黄檗宗・慧日山永明寺HP |
宗祖真空華光大師遺誡 |
〔解説〕 文字通り宗祖の遺誡として伝えられているものですが、全文が遺誡として記術されたという記録は残されてはいません。 となれば、宗祖に代わって誰かが記したものかというとそうでもないようです。 何故なら本文の個々の部分は、宗祖の「老人餘嘱語」や「語録」等に散見されるからです。 今日の研究では、後世に、誰かが宗祖の書かれた文書から重要な部分を抽出し編纂、まとめ上げたものとする見方で一致しているようです。 また、この遺誡が何時の頃から使われ出したのかも定かではありません。 今日では、私たち児孫を励ましてくださる宗祖のお言葉として、宗門行事のあと、広く読まれています。 |
夫れ衲子(のつす)となって、生死大事のために腰包(ようぼう)頂笠(ちょうりつ)、宗師(しゅうし)に参叩(さんこう)し縁合(かな)うときんば即ち住し、合(かな)わざるときんば去る。 〔大意〕 僧侶となったうえは、「生死大事」のために衣の裾を絡げ、網代笠をかぶり行雲流水。 よき師匠を見つけて参禅修行し、縁があればとどまり、縁が無ければ去るがよい。 倶(とも)に聖制(しょうせい)に遵(したが)って禁足安禅、昼三夜三(ちゆうさんやさん)己窮下(こきゆうか)の事(じ)を究明するを務とせよ。 〔大意〕 定められた規則に従って夜も昼も修行に努めよ。 〔注〕 【昼三夜三己窮下の事を究明するを務とせよ。】國師廣録巻十五「津陽彦信士に示す」にあり。 【昼三夜三】昼夜六時(晨朝、日中、日歿、初夜、昼夜、後夜)のこと。 参禅は一人(いちにん)と萬人(ばんにん)と敵するが如くに相似たり。 危亡(きぼう)を顧みず、賊の陣中に入(い)って賊首を取り而(しこう)して辟(かえ)る、始めて是れ大雄(だいおう)氏の猛將なり。 〔大意〕 参禅するということは、煩悩と戦うということで、まさにたった一人が百万人の敵と向かい合うのと同じである。 危険を顧みず、敵の陣中に入っていって大将の首を取って帰る事が出来るなら、それこそお釈迦さんの弟子として ふさわしいといえる。 〔注〕 【参禅は一人と萬人と敵するが如くに相似たり。 危亡を顧みず、賊の陣中に入って賊首を取り而して辟る、 始めて是れ大雄氏の猛將なり。】廣録巻十五「江月居主人に示す」にあり。 【大雄氏】釈尊の一族のこと。 志を矢(ちか)って進取せば、たとひ道眼(どうげん)未(いま)だ明ならずとも虚(むな)しく信施(しんせ)を蠢(と)するに到らざらん。 〔大意〕 煩悩を退治ようと参禅したということは、少なくともそれなりの志を持っていたはずなだ。 だから、それに向かって努力するなら、たとえ解脱することが叶えられなくとも、修行者のために布施をしていただいた 人々の気持ちを無駄にするものではない。 〔注〕 【虚しく信施を蠢するに到らざらん。】黄檗清規「梵行章第五」の最初頁末にあり。 禅暇(ぜんか)妨げず、博(ひろ)く蔵典(ぞうてん)尊宿の語録を覧(み)ることを。 〔大意〕 四六時中、あらゆる書物に目を通すことも大切である。 〔注〕 【禅暇妨げず、博く蔵典尊宿の語録を覧ることを。】清規「梵行章第五」⑤の次にあり。 この項は、それまで禅門にお いて外典を読むことが、避けられる風潮にあったなかで、打坐ばかりでなく、余暇には広く典籍に目を通すことを主張され ている点で、注目すべき一項である。 梵行(ぼんぎよう)既に虧(か)くれば、たとひ妙解(みようげ)あつて三蔵の玄言(げんごん)を誦(よみ)得(う)るとも、臘月(ろうげつ)三十夜到来せば半字(はんじ)もまた用(よう)不着(ふじやく)。 〔大意〕 僧侶として欠ける様な行いがあるならば、たとえ悟りを開いていようが、最期のぎりぎりのところでつまずこうが 誰も助けてくれもしない。 