人の情識を引く。 奚んぞ了期有らんや、 曷(な)んぞ道に補あらんやと。 噫あ子(なんじ)之論ずる所、 古之糟粕一時に局(かかわ)る。 〔大意〕 しかしある人がこんなことを言った。 禅宗は教外別伝だから、心を明らかにし見性さえすれば良いのでは。 なにも文章や言語、音声によって諷頌したり、短句長編の爛漫とした葛藤を持ち出す必要などないのではないか。 これらの詩はかえって耳目を乱し、人の強情さを引きずり出すばかりで、百害こそあって何の利益があろうか、などとすら言う。 ああ、なんと言うことか、なるほどこうした人たちが論じているのは、古人が不立文字などと言った精神の絞りかすだけに拘泥した見方をしていると言っても言い過ぎではないか。 |
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何異執結縄之政而棄文質彬々之道乎。 且威音未現之前。可談全彰無作之美。 両儀既判之後。 豈没三光並照之功。 |
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〔和訓〕 | 何ぞ結縄(けつじょう)の政(まつりごと)を執して、 文質(ぶんしつ)彬々(ひんひん)の道を棄(す)つるに異らんや。 且つ威音(いおん)未現(みげん)の前は、 全彰(ぜんしよう)無作の美を談ず可し。 両儀既に判たれて後、 豈に三光並照の功を没せんや。 〔大意〕 昔は結縄といって「縄を結びて治まる」という時代があったが、表面と内実とがともに備わることを求められる君子が、政を捨てるのと少しも異ならないではないか。 しかも威音王出現以前であるならば、結縄の如きことは悟りの境地を話すこともなかっただろう。 天地が分かたれた今日、どうして日、月、星の輝きを忘れて良いものか。 |
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夫七佛已往皆以偈傳法。 有祖以来莫不以偈印心。 故師師相授、至於曹溪書偈顯名。 迄至三祖信心銘著焉。 爰及馬師踏殺天下、則有百丈黄檗臨済大機大用出焉。 |
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〔和訓〕 | 夫れ七佛より已往(このかた)、 皆偈を以って法を傳う。 祖有りてより以来、 偈を以って心に印せずということなし。 故に師師相授し、 曹溪に至りて偈を書して名を顯わす。 三祖に至るに迄(およ)んで信心銘著わる。 爰に馬師、 天下を踏殺するに及んで、 則ち百丈、 黄檗、 臨済の大機大用有って出ず。 〔大意〕 七仏より以後、皆、偈を以て法を伝えることになっているが、初祖・達磨大師以降は、さらに偈を以て法を心から心へと印することとなってきた。 これにより師々相い伝授し、六祖・慧能大鑑大師へと伝えられ、偈を記したことによって寧ろ名を高められたのである。 三祖・僧璨鑑智大師の時代には早くも「信心銘」が著わされている。 ついに馬祖道一禅師は天下を席巻されるに及び、百丈懐海禅師、黄檗希運禅師、臨済義玄禅師の各禅匠がたが大機大用を働かせられ続いて出られたのである。 |
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棒喝交馳、逸格超群。 轟々烈々、徧満寰区。 聲徹九重王臣皈敬、 龍象濟々、風韻磊落、 禅林禮楽備焉。 而雅言懿行。 足以開人心目挽回正氣。 縦横大道、庶人主、坐致太平。 |
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〔和訓〕 | 棒喝交馳し、 逸格群を超えん。 轟々烈々(ごうごうれつれつ)として寰区(かんく)に徧満。 聲九重に徹し王臣皈敬して龍象濟々(さいさい)たり。 風韻磊落として、 禅林の禮楽備われり。 而して雅言懿行(いこう)、 以って人の心目を開き正氣を挽回するに足れり。 縦横たる大道、 庶の人主、 坐して太平を致す。 〔大意〕 馬祖道一禅師をはじめとするこの和尚がたの禅界では、棒喝交馳し、優れた人材が相次いで輩出し、彼らの活躍ぶりは天下に鳴り響いたばかりか、その名声は宮廷にまで届いていた。 寺院には優れた能力を持った僧たちで満ちあふれ、その気品とスケールの大きさは、禅林としての風格にかなったものであった。 このような次第であるから、彼らの立派な言動が、人々の心眼を開かせ、人間としての正気を取り戻させてくれるのだ。 さらに人間としての平穏さ、幸せを座したまま感じるのである。 |
