平塚館

長浜市平塚(旧東浅井郡浅井町平塚)


■創築年

-
■創築者  平塚氏?
■形式 平城
■遺構 土塁、堀
■別称 -
■標高  60m×60m

 平塚城は集落の南端に曹洞宗実宰院が在る。この寺院はかって実才庵と呼ばれ天台宗に属していたが、後に”小谷山実宰院”と改め曹洞院宗に属した。

 現在は約60m×60mで三方に土塁が巡り館の構えを呈しているが、浅井氏とのかかわりをもつ寺院である。

一方、羽柴秀吉が城主になった折、当寺に与えられた50石の朱印状が残っている。山門は小谷城の裏門と言われ、当初の位置は現在よりも南にあり、そこまで土塁が伸びていたと思われる。

 現在の本堂は徳川秀忠に嫁いだ「お依与(おごう)」が再建したものである。

平塚集落全体で見てみると、北西に鎮守の天神社が祀られ、実宰院が南に位置している。この社寺に囲まれた一区画(東西約120m、南北約80m)は、東・南・西を水路で遮断だれている。この一画に、平塚左近助の末裔平塚家が位置するが、浅井久政から同氏への書状から推し、同氏が平塚に居住する在地土豪であったと思われる。