彦根市街地にある雨壷山の南山頂に遺構が確認できる。雨壷山は標高約130mの小さな山でありながら、山域にお寺や神社が12箇所もある。
『淡海温故録』の平田の頃に「平田山ニテ六角定頼上坂景宗ト対陣ニテ江北ヨリ大矢ニ磯野源三郎為員一族弓ノ門弟ヲ引率シテ矢軍を始ム江南ヨリ代々弓矢ノ伝家吉田安芸守定雄カ一党門族出向ヒ為員ニ現参セント指詰々々射出シタリ為員ハ大兵ノ大矢ニテ弓勢達者ヲ以一門共ニ代々相伝ノ弓矢ニテ鍛錬微細の功者ナレバ北方大ニ射シラマサレ為員タマラズ引退ク」と記されてある。
この矢戦の年代は今のところ定かでは無いが、六角の南軍と江北軍が、平田山の周辺で戦ったのであろうか?
遺構は主郭を中心に輪郭状に腰郭が配されている、輪郭は斜面に面しておりかなりの数に及びそうだ。他の遺構としては薄っすらと土塁が確認できる以外は見当たらない。
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土 塁 |
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