賤ヶ岳の行市山砦と権現坂の中間のピークが高尾山砦(仮称)である。 天正11年4月19日佐久間盛政は一万余りの軍勢を率い、夜を徹して翌20日午前2時茂山に布陣する。これらの進軍ルートはその以前から計画されており、行市山から茂山までの細長く伸びた尾根道約5kmを一万もの軍勢が一気に移動するのは困難で、途中には幾つかの砦や防御施設を築いていた。 それら尾根伝いに多くの遺構が残されている中で、高尾山砦はもっとも規模の大きな駐屯地である。 縄張りとしての防禦設備は非常に簡素であり、兵の駐屯を重視していた事がよく分かる。 一面が笹に覆われており、地面の起伏すら見ることが難しい。規模は小さいものの堀切と土橋&土塁が確認できた。砦全体が削平され、何千もの兵を蓄えて置くだけの規模は充分に供えている。
堀切と土橋
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