大野木土佐守屋敷

長浜市東上坂町


■創築年

-
■創築者  大野木土佐守茂俊
■形式 平城館
■遺構 土塁
■別称 -
■標高  -
■面積 -
   

 大野木家は、坂田郡大野木(今の山東町の内)の出で、浅井氏の時代東上坂の地に移り住んだと言われる。

『郷野文書』の中に、大野木土佐守茂俊の書状があり、同氏が長岡(今の山東町の内)附近に知行地を得ていた事が分かる。

 また、茂俊は姉川の合戦の際、横山城の守将であったと言われる。その後、子孫は秀吉や前田家に仕える者、東上坂に残る者などに分流した。東上坂の子孫は、田辺と改姓し、しょうわのはじめまs昭和の初めまで当地へ居住した。

 なお、『江州佐々木南北諸士帳』には、西上坂の住人として大野木土佐守直国の名をあげている。

 現在、東上坂町の集落の北端に、長屋敷古墳と呼ばれる小さな所がある。ここは、「土佐守大野木家先祖代々の墓」と刻まれた2mあまりの石碑があり、まわりに五輪塔、宝篋院塔の残欠がまとめられている。碑の裏には、「昭和十四年三月建之 墓主田辺正信」とある。さらにその北の奥には。「大野木土佐守夫婦石跡」と記された小碑がある。これらの碑の由来については、大野木家の末裔と伝える田辺氏が当地を離れているので不明であるが、「入寂之地」との記載から、この附近に屋敷がことも考えられなくはない。この墓地の東隣の家の北側には、古墳に続いて土塁が存在するが、地元では土佐守屋敷との関連性は伝えていない。

 また、子孫といわれる田辺氏の家は、墓地の南方の現在広場となっている所であり、これも屋敷の候補としてあげる事が可能かもしれない。