黄檗宗慧日山永明寺HP
 


こ う せ ん お し ょ う ぞ う わ
  高 泉 和 尚 襍 話
               
待者編

〔解説〕
  いうまでもなく、黄檗山第五代高泉性潡禅師
が、日常、弟子たちに、幾度となく語っていたと思われる指導時の談話集です。

  一読すればおわかりいただけますが、僧侶を志す者に心すべき事々が非常にわかりやすく、書き連ねてあります。 

  こうした著述として著名なものに「中峰和尚座右の銘」等がありますが、この高泉禅師の「雑話」も味わいがあります。

  戦前まではよく読まれたことのようですが、近年は余り読まれていないようなのでアップします。

  畢竟、何事も心構え次第。 その気になるかならないか、本人次第であるとの喚起に、自戒の思いが募ってきます。 

〔凡例〕 
 ○ 本編は写本が複数有るものの、僅かながら違いがあり、高泉全集の影印本に基づきました。 また、原本には句読点がなく、和訓の便宜上、小衲の独断で句読点をつけました。
                                   


 



 天光了。 快起来。 不要眠。 仏殿裡去念経。 打鼓了袈裟搭得好。 不要粗。 僧家要威儀細行。 不要彷彿。 
 
  
   〔和訓〕 
  天光
(あ)け了(おわ)る。 快(はや)く起き来れ。 眠ることを要せざれ。 仏殿の裡(うち)に去(ゆ)きて念経(ねんきん)せよ。 鼓を打了り袈裟を搭(か)け得て好し。 粗糙(そぞう)なることを要せざれ。 僧家(そうか)は威儀細行(さいこう)を要す。 彷彿(ほうふつ)することを要せざれ。 

  〔大意〕 
  夜が明けてしまうぞ。 早く起きなさい。 眠るゆとりなどないのだ。 本堂に行って勤行をしなさい。 開静太鼓が終わるまでに袈裟を着け終えるならよろしい。 乱雑なことはしてはいけない。 僧職にある者は作法にかなった綿密な立居振る舞いをすることが大切だ。 いい加減な振る舞いは許されない。
 


 拝仏要至心。 発大願力、念仏恩難報。 信施難消。 要知慚知愧。 要時々刻々念父母恩、孝順恭敬殷勤供養。 須知。 不孝人、定有業報。 若不知恩出家無益。 非仏弟子。

 
   〔和訓〕 
  仏を拝せんには至心ならんことを要せよ。 大願力を発し、仏恩に報い難きことを念ぜよ。 信施は消し難し。 慚
(ざん)を知り愧(き)を知らんことを要せよ。 時々刻々父母(ぶも)の恩を念(おも)い、孝順恭敬殷勤に供養せんことを要せよ。 須らく知るべし。 不孝の人、定んで業報(ごっぽう)有り。 若し恩知らざれば出家すとも益無し。 仏弟子に非ず。

  〔大意〕
  仏を拝むには真心を持っておこないなさい。 大願心を持ち仏恩に背かないように念じなさい。 信者の三宝に帰依する気持ちは大切だ。 その気持ちに対して自分がふさわしいかどうかを考えなさい。 
  常に父母の恩を思い、つつしみ敬い、丁重に供養をしなければならない。 親孝行の出来ない人には決まって悪い報いがある。 もし、親の恩を知らないようなことなら出家したとしても何の益があろうか。 仏弟子にももとることだ。



  大凡念経唱讃聲要和不消太高。 不好聴。 遶仏不得挽履作聲。 平常行路要低頭看地。 恐怕傷損虫蟻。 艀殺。 雖然無罪亦有艀報不可不慎。 如梵僧浮杯被梁武帝艀殺是也。
 
