「小谷城地名図」によると「大吉寺」とは左図の青四角枠である。須ヶ谷温泉の谷間で、小谷城南東斜面に降った雨水がすべてこの谷筋に集合し、小谷山では清水谷に次いで水利に恵まれた場所かもしれない。
青丸には、山中から流れる大きな川堀が4本合流しており、遺構としては土留め石積みも見られるが、期待していた貯水施設遺構は見当たらなかった。
地名と地形的条件から判断して、ここが水源(水の手)であった可能性は非常に高いが、水の手の標高は150m〜本丸は350mであり、比高200mもの間を、サイフォンで汲み上げる技術が果たして存在したのであろうか?
赤線のルート、須ヶ谷温泉背後の尾根筋も山城まで探査してみました。
赤線下部から登ると、2箇所のピークを通過する。いずれにも腰郭、犬走り、小削平地など改修された跡が見られ砦として機能していたであろうことが伺える。
赤大丸の「巨岩」とは小谷山には珍しく、尾根上に巨大な岩盤が露出しており、岩盤の割れ目や合間をうねりながら、やっと通過することが出来る。これら岩盤が尾根を遮断し防禦の役割を果たしているためか?斜度の緩やかな尾根であるにも関わらず、堀切等の防禦施設が全く見たらない。
唯一、城域に達する直前の赤小丸には堀切が見られた。
この道が行き着いた場所は、2〜3段の削平地を経て大石垣に至る。 |