〔注〕 【梵行既に虧くれば、たとひ妙解あつて】清規「梵行章第五」④の前にあり。 【三蔵の玄言を誦得るとも、臘月三十夜到来せば半字もまた用不着。此の時に當って臍を噛むとも及ぶことなけん、】 清規「梵行章第五」にあり。なお、『臘月三十夜到来せば半字もまた用不着』は、廣録巻十四「龍谿上座に示す」にも。 此の時に當って臍(ほぞ)を噛むとも及ぶことなけん。 〔大意〕 その時になって慌ててもまにあわない。 倘(も)し人身(じんしん)を失すれば、また、何(いず)れの道に落んということを知らず。 〔大意〕 もし、死んでしまったとしても、果たしてもう一度人間に生まれてこられる保証は無いぞ。 禅道の名を聞(きか)まく欲するとも詎(な)んぞ得(う)べけんや。 〔大意〕 解脱したいと追ってもそれは叶わぬことだ。 それ人は萬物の霊たり。 〔大意〕 幸いにして人は万物の霊と言われ、考える事の出来る尊い存在である。 〔注〕 【それ人は萬物の霊たり。】廣録巻十五「獨廣方居士に示す」にあり。 この時覚(さと)らずんば更に何(いず)れの時をか待たん。 〔大意〕 折角、人間というこの世で最高の存在としてある以上、この時に解脱せずしてほかに何を求めようというのか。 末代澆薄(ぎようはく)にして唯安逸を好む。 〔大意〕 時が経てば経つほど末法の世となり、ただ安楽をのみ追い求めんとする。 十指(じっし)水を沾(うるお)さず、百事(ひやくじ) 懐(かい)に干(あず)からず、横草(おうそう)拈(ねん)ぜず、堅草(じゆそう)拾わず、自ら謂(い)う、我れ参禅辨道(べんどう)これを屑(もののかず)ともせずと。 〔大意〕 自ら手を使うこともせず、全てのことに怠慢で、何もしようとしない。 また、まがったものを直そうともしない。 そんなふうでありながら、参禅辨道などものの数ではない、などと大口を叩く。 独り思わずや、老盧(ろうろ)碓(たい)を踏んで終(つい)に大器(たいき)を成じ、百丈(ひやくじよう) 鉏(しょう)を荷(にな)って永く人師(じんし)となる。 〔大意〕 振り返ってみれば、六祖慧能大鑑大師は、臼を挽きながら修行され遂に大成されたし、百丈懐海禅師は自ら作務の 先頭に立って修行僧の育成に努められた。 老僧故土(こど)に在りしとき黄檗を重興す。 〔大意〕 私(老僧)は、中国福建省に在ったとき、黄檗山萬福寺を重興した。 〔注〕 【老僧故土に在りしとき黄檗を重興す。数千指ありと離も普請の風日日堕さず。】清規「普請章第九」にあり。 数千指(すうせんし)ありと雖も普請の風(ふう)日日(にちにち)堕(おと)さず。 〔大意〕 数百人の修行僧がいたけれど、百丈禅師や臨済禅師の家風は日夜守り続けた。 ここに余喘(よぜん)すでに八旬(はちじゆん)に登る。 〔大意〕 そのように頑張ってきたが、すでに80才を超えてしまった。 猶木末(もくまつ)の残陽(ざんよう)のごとし。 〔大意〕 今は、木漏れ日のようなものである。 恐らくは在世多きことなけん。 〔大意〕 恐らく余命は僅かであろう。 汝等(なんじら)遵(したが)って之れを行わば、すなわち肖子(しようし)順孫(じゆんそん)たらん。 〔大意〕 お前たちが、この家風を守り続けてくれるなら、それでこそ私の弟子だと言える。 若(も)し爾(しか)らずんば吾が眷属(けんぞく)に非ず。 〔大意〕 もしそうでないなら、私の一門だなどということは許さない。 〔注〕 【若し爾らずんば吾が眷属に非ず。吾が門に入ることなくんば可なり。】清規「梵行章第五」④の前にあり。 吾が門に入(い)ることなくんば可なり。 〔大意〕 吾が門流に入らないなら構わないが。 ─ 完 ─ |
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