  〔和訓〕
  大凡
(おおよそ)念経唱讃の聲は、太(はなはだ)高きを消さず和すことを要せよ。 聴くに好からず。 遶仏(にょうぶつ)のとき履(はきもの)を挽(ひ)いて聲を作すことを得ざれ。 平常 路を行くには、頭を低れ地を看んことを要せよ。 恐怕(おそ)らくは虫蟻(ちゆうぎ)を傷損せんことを。 艀(あやま)りて殺す。 然も罪無しと雖も亦た艀(あやま)りて報ゆること有り。 慎まずんばあるべからず。 梵僧浮杯(ふはい)が梁の武帝に艀(あやま)って殺さるるが如き、是也。

 
  〔大意〕 
  およそ勤行をしたり語録を読む時は、大きな声が消えることの無いように声を合わせなさい。 聞いていても気持ちのよいものではない。 
  遶仏の時は、履き物を引きずり、話をしながら歩いてはならない。 普段、道を歩くには、下を向きよく地面を見なさい。 ひょっとしたら蟻などの虫を傷つけたりしないかと。 よく、誤って踏み殺すことがある。 しかも当方に罪が無いからと言っても、相手も誤って報復することもあるやもしれぬ。 昔、インド僧の浮杯
(フハイ)が武帝に殺められたことがあったが、それと同じようなことだ。

〔注〕【遶仏】八十八仏を讃え、仏の周囲を囲繞するように堂内を練り歩く法要。 【梵僧浮杯】不明



  入浴不可戯笑、後堕沸湯地獄。 凡有菓子飲食當先供佛、然後方用。 未曾供佛不得先食有罪過。 毎日清早起来、便要開門掃地焼香拝佛。 然后喫粥漱口経行、定香坐禅閉時随意看書。 客来即當備茶菓。 不要失禮。

   〔和訓〕 
  浴
(ふろ)に入って戯笑(げしょう)すべからず、後ち沸湯地獄に堕す。 凡そ菓子飲食あらば当に先づ佛に供え、然して後に方(まさ)に用ゆべし。 未だ曾つて佛に供えずして先に食することを得ざれ。 罪過有り。 毎日清早に起来りて、便ち門を開き地を掃い、焼香拝佛せんことを要せよ。 然して後、喫粥し口を漱ぎ経行(きんひん)し、定香坐禅し閉時随意に書を看よ。 客来れば即ちまさに茶菓を備うべし。 礼を失することを要せざれ。

  〔大意〕 
  浴場で笑ったりしてはならない。 沸湯地獄に落ちるぞ。 
  菓子や飲み物があれば、先ず仏前に供え、後に食べるのだ。 まだお供えもしていないものを先に食べるようなことをしてはならない。 過ちをもたらすもとだ。 毎日早朝に起床して、門を開き地面を掃いて、粥を食べた後は口をすすぎ経行し、坐香して随時に読書しなさい。 
  来客があれば必ず茶と菓子を準備しなさい。 礼を失するようなことがあってはならない。


〔注〕【経行】読経をしながら堂内を練り歩くこと。



  講話不得高聲大笑。 無意之事不必説他人是非不當説不可罵人謗人不必管人閑事見在家人第一要勧他行善事。 為人臣勧他忠義。 為人子勧他孝順。 好殺者勧他戒殺放生。 慳吝者勧他布施。 懶惰者勧他精進。 我慢者勧他謙下。

  〔和訓〕 
  講話せんとき高聲大笑することを得ざれ。 無益のこと必ず説かざれ、他人の是非を説くべからず。 人を罵り人を謗るべからず、必ず人の閑事を管せざれ。 在家の人を見ては第一に他に善事を行うことを勧めよ。 人の臣たるものには他に忠義を勧め、人の子たるものには他に孝順を勧めよ。 殺を好む者には他に殺を戒め放生を勧めよ。 慳吝
(けんりん)の者には他に布施を勧めよ。 懶惰(らんだ)の者には他に精進を勧めよ。 我慢の者には他に謙下(けんげ)を勧めよ。