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有裨世教者多矣。 或一點一語一偈一頌、皆従諸老清浄胸中流出、蓋天蓋地。 與夫日月、並明乾坤鞏固。 遠及大千至於今日。 豈小補也哉。 |
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〔和訓〕 | 世教に裨(たす)け有る者多し。 或いは一點、 一語、 一偈、 一頌。 皆な諸老の清浄の胸中従り流出し蓋天蓋地なり。 夫の日月と、 並び明らかに乾坤鞏固(きようこ)なり。 遠く大千に及びて今日に至る。 豈小補ならんや。 〔大意〕 世俗の社会を生き抜く知恵を持っている人は多い。 だから、そうした人々の一点、一語、一偈、一頌は、どれもみな彼等の清浄な胸中からほとばしり出たものであり、この世界に満ち満ちているのである。 太陽や月と同じくこの森羅万象宇宙全体に広がり、今日まで伝わっているのだ。 これが助けとならないと言うことがあろうか。 |
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丈室無事。 聊閲石屋山居詩、乃知。 本色住山人、了無刀斧痕。 詠雪則曰。 山家富貴銀千樹 漁夫風流玉一簑。 徹見此老胷中不凡。 |
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〔和訓〕 | 丈室無事。 聊か石屋山居詩を閲して乃ち知る。 本色住山の人、了に刀斧の痕無きことを。 雪を詠じては則ち曰く。 山家の富貴銀千樹。 漁夫の風流玉一簑と。 此老の胸中凡なら不ることを徹見す。 〔大意〕 これということもなく石屋禅師の山居詩を閲覧していて知ったことだが、隠遁生活をするような人は、如何に自然を大切にされていて、意図的に彫刻をした後を残すようなことはされないと言うことである。 例えば四十番目の雪のことを詠まれた詩では、 『山家の富貴銀千樹 漁夫の風流玉一簑』 と詠まれ、この和尚の胸中が凡庸でなく実に優れた方かを知る。 |
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讀栯堂山居詩、味其博雅風騒、慨世典章。 如五斗折腰元亮仕。 千鐘僣爵董賢侯。 靑羝夜雪憐蘇武。黄犬西風嘆李斯相韓卿趙裩中虱。 覇楚王呉檻外猿之類。 皆點破名医権勢。 夢幻空花。 爰足爲貴。 |
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〔和訓〕 | 栯堂山居詩を讀んで、其の博雅の風騒を味わうに、慨世の典章なり。 五斗腰を折って元亮仕え、千鐘爵を僣して董賢侯たり。 靑羝夜雪蘇武を憐み。黄犬西風李斯を嘆ず。 韓に相たり趙に卿たるも裩中の虱(しつ)。 楚に覇たり呉に王たるも檻外の猿の類か、の如く、 皆名医権勢を點破す。 夢幻の空花。 爰ぞ貴しと爲すに足らんや。 〔大意〕 また栯堂禅師の山居詩を読み、その道の学識が如何に深く正しく詩文を作る事に長けた方かを味わってみるに、世を嘆き憂えることについての模範ともいうべきものがある。 例えば第五句目に 『五斗腰を折って元亮仕え、千鐘爵を僣して董賢侯たり』、 四句目では 『靑羝夜雪蘇武を憐み 黄犬西風李斯を嘆ず』、 二十九句目では 『韓に相たり趙に卿たるも裩中の虱 楚に覇たり呉に王たるも檻外の猿の類か』 と詠じ、どれもみな名医権勢を超越したところがあり、信心銘に詠われているように「夢幻の空花」をどうしてすべて貴いものとするに足るのかとの趣がある。 〔注〕 【夢幻の空花】 信心銘第23句目「夢幻空花 何労把捉 得失是非 一時放却」。 |
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更如拳伸夜雨靑林蕨。 心吐春風碧樹花。 徹見懐抱恢廓典雅入神。 然雖有天眞之奇妙。 細味不無所重其山林。 又恐局於一隅。 若夫過量圓活超宗異目之論 又何如也。 |
