脇坂甚内安治屋敷跡

大嶽山西麓の谷筋に脇坂家の屋敷跡が有る。

脇坂家の始祖甚内安治は天文23年この地に生まれ浅井長政の家臣脇坂安明の養子となり小谷城落城後羽柴秀吉に従い賤々岳の合戦において七本槍の一人としてその功績を認められ徳川時代には伊予国五万三千石の領主として寛永三年七十三歳で没した。三代目安政により播州滝野城主として今日に至る。


脇坂安治の産湯の池

旧脇坂村の氏神として祀られる稲荷神社(俗称:明神様)にある。