  〔大意〕 
  法話をする際、高笑いをするようなことはやめなさい。 無益のことは絶対説いてはいけない。 他人の善し悪しや、人を罵ったり謗るようなことをしてはいけない。 他人の関係のないことをのぞくような話しをしてはいけない。 在家の人に話をする時は、第一に善いことをするように勧めなさい。 公僕たる人には、他人に忠義を行うことを勧め、親を持つ人には、孝行をするように勧めなさい。 殺生を好む人には殺生を戒め放生を勧めなさい。 物惜しみをする人には布施を勧めなさい。 だらしのない人には精進努力を勧め、人を軽んずる人たちには謙遜することを勧めなさい。



 叢林中住最有利益。 毎日要随衆坐禅早晩功課。 事事都要依規矩而行。 不敢偸安。 久之則此性純自然快楽。 故日習以成性。 

 
  〔和訓〕
  叢林中に住せば最も利益
(りやく)あらん。 毎日衆に随って坐禅し早晩功課せんことを要せよ。 事事都(すべ)て規矩(きく)に依って行わんことを要せよ。 敢えて安を偸(ぬす)まざれ。 之れを久しくするときは、則ち此の性純熟して自然(じねん)に快楽ならん。 故に日に習うときは以って性と成る。

  〔大意〕 
  叢林に入って生活することは、最も利益あることだ。 毎日、他の修行者とともに座禅し、朝晩 仏教学を学ぶようにしなさい。 何事もすべて叢林の定めに随って行うようにしなさい。 敢えて 安易な事を求めることのないようにしなさい。 もし、この気持ちを続けるならば、その姿勢が培われ、自然に快楽を得られるだろう。 つまり、毎日習慣として行うことは、自然に自分のものとなるのだ。



  今見出家人随師未久。 佛法未知叢林規矩不識便要住菴最是可嘆。 一住了菴無人譴責、佛也不拝、経也不念、要睡便睡〃。 到天光尚不肯起、将謂自己快楽。 不失了多少好事。 這等愚人雖曰出家與俗人何異。

   〔和訓〕 
  今の出家の人を見るに、師に随うこと未だ久しからず。 佛法未だ知らず、叢林の規矩も識らず、便ち庵に住せんことを要す。 最も是れ嘆くべし。 一たび庵に住し了れば人の譴責
(けんせき)も無く、佛も也(ま)た拝せず、経も也た念ぜず、睡りて便ち睡り睡りて睡らんと要す。 天光(あ)けるに到れとも尚肯(うけが)って起きず、将(まさ)に謂えり、自己快楽なりと。 多少の好事(こうず)を失し了ることを。 這等(これら)の愚人は出家と曰うと雖も俗人と何ぞ異ならん。

  〔大意〕 
  最近の出家の人たちを見ていると、師匠に随う人は少ない。 仏法のことは知らず、叢林の定めすら知らず、ただ、寺院に住むことのみを求める有様だ。 これは最も嘆かわしいことだ。 ひとたび寺院に入り込めば、人々からとがめられることもなく、仏を拝むこともなく読経をするでもない。 ただぐうたらと眠るばかりだ。 空が空けているというのに、わかっていると言って起きようともせず、しかも 「ああ気持ちよい。 もう少しで良いところだったのに。」 などと言っている。 こうした愚かな輩は出家とはいいながらも、何等俗人と変わることがないではないか。



 
  一旦無常到来不知有何伎倆。 只是随他駆逐。 不知撞入那箇驢胎馬腹裡去。 當此之時無及。 又有一等。 雖在叢林但是随群、逐隊無半點信心、終日喫了現成粥飯、不念信施難消、不顧人命無常、不知自己有何徳業。

  〔和訓〕 
  一旦無常到来せば何の伎倆
(ぎりよう)あるかを知らず。 只是れ他の駆逐に随う。 那箇の驢胎馬腹の裡(うち)に撞入(どうにゅう)し去ることを知らず。 まさに此の時にあたって及ぶこと無し。 又一等有り。 叢林に在りと雖ども但是れ群れに随い、隊を逐いて半點(はんてん)の信心無く、終日現成(げんじよう)の粥飯(しゅくはん)を喫し了りて信施の消し難きを念(おも)わず、人命の無常を顧みず、自己に何の徳業有るかを知らず。

