東城のL字土塁と堀切

 
菖蒲嶽城

彦根市中山町・摺針


■創築年

-

城主

今井氏、吉田氏か?

■形式 山城砦
■遺構

土塁・堀切・竪堀・削平地

■別称 -
■標高  -
■面積

東城:80m×40m

西城:100m×30m 


 菖蒲嶽城は東城と西城に分かれている。

 東城は直下に東山道(摺針峠)が通っており、街道を監視する目的で築かれている。

 城域は狭く東西80m×南北40m程で、山頂から東に伸びる尾根上に築かれている。

 まず二本の堀切が築かれその両側は竪堀に変化している。堀切の間は高さ1.3m×幅36mの土塁を築き尾根を強固に遮断している。

堀切の先が主郭となるが、堀切に平行して高さ2.5mの土塁が築かれているため直登ることは出来ず、南側を迂回する形となる。この土塁はL字型をしており、主郭の北側も防禦している。

主郭内部の広さは、40m×20m北と南側には犬走りが付設され、先端は街道対し急斜面な構造となっている。

 

 

菖蒲嶽東城と西城間の堀切から撮影した土橋

本丸へ通じる切り立った尾根道

西城は山頂から西に伸びた尾根で、土橋・堀切・竪堀・削平地が見られるが、浸食が激しく非常に不明りょうである。先端部からは西の北国街道を監視することも出来たものと思われる。

 

  菖蒲嶽の砦に関して「近江国坂田郡飯村嶋記録」には「須田めし取之事」の記述に「浅妻よりすり針山さして打越、菖蒲か嶽今井が取出へ案内を申させけり」とか、「箕浦帰参之事」の覚えに「吉田安芸守スリハリ菖蒲か嶽ニ居城ト申候也」ともある。

滋賀県城郭分布調査より