下坂氏館

長浜市下坂中町


■創築年

-
■創築者  下坂氏
■形式 平城
■遺構 土塁、堀、郭
■別称 -
■標高  -
■面積 89×87m

 遺構は下坂中町の最も北に位置する。南側の東方を欠損しているものの堀と土塁の残りは極めて良好であり、湖北屈指の平地城館遺構といえよう。茅ふきの門と主屋は、中世そのままの姿をみているようである。土塁の高さも2mを越える場所もある。鬼門の土塁上に鎮守を、その反対に稲荷の祠をそれぞれ配している。虎口は、南側の門の所と、東側の中央にある。後者から堀を隔てて東に広がる林は広大で、かつ周りより高所であり、虎口の位置を念頭におけば、何らかの関連施設であった可能性もある。稲荷の祠のすぐ西にも土塁の落ち込みが有るが、これは新造のものであろう。

 門前の川と道路の間は、現在子孫の方が経営する病院と駐車場になっているが、かっては畑で、馬場と呼ばれていた。また、屋敷続きの東側にある不断光院は、下坂氏の氏寺である。本道裏手には、下坂氏の累代の墓があるが、江戸時代以降のものが大多数を占める。むしろ、同所から更に東へ行ったT字路の東北隅にある墓地の方が、室町期の五輪塔・石仏が存在し、中世下坂氏との関連を物語っているようである。


*******  2005-05-22現地説明会概要  *******

 

 平成16年から規模や年代を把握するため測量調査及び確認調査を実施。

確認調査は、主郭及びそれに付随する土塁・堀、および腰郭の虎口周辺について行われました。

主郭を中心に行った調査は5箇所(トレンチ1〜10)に調査区域を設定して実施しました。内2ヶ所について土塁、堀が確認されました。出土遺物は14世紀半ばから16世紀終頃の土師器の皿が主に出土しており、その他信楽焼、常滑焼や青磁などが出土しました。トレンチ1〜10は調査終了後に埋め戻しを行いました。

腰郭の調査は、虎口周辺に5ヶ所(トレンチ6〜10)のトレンチを設定し行いました。調査の結果、腰郭に付随する土塁と、主郭に通ずる虎口、それに伴う階段などの遺構を検出しました。13世紀後半から15世紀頃の土師器の皿や山茶碗などの遺物が出土しています。

 

 腰郭の東端、主郭へとつながる虎口から、階段遺構を検出しました。盛土によって築造されており、想定される幅はおおよそ2m程度です。今の調査区域で三段確認できますが、現地地形を考慮するとさらに1〜2段、堀側に存在した可能性が有ります。

この階段と堀を渡る橋(戦闘の際にはすぐに撤去できる板製の簡単なもの)によって主郭と接続されていたと考えられます。

 

現地説明会資料から転載 

  

主郭の虎口と手前階段状遺構

主郭の土塁と堀

主郭から見る腰郭の階段遺構

階段遺構脇から出土した礎石跡