 
  〔大意〕 
  一旦事ある時、何が出来る能力があるのか。 ただ他人から追い払われるのを待つのみだ。 どこかの驢馬や馬の腹の下に隠れてすがるのみではないか。 いざというときに何の手当も出来ない有様である。 また同じようなことだが、叢林で修行しているからと言っても、ただ堂衆に随いついて行くのみで、少しの信仰心もなく、一日、目前の粥を食べていても施主の恩を考えず、人の命の無常や尊さを顧みることもなく、施粥を受けるだけの徳が、どれほど自分にあるかすらも考えない。



  但愛説人是非、論人長短。 偸心不死面目可謂。 此是光頭百姓地獄種子。 雖在叢林有什麼交渉。 反不如俗人自営生計自己養家却無罪過。 苟有信心敬重仏法。 行些好事却有利益、生々不失人身。 

  〔和訓〕 
  但だ愛
(め)でて人の是非を説き、人の長短を論ず。 偸心(ちゅうしん)死せず、面目謂つべし。 此の是れ光頭(こうとう)の百姓は地獄の種子なり。 叢林に在りと雖ども什麼(なん)の交渉か有らん。 反って俗人の自ら生計を営み、自己の家を養うて却って罪過無きに如かず。 苟も信心有り仏法を敬重し、些(すこ)しの好事を行えば、却って利益有り、生々と人身を失わず。

  〔大意〕
  ただ好んで人の善し悪しを語り、他人の長所短所を論ずる。 盗み心が無くなるわけでもなく、僧侶の面目などあったものではないか。 このはげ頭は地獄を生み出す種子である。 寺院に住んでいるとはいいながら、いったい寺とどのような関わりがあろうか。 返って俗人が自分の生計を営みながら自分の家族を養っていることの方が、寧ろ罪過がないと言えよう。 いやしくも信心を持ち、心から仏法を敬い、僅かでも仏法に即した行為を行うならば、それこそ功徳があろうというもので、いきいきと僧侶らしさを失わないというものである。



  若在袈裟下失脚人身、則萬劫難復。 可不懼乎。 若知亦不顧真所謂無慚無愧漢與諸禽獣無相異也。 又有一等都無實徳實行實學只是外面張模作様要瞞人。 将謂有智恵瞞得人過。

  〔和訓〕 
  若し袈裟下に在って人身
(にんしん)を失脚すれば則ち萬劫に復し難し。 懼(おそ)れずんばある可からず。 若し知って亦(また)も真を顧りみず、所謂 無慚(むざん) 無愧(むき)の漢は、諸々の禽獣と相異なること無し。 又一等有り。 都(すべ)て実徳、実行、実学無く。 只是れ、外面に模(かた)を張り、様を作(な)して人を瞞(まん)ぜんと要す。 将に謂えり、智恵有りて人を瞞じ得て過すと。
 

  〔大意〕 
  もし袈裟をつけながら人間失格の行為をするようならば、いかほど生を受けたとしてもその責めを逃れることは出来ない。 その時に恐れることの無いようにしなさい。 もし、このことを知りながらこの法理を顧みない、いわゆる慚愧のひとかけらもないようなら、その辺の獣と何らかわることはない。 
  また違った種類の輩がいる。 まったく徳や行動、学問があるわけではなく、ただ形だけ整え僧侶然として人をだまそうとする。 そうした者たちは、まさに悪知恵をもって人をだまし続ける輩だと言えよう。



  誰知正是痴人愚人自瞞己心。 何人被瞞却。 縦瞞得一時終久敗露。 試看。 一向瞞心之人那一人不自敗至於漂白到處無處安身。

  〔和訓〕 
  誰れか知らん、正に是れ痴人愚人自ら己の心を瞞ずることを。 何人
(なんびと)か你(なんじ)に瞞却(まんきゃく)せらる。 縦(たと)え一時は瞞じ得るとも終(つい)に久しくして敗露(はいろ)せん。 試に看よ。 一向瞞心の人、那一人か自ら敗せざる。 漂白するに至って到る處、身を安ずる處無し。