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〔和訓〕 | 更に拳を夜雨に伸ばす靑林の蕨(わらび)。 心春風に吐く碧樹の花の如き 懐抱 恢廓 典雅神に入ることを徹見す。 然も天眞之奇妙有りと雖も、細に味うに其の山林を重んずる所無きにあらず。 又恐くは一隅に局(かかわ)らんことを。 若し夫れ過量圓活、超宗異目之論ならば又何如也。 〔大意〕 さらに三句目の『拳を夜雨に伸ばす靑林の蕨 心春風に吐く碧樹の花』などとあるが如きは、包容力が広く大きくて、整って上品な様で、神の領域にも入ったほどに徹見している。 このように彼本来のすごさに溢れているとはいいながらも、子細に味わっていくと山林というものの大切さを重んじている所が見られる。 したがって、その精神は一句だけに留まらず、全体にも及んでいることと思われる。 もしこれがその域を超えた自由闊達な自由な意見とみるならば、これまたすばらしいことではないか。 |
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《 中 略 》 |
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萬治三年歳在庚子秋孟穀旦。 黄檗隠元琦謹譔。 |
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〔和訓〕 | 萬治三年の歳、庚子秋孟穀旦に在り。 黄檗隠元琦謹んで譔す。 〔大意〕 万治3(1660)年の年、庚子秋の良日、黄檗宗開山隠元が謹んで書き上げた。 |
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三籟集 巻之上 嗣祖沙門隠元隆琦編輯 元 福源石屋和尚 山居詩四十首 |
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其一 | ||||||||||||||||||||||
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吾家は霅渓(とうけい)の西に住在す 水は天湖に満ち月は渓に満つ 未だ到らざれば盡く驚く山の険峻 曾て来って方(まさ)に識る路の高低 蝸涎(かえん) 素壁に 枯殻(こかく)を粘じ 虎過ぎ 新蹄雨泥に印す 閒に柴門(さいもん)を閉じ 春晝永し 青桐花發(ひら)いて畫胡(がこ)啼く |
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〔大意〕 吾家は江蘇省常熟市の西にある 水音は天に響くように満ち月は満々たる渓の水面に映っている 山は登ることも出来ないと想わせるほど険しい ここへ来る時に知ったがその道路の高低さのひどいこと 蝸の通った後が壁にこびりつきそのままだし 虎が通り過ぎたところだろうか新しい足跡が雨泥に残っている 静かに柴門を閉じれば春の昼時は時間がゆっくりと過ぎていくようだ 青桐の花は咲きほこり絵に描いたような美しい鳥が啼き騒いでいる 【註】 ◇霅渓=浙江湖州の別称。 現在の江蘇省常熟市。 ここでは石屋和尚が退隠した西天湖のほとりの自坊のことをいっていると思われる。 |
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三籟集 巻之中 元 嶽林栯堂禅師 山居詩四十首 |
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其一 | ||||||||||||||||||||||
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千丈の巖前 杖黎(じょうれい)に倚(よ)る 有為(うい)須らく 及して無為に到るべし 言 悖出(ぼっしゅつ)するが如く 靑天の滓(かす) 行い中(あた)らずして修するに白璧の玭(ひん) 馬に喩えし豈能く萬物を窮(きわ)めんや 羊亡(うしな)って徒らに自ら多岐に泣く 霞西(かさい)の道者眉雲の如く 月上(のぼ)って門を敲き紫芝(しし)を送らん |
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〔大意〕 聳え立つ千丈の巌を前にしていては拄杖(しゅじょう)だけが頼りである そんなところだから何かをしていても無為な行動に感じてしまう 出てくる言葉すらも役に立たず、ただ広大な青空の絞りかすのようなものだ すること為すこと的を得ず 白玉に傷をつけた様な思いである 荘子は万物を馬に喩えたつもりだが本当にうまく喩えきれただろうか 羊を追う者が多岐に分かれた道の前で分からなくなって泣くようなものだ 西天の仙人たちの眉は雲のようだというが 月が上ったら彼等の門を敲いて紫芝を送りもっと修行をしなければ 【註】 ◇馬喩=『荘子』馬蹄第九。 ◇羊亡=『列子』説符。多岐亡羊。 |
