磯野山城

伊香郡高月町磯野


■創築年

-
■創築者  磯野員昌
■形式 山城
■遺構 堀切・竪堀
■別称 -
■標高  271m
■面積 210m×75m

山本山から賤ケ岳に至る琵琶湖東岸の丘陵地の中間に位置している。浅井備前守の家臣、磯野丹羽守が代々城主を務めてきた城で、永正十四年(1517)に浅井亮政が江北の諸城を落とし、京極高清を小谷城に幽閉したときに、磯野右衛門大夫員栓は七百余騎をもって磯野山に籠もり反抗した諸将として語り継がれています。員栓の城の守りが固く、浅井氏も攻め落とすのに難渋しますが、員栓の子為員は山本山城の浅見氏を助けようとして、浅井方の宮沢平八郎員宗に討たれ、山本山城の落城に続いてここも落城します。 

その後は浅井家の重臣となり、永禄・元亀年間(1558〜1572)には伊予守として彦根・佐和山城主となり、磯野山城は新たに大橋安芸守秀元が城主となります。


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