 
  〔大意〕 
  誰か知っているだろう。 ばか者や愚かな人で、自ら自分自身をだます人のあることを。 いったいどれほどの人があなたに騙されようか。 たとえ一時的に騙せたとしても、だまし終えることなど出来ない。 最後には負けてしまうのだ。 試みに見なさい。 一向にこの悪癖の直らない人は、どの人であろうが自分から落ちぶれていくではないか。 他人からは相手にされず、身の置き所が無くなって自分の居場所が無くなってしまっている。



 秦不収。 漢不管。 聞其名者無不冷笑。 此無他。 蓋是最初無信心故一向随邪、遂悪魔入其不知。 不覚随魔處転造了多少罪業誠可憐愍。 又有一等依了師長剃了頭髪披了袈裟便生我慢。 不聴師長教誡。 自作自用不修徳業。 不作好人好與鄙人為侶。

  
  〔和訓〕 
  秦
(しん)は収せず。 漢(かん)は管せず。 其の名を聞く者冷笑せずということ無し。 此れ他無し。 蓋し是れ最初に信心無きが故に一向に邪に随い、悪を遂うて魔其心に入るを知らず。 覚えず魔の転ずる處に随って多少の罪業(ざいごう)を造り了(おわ)る。 誠に憐愍(れんみん)すべけんや。 又一等有り。 師長に依り了り、頭髪を剃り了り、袈裟を披り了りて便ち我慢を生ず。 師長の教誡を聴かず、自ら作し自ら用いて徳業を修せず、好人となさず好んで鄙人(ひじん)と侶と為る。 

  〔大意〕 
  秦は収せず、漢は管せず、と言う言葉がある。 秦や漢の名前を聞いただけで、冷笑しない人がないほどだが、それと言うのも、秦や漢の仕打ちは他に比する事の出来ないほどひどいものだったからだ。 結局、これは最初にあるべき信心というものがなく、そのため誤った心に基づき、悪を悪ともしらずに、知らずしらずのうちに悪をなしているのだ。 魔所に入り込むと、いつか多少なりとも罪業を犯してしまう。 まことに哀れむべき事である。 
  また違った種類の輩がいる。 師匠の指導も終え、剃髪を終え、さらに袈裟を着用する身分になったとたんに他人を馬鹿にし威張る人たちだ。 師匠の教えや戒めを聞かず、勝手気ままな振る舞いで僧侶としての徳行を積むでもなく、どうにもならない浮浪者のような人たちと交わっている。

〔注〕 【秦不収漢不管】 「秦不收魏不管」の間違いか。



  一日過一日一月過一月、作個無頼之徒、師長婆心訓誨不特不聴反生怨恨以至毀謗。 忘恩背義不識因果死堕地獄仏亦難救。 豈見、懺法之謗師毀師憎師嫉師法中大魔、地獄種子不知。 師長恩徳過於父母。

  〔和訓〕 
  一日を一日と過し一月を一月と過し、個の無頼の徒と作り、師長の婆心の訓誨を特
(よ)しとせず聴かず、反って怨恨を生じ以って毀謗(きぼう)するに至る。 恩を忘れ義に背き、因果を識らず死して地獄に堕すとも仏も亦た救い難し。 豈に見ずや。 懺法(せんぽう)の師を謗(そし)り 師を毀(そし)り 師を憎み 師を嫉(ねた)むは法中の大魔、地獄の種子なりと知らず。 師長の恩徳は父母に過ぎたり。

  〔大意〕 
  ただ漫然と一日を一日、一月を一月と、時の過ぎゆくままに過ごし、ならず者と化して師匠の訓戒を特に聞くわけでもなく、かえって逆恨みをして悪事を働く。 恩を忘れ信義に背き、因果の道理もわきまえず、死んで地獄に落ちた後も救いがたいとはこのことである。 どうして見ないのだろうか。 得度をし授戒をしてくださったお師匠さんを謗り、ののしり、ねたむなどとは法を求めることの大きな障害であり、地獄に堕ちるもとである。 師匠や年長者の恩徳は、父母の恩にも勝るものである。



