太尾山城

米原市米原(旧坂田郡米原町米原)


■創築年

室町時代中期
■創築者  米原氏
■形式 山城
■遺構 土塁・堀切・削平地
■別称 -
■標高  250m

城跡は北城と南城に別れており、その間は自然地形を残していますが、二つの城が同時期に存在したかは分かっていません。

北城の遺構は土塁と櫓台が残存しており、この櫓台に関しては中世の城郭に矢蔵の存在を示す貴重なものです。

南城の遺構については正方形にまとまった主郭を中心に土塁が見られ、北、東、南の尾根掘切で切断されています。

城郭の立地は鎌刃城と同様、江北と江南の接点に位置し、眼下に後の北国街道を望む要衝にあたり、軍事的な『境目の城』としての役割を果たしたと思われます。

京極氏にかわり江北を支配した浅井氏もこの重要地点に注目し、永禄三年(1561)浅井長政自ら太尾山城の攻略を行っています。

 

登口は青岸寺脇(北回り)と湯谷神社脇(南回り)にあります。

いずれのルートを選択しても同じ尾根に出ますが、清岸寺ルートは非常に整備され階段で山頂まで至れ、湯谷神社ルートは勾配の急な山道になります。

 

湯谷神社から登ると下記写真の堀切に出ます。

堀  切