榎木城

長浜市榎木町


■創築年

正和3年(1314)
■創築者  加納丹後守源吾兵衛
■形式 平城
■遺構 -
■別称 -
■面積  -
   

 榎木付近には、加納丹波守という武士が鎌倉末期住んでいた。『信長公記』に姉川合戦での戦死者として見られる狩野三郎兵衛、狩野次郎左衛門も、もしかしたら、加納家に一族を指すのかも知れない。

 また、『江州佐々木南北諸士帳』には、榎木に南接する加納(今の加納町)住として、加納藤右衛門を記している。榎木と加納は、中世同一の荘園域に含まれ、榎木加納荘などと史料に登場する。

それからすれば、加納丹後守の屋敷を、榎木に限らず、密接な関わりのある加納の内に求める事も不可能ではない。

 現在、加納氏の屋敷と伝えるところは存在しないが、最も可能性のある場所として、榎木の郷里神社(下の写真)付近が考えられる。当地には、圃場整備で土地の形が大きく変化しているものの、西庵屋敷と言われる所がある。今も小山状の高所になっているが、昔は高く広かったと言われている。この西に広がる水田は、蓮池と呼ばれ、以前は泥田であったとされる。西庵屋敷との関連が考えられる。

 この他、郷里神社の前に出城(上の写真)のようなものがあったとする言い伝えもある。西庵屋敷・蓮池などは、現在小字宮之前に編入されているが、その南部には堀之内・的場と言った小字があり当然参考にされるべきである。

 また、的場の西隣障子海道の北端には、圃場整備以前、整備以前、土塁が東西方向に20mばかり存在したと言われている。加納氏の屋敷を西庵屋敷付近に限定する事は困難であるが、その1つの候補地として考える事は可能であろう。

郷里神社