 何以故夫為師者懐羅漢胎、生羅漢果、離生死苦、得涅槃楽豈小〃哉。 今若師長不敬、父母不孝則僧不成僧、俗不成俗無所成人。 命之曰禽獣可也。

  
  〔和訓〕 
  何を以っての故か夫れ師と為る者は羅漢胎を懐かしめ、羅漢果を生ぜしめ、生死
(しようじ)の苦を離れしめ、涅槃の楽を得せしむ。 豈に小〃ならんや。 今若し師長を敬わず、父母に孝ならざるときは、則ち僧にして僧と成らず、俗にして俗と無らず、人と成る所なし。 之れを命(なず)けて禽獣と曰(い)う可き也。

  〔大意〕 
  どうした理由からか、僧侶の師匠となるような方は、自分を育てた母を敬い、立派な僧を育て、その僧に生死の苦しみから離れさせ、涅槃の喜びを与えておられる。 簡単な事ではない。 今もし師匠や目上の方を敬わず、父母に孝養を尽くさない時は、それは僧侶でありながら僧侶でなく、俗人かというと俗人でもなく、先ずもって人間としての値打ちすらなく、これを名付けるなら禽獣と言うべきである。



 若能一念知非改過親賢人遠小人許。 是個霊利漢古者云遷善改過斯為美矣。

  〔和訓〕 
  若し能く一念、非を知り過
(とが)を改め賢人と親しみ、小人を遠ざけば你(なんじ)を許す。 是れ個の霊利(れいり)の漢、古者はこの善に遷(うつ)り 過を改めば斯れを美と為すと言う。 

  〔大意〕  
  もしよく考えて何が悪かを知り、その過ちを改めて賢人と交わり、人格的につまらない人たちを遠ざければおまえたちを許そう。 万物の霊長たる人間について、昔の人は善人となり、悪を改めればそれこそが人として良いことであると言っている。



 夫人之一心為善為悪福、無定準。 故曰三點如星象横勾似月斜、披毛従此得作仏也由他。

  〔和訓〕  
  夫れ人の一心は善となり悪となり福と為る定準
(ていじゅん)無し。 故に曰く。 三點星象(さんてんせいしょう)の如く横勾月斜(おうこうげっしゃ)に似たり。 披毛(ひもう)も此れに従り得、作仏も也た他に由ると。

  〔大意〕 
  本来、人の心というものは善となり悪となり、福となったりするもので、定まった基準など無い。
  「心」という文字が、星影のまたたくように点を3点描き、合わせて形を変える三日月に似せた形の線を書き表すとおりだ。 また動物に戻ったり、仏となったりするのも皆このことによるのだ。


〔註〕 【三點星象 横勾月斜】 = 「心」という文字を解示した表現。 転じて心のこと。  「横勾三點 似月如是」と表現されることもある。


 上来所説雖是信口而言信、筆而書、無半點文彩、止是平常口頭説話、却成真正家訓。 無用虚文也。 所以云。 書不必孔丘之言合義者従。

  〔和訓〕 
  上来説く所は是れ口に信
(まか)せて言い、筆に信せて書き、半點の文彩無し。 止た是れ平常口頭の説話なりと雖も、却って真正(しんせい)の家訓なり。 虚文を用ゆること無し。 所以に云う。 書は孔丘(こうきゅう)の言を必とせず、義に合えば従う。

  〔大意〕 
  これまで説いてきたところは、口に任せて話し、筆に任せて書いたところのものであるから僅かな飾り気すらもない。 また、へいぜいから話してきたところのものだが、それだからこそかえって誠の仏家の家訓ともいえるもので、嘘偽りなどもない。 だから言われているではないか。 家訓などというものは、孔子の言葉を借りるまでもなく、真義さえ通ればそれで道理にかなっているのだ、と。



