山東町間田の集落の大半が城域となっている。城域は大きく3箇所のに分けられ、南の遺構は左下の大手口を思わせる直線通路からなり、約20m先の左手一帯に、20m×30mの最高地(主郭?)が削平されている。その周囲も段状に削平地が連なる。主郭脇には小丘が残っており土塁の一部であろう。
中央の遺構郡は一帯が現住居地区で中央の寺院跡が主郭ではないかと思われ、屋敷区画の東面は道路との区切り部に薄い土塁及び土塁の名残りであろう細長い区画が道路に沿っている。
北の遺構は番上岡古墳跡地で、古墳一帯の丘状部の南面沿いの道路は恐らく掘り跡で平行した丘の麓は土塁跡で有ろうと思われる。
3域共に主郭らしき部分が存在し、且つ隣接しているので同一城館域であろうと思われるが、全体としてまとまった一つの城郭とした感じが掴めず、それぞれに違った時代の遺構なのかもしれない。
ちなみに、この大掛かりの城の必要性であるが、この地は大字小田同様に出雲井に近く、大原荘との境の地でもあり、伊吹町に本城を構える京極氏に対峙した大原氏の出城なのかもしれない。
大手口 |
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番上岡古墳
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