大字清滝にあり、霊通山清瀧寺徳浄院を本拠とした清滝村の大半を占めている。
ここは、忠実にみる柏原庄の地頭であった柏原弥三郎氏の居館であった処、弥三郎悪業、追討の功ににより佐々木氏に与えられ、京極氏初代氏信によって建立、以来京極氏の菩提寺となる。
京極氏の山城は太平寺、上平寺と伊吹山中にあり、ここ清滝は里城と見るべきであろう。
特に五世道誉は、しばしば遍留しており、居城としての機能を充分持っていたと考えられる。
古図によれば、清滝村本堂は居館の外にあり十二の坊が描かれている。現状になったのは九亀藩主高豊によって整備され、先祖の墓塔宝避院塔19基は国の史跡になっている。京極氏は、太平寺、上平寺及び清滝寺と寺院を利用している事は注目される。
現在、特に城郭としての遺構は無いが、山ろく高台にある清滝寺及び十二坊跡そして寺の南側、清滝村を抱くように東へ延びる山地には削平地があり、土塁、竪掘等の遺構が確認できる。
又、北側清滝山の山頂に砦跡があり、ここに立てば太平、上平寺はおろか湖北の領主として正に湖北を一望できる。
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