 薬不必扁鵲之方、癒病者良。 若能聴而行之即是良器也。 苟不能行縦使學窮四庫、自富三車成得什麼。

 
 
  〔和訓〕 
  薬は扁鵲
(へんじゃく)の方を必とせず、病を癒すを良とす。 若し、能く聴いて之れを行わば即ち是れ良器也。 苟(いや)しくも行うこと能わずんば縦使(たと)い學四庫を窮め自ら三車(さんしゃ)に富むとも什麼(なんぞ)成し得ん。

 
  〔大意〕 
  薬は名医を必要とはしない。 病そのものが直ればその役割を果たせたというものである。 それと同じで、話をよく聞き実行すればそれだけで立派な器の人物である。 しかし、それが出来ないようであれば、たとえ君子に必要なあらゆる学問を修めていようが、また仏教に必要な教えをすべて身につけていようが何になろうか。 


〔註〕 【扁鵲】=〈人名〉戦国時代、鄭の名医。姓は秦、名は越人。 扁鵲は名医の代名詞としても用いられる。 【四庫】=中国の宮廷で、蔵書を、経・史・子・集の四種に分け、それぞれをおさめた四つの書庫。 【三車】=〔仏〕羊車と鹿車と牛車。羊車を声聞乗に、鹿車を縁覚乗に、牛車を菩薩乗にたとえる。法華経譬喩品の火宅喩にもとづく。三乗。



 㕝勧諸人。 當自猛省努力進修不得空過。 人身難得。 如盲亀値木一般。 還信得及広此是仏語。 非老僧杜撰誑帰諸人。 你若是個有智慧人。 自然一見便了。 

 
  〔和訓〕 
 㕝
(また)(なんじ)諸人に勧む。 當(まさ)に自ら猛省(もうせい)し努力し進修して空しく過すことを得ざれ。 人身得難し。 盲亀(もうき)の木に値(あ)うが如く一般なり。 還(かえ)って信得(しんとく)し広く及すや。 此れは是れ仏語、老僧が杜撰(ずさん)にして諸人を誑(たぶらか)すに非ず。 你若し是れ個の智慧有る人ならば自然(じねん)に一見して便ち了ぜん。

  
  〔大意〕 
  皆にすすんで申すことだが、まさしく自ら反省努力し、積極的に前進、むなしく時を過ごすようなことがあってはならない。 この身は得難いものである。
  「盲亀浮木」という語があるが、仏法をきく喜びにめぐりあえたことを喜ばねばならない。 これは、涅槃経にも書かれた仏語であり、こうした言葉を借りて話しをするのはいい加減と思われるかもしれんが、常識のある者ならば、自ずからわかることである。 


〔註〕 【盲亀浮木】=〈故事〉〔仏〕目の見えない亀が、百年に一回水面に出て、海上に漂う浮木にであって、たまたま浮木にあった一つの穴に入ったということ。 この世に人間として生れるのはむずかしく、仏法をきく喜びにめぐりあうのはさらにむずかしいという喩え。 また、出あうことの容易でないことのたとえ。〔涅槃経〕



 如世良馬見鞭影而行若是頑皮嬾骨棒折不醒。 聴自為。 非予咎也。

  
  〔和訓〕
  世の良馬
(りょうめ)の鞭影(べんえい)を見て行くが如し。 もし頑皮(がんぴ)嬾骨(らんこつ)ならば棒を折るとも醒めず。 (なんじ)自ら為(な)るに聴(したが)う。 予が咎(とが)に非ざる也。 

  〔大意〕 
  立派な馬は、鞭の影を見ただけで走ると言われるが、頑固者や怠け者であるならば、ムチが折れるほどにたたかれようとも目は覚めないだろう。
  おまえたち自身がなすだけのことであり、私の責任ではない。 

〔注〕【如世良馬見鞭影而行】出典は雑阿含経「四馬の譬喩」。無門関三十二則、碧巌録六十五則『外道問仏』にも見られる。




  
   -完- 
   
   
   
HPトップ   頁TOP    祖録表紙