観音寺から望む横山城

水汲みの井戸

石田三成が秀吉に仕えた頃の武将感状記に、『石田三成はある寺の童子也。

秀吉一日放鷹に出て喉乾く。その寺に至りて誰かある茶を点じて来れと所望せり。

石田、大なる茶碗にて七、八分ぬるくたてて持ち参る。秀吉之を飲み舌を鳴らし、

気味よし今一服とあれば、またたてて之を捧ぐ。

前よりは少し熱くして茶碗半ばに足らず。秀吉之を飲み、また誠に一服とある時、

石田此の度は小茶碗に少し許りなるほど熱くたててでる。秀吉之を飲む。

その気はたらきを感じ住持に乞い、近侍に使うに才あり。

次第に取立て奉行職を授けられぬ』と記されている。絵本太閤記では、

その寺を大原の観音寺としている。