東野館

長浜市東野(旧東浅井郡浅井町東野)


■創築年 -
■創築者  東野行成
■形式 平城
■遺構 土塁、空堀
■別称 -
■標高  -

 浅井町に古くから権力を持っていた豪族東野氏の一族が、現在の東野の集落北東の林地一帯に居住していた館跡として知られる。

残存状態から推察する城館跡は、神社になったり、農耕地になったり、水害などで破損がひどく、明確な遺構は残っていません。館が築かれる以前、その辺りが古墳だったことも確認されていますが、館の中心が東野の隣村、醍醐の方にも広がった可能性も有る事が、土塁や堀の様子から考えられます。

『淡海温故録』の伊香郡東野の条に「東野左馬之介行成息行信弟平野左兵衛数代京極家旗頭ニテ西野東野共ニ武功アリ浅井三代ノ間元ヨリ軍忠度々也云々」の記述があり、湖北のもう一つの東野(余呉町)にも東野氏の城館が有ったことがうかがえます。この東野氏の城を「賤々岳の合戦」時には秀吉軍の堀秀政が戦闘用に改築して戦いました。

土塁