七条城

長浜市七条町


■創築年 -
■創築者  七条氏
■形式 平城館
■遺構 土塁、堀
■別称 -
■標高  -

 七条町の小字養安にある城館である。やや長方形の屋敷の北から西にかけては、土塁が残っている。特に北西の土塁は見事な状態で約2mあまりあり、外側の堀と共に、往時をしのばせるものがある。

 現地ではこの土塁付近の林を、「ろうじんやぶ」と称しており、昔「ようあんろうじん」と言う人が住んでいたと伝える。また、七条町では当時の堀の掃除を毎年夏に行っているが、昔は「花戸の井たて」があるので集まるようにと触れたそうである。「花戸」は、当時そこに住んでいた老母の姓からきている。このように当地の川さらえを村の共同作業としてこなす事は、七条にとってこの堀が基幹用水として重要で有ったことを示している。したがってそう言った堀とセットになった本城の立地は、用水問題とここに居住した土豪の村落支配の関係を考える上で一つの参考事例となりうるで有ろう。

七条には、室町から戦国にかけて、野村、井関、松田、中村などの土豪が居住していたことが『大原観音寺文書』から判明する。天文5年(1536)の『伊吹神社奉加帳』には、七条安房守など4人の七条氏の名前がみえる。