築城は京極氏か大野木氏による境目の詰城であると思われる。 別称:田中城といわれ、織田信長が足利将軍を連れて京へ上るとき、将軍は成菩提院へ止宿、自らは田中城に入るとある。
現地の案内板より
山頂部には、まさに千畳敷の名に相応しい大削平地(150m×100m)があり、平地から見られる雑木に覆われた山頂の様子とのギャップと広大さに圧倒される。
千畳敷遺構の南端には神社の祠があり、その脇には人為的な石郡築かれていた。
近江側の眺望は開けているが、濃尾方面には山並みしか望めず、街道や平地の監視には向かない。
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