玄蕃尾城

伊香郡余呉町柳ヶ瀬


■創築年

天正十一年(1583)
■創築者  柴田勝家
■形式 山城
■遺構 土塁・削平地・土橋・空堀
■別称 内中尾山城(柳ヶ瀬山城)
■標高  430m
■面積 150m×250m

 

馬出し虎口

応仁から文明年間(1467〜1487)に、柳ヶ瀬秀行が城を構えていた。

近江と越前の国境の重要な位置を占めていましたが、「賤々岳の合戦」時には、越前北の庄から南下してきた柴田勝家の本陣として、秀吉軍と最後の決戦地となりました。

 天正十一年(1583)佐久間盛政を先陣に、柳ヶ瀬山に陣を敷いた勝家は短期間に強大な城郭を築きましたが、本丸跡に立つと、この地に勝家が城を築いた理由がよくわかります。東側眼下に北国街道を見下ろし、北には越前境、南は谷間から余呉の町、そして遠く湖北平野の琵琶湖まで見渡せます。

 

 

本の丸から望む秀吉陣方面

搦手郭の土塁と空掘

 

 

玄蕃尾城〜行市山砦までの軍道検証

本丸跡 玄蕃尾城概要図