米原市顔戸(旧坂田郡近江町顔戸)
■創築年
鎌刃城主土肥氏の被官が大字顔戸に住したと伝え、いまもその末裔が住まいされている。
北に日撫山をひかえ南は幅約1.5m程の河川が流れる。東はかって幅約2m×高さ1m程の土塁が築かれていたと云う。この土塁の取り付いていた日撫山にはその痕跡が認められると共に山の斜面三箇所に郭状の平坦面が存在する。更に東方100mの通称向山北側斜面、及び川と平地を隔てた50m程向かう側の日撫山の舌状突出部にも郭状削平地が認められる。この削平地は点々と西方に続き、籾居氏背後の郭状地につながっている。