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三籟集 巻之下 元 天目中峰和尚 四居詩四十首 |
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船居十首 其一 | ||||||||||||||||||||||
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世情何事をか日々に覊縻(きび)せらる 個の船居を做(な)して之所に任す 豈に是れ畸孤人共に棄てん 都て疎拙に縁って分相に宜し 漏蓬礙えぎらず空に当って掛かる 短棹何をか妨げん近岸に移るを 仏法也(ま)た知る用いる處無きを 従教(さもあらばあれ)日灸ると風吹くと |
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〔大意〕 この世のことは何事についても自由を拘束される日々である 船住まいをしていればただ船の進むままである 風変わりだと思われようがそんな気持ちすらも捨ててしまった 全てを捨てて疎縁になったが分相応のことだ この船はぼさぼさの屋根でそのままに空が透けて見えるし 短い棹しかないが近隣の岸に寄るのには十分だ こんな生活だから仏法も必要だなどということはない 暑い日がこようが風が吹こうが自由自在だ |
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山居十首 其一 | ||||||||||||||||||||||
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胸中何をか愛し復た何をか憎まん 自ら愧ず人前百不能なることを 旋(しき)りに断雲を拾い破衲を修す 高く危磴(きとう)を攀(よ)じて枯藤を閣(お)く 千峰 環繞す半間の屋 萬境空間なり一個の僧 此の現成公案を除いて外 且つ佛法の傳燈を継ぐ無し |
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〔大意〕 いったいわたしは何を愛し何を憎まんとしているのか 周りの人たちに対し何も出来ないことを自ら恥じ入るばかりだ こんな山中にこもって雲を拾うような生活をし破れた衣を繕っている 危険な岩山をよじ登り枯藤を集めている 山ばかりが周りを囲む小さな家であるけれども そこに居る一人の僧はこの宇宙を家とするつもりでいるのだ これこそが現成公案でありこれを除いてほか 仏法本来の伝統を継承する手立てなどないではないか |
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水居十首 其一 | ||||||||||||||||||||||
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道人孤寂棲遅(せいち)に任す 跡を湖村白水の西に寄す 四壁烟昏(くらく)して茅屋窄く 一天は霜重くして板橋に低れる 驚濤(きようとう)岸を拍って生滅を明らかにし 止水空を涵(ひた)して悟迷を示す 万象平沈して心自ずから照らかなり 波光常に月輪と斉し |
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〔大意〕 道人は独り静にのんびりと過ごしている 場所は湖村の清らかな川が流れる西側である 住まいはすすで薄暗く草屋根はいたって狭い 空は霜を降らしどんよりし小川にかかった橋にも雲がかかっている 荒波は岸に打ち寄せ自分の生き様を誇っているかのようだし たまり水は周囲を写し何でもお見通しといっているようだ 森羅万象全て整っていてわたしの心も自然とさえてくる 私の心にきらめく光も月の光と等しいのだから |
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鄽居十首 其一 | ||||||||||||||||||||||
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