小堀氏館

長浜市小堀町


■創築年

1500年末期
■創築者  小掘氏
■形式 平城
■遺構 -
■別称 -
■面積  -

のちに小堀遠州をだした小掘氏の屋敷跡である。同家は山門領平方荘上郷内の小掘居住した土豪で、永享7年(1435)の勧進猿楽棧敷注文次第(『長浜八幡宮文書』)に『小堀殿』として登場するのが初見である。その後近くの総持寺の文書に土地の寄進者、売主として戦国初期まで登場する。浅井氏に仕えたことは間違いないが、その滅亡を待たずに秀吉の旗下に入ったらしい。

慶長七年(1602)検地の際作成された絵図が残っており、移住直後の状況を知ることができる。場所は、小堀町小字東方の一部で、絵図には「小堀新助殿屋敷」と記されている。絵図中の屋敷付近は、縦横に道と水路がめぐっていて、何処までが屋敷であるのか判断に苦しむ。同じく同村に残る検地帳によれば、六畝七歩を「新助殿やしき」として登録しているが、これでは規模が小さすぎるであろう。慶長絵図によると、南に「馬かけ場々」、「下司村堀」があり、屋敷との関連が指摘される。特に、後者は細長い池として現在も水をたたえており、地元では「ばんば堀」と呼ばれている。この堀が屋敷を回るものであったとすれば、先の屋敷地の比定は、もう少し東へ範囲を拡大させる必要が有るかもしれない。

 

小堀氏館遺跡