大字新庄の東端、かつて存在した南北に延びる大土塁の西側の田の中の前方後円墳を崩して築かれた砦である。
北・西・南の三方が土塁でかためられ、中は10m弱の方形を呈している。特に三箇所の土塁は約1.5mで外部からの眺めを遮る役割りを果たしている。
坂田郡誌の塚の越古墳に関する記載には、古墳に伴なう周濠がかって存在したとしているが、これが同志が編集される差ほど遠くない伝承だったとすれば、この周濠は堀としての機能を果たしていたと考えられる。ただ、砦の立地を考える場合、現状の周囲の状況からは全く砦として機能しない所に位置している。しかし、西に向かって構えられた状況をかって存在した東方の大土塁を考えあわせるとこの砦の機能性をうかがえる。
場合によっては西に構えを必要とした城館の砦だったかもしれない。
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