集福寺若山城

伊香郡西浅井町集福寺


■創築年

-
■創築者  熊谷氏
■形式 山城館
■遺構 土塁・堀切・竪堀・掘切・郭・石積
■別称 -
■標高  167m
■面積 200m×400m

 集福寺若山城跡は集福寺の集落の西側を南北に流れる貫流する大川を越した山地とその山麓に所在するが、大川がこのあたりで東に湾曲して流れ、丁度この城地の東・南・北の三方を囲う天然の堀壕をなし、その大川の流れに添って、東側に塩津街道が通じている。

 ”殿谷形縄張り”(丘陵に挟まれて館があり、その背後丘陵が城になっているケース)をなしており、県下及び関東一円に見られる特有な地名であり、関東は武蔵・熊谷から当地塩津に地頭として来任の熊谷氏の関わりの城館であるが故と言えるであろう。

 城域には5箇所の低い山地がそれぞれ砦を成しており、いずれもピークが削平され腰郭を2重3重に配したている。丘陵間は谷か堀切で遮断する程度の防禦を成している。

 通路のコーナーや、本丸の虎口に石積や石段と思われる遺構が残っている。

 

 弘治元年(1555)の師走の12月26日には、塩津の熊谷平治郎は三千騎を率いて、疋田城を攻撃した・・・とあるように、熊谷氏が或る時期に隣国で隣接の越前の疋田氏と敵対関係にあった事を踏まえるべきである。その事が塩津街道の周辺に構築された諸砦の存在と関連付けらる。

 

 本丸は規模、縄張り共に「壷笠山城」と類似している。(大津市坂本穴太町)

 

 

本丸跡