佐久間軍の大岩山砦攻め時の尾根伝いの進軍路

 

高尾山砦

伊香郡余呉町文室


■創築年

天正十一年(1583)
■創築者  柴田軍陣城(佐久間軍進軍路)
■形式 山城砦
■遺構 土塁・堀切・削平地
■別称 -
■標高  534.2m
■面積 -

 賤ヶ岳の行市山砦と権現坂の中間のピークが高尾山砦(仮称)である。

天正11年4月19日佐久間盛政は一万余りの軍勢を率い、夜を徹して翌20日午前2時茂山に布陣する。これらの進軍ルートはその以前から計画されており、行市山から茂山までの細長く伸びた尾根道約5kmを一万もの軍勢が一気に移動するのは困難で、途中には幾つかの砦や防御施設を築いていた。

それら尾根伝いに多くの遺構が残されている中で、高尾山砦はもっとも規模の大きな駐屯地である。

 縄張りとしての防禦設備は非常に簡素であり、兵の駐屯を重視していた事がよく分かる。

一面が笹に覆われており、地面の起伏すら見ることが難しい。規模は小さいものの堀切と土橋&土塁が確認できた。砦全体が削平され、何千もの兵を蓄えて置くだけの規模は充分に供えている。

 

   

堀切と土橋