法灯護持会発足に際し寄せられたお祝いの言葉 
善光寺貫主 大僧正 池山 一切圓
 このたび、吉田慈敬師が、三修上人開創の伊吹山修験道を復興しようと、着々準備を進められておられます。時代は、物の時代から心の時代へ移ることが期待されている時に、このようなことを計画、実行せんと、鋭意努力しておられますことは、誠に欣喜に堪えないところであります。
 北海道育ちの吉田師は、母上の勧めによって、高校教育は遠く琵琶湖のほとり、比叡山麓にある比叡山高校で受けられました。続いて、京都にて大学過程を卒えて、故郷に帰り就職せられたが、交通大事故に遭遇し、三日間、死線を彷徨せられました。余後の療養中に、敬愛する祖母の死に会い、人生の無常なことを、しみじみと痛感し、仏いづれにいますや、浄土いづこにありやと人間として生きる上での根源を探し求めて、心の遍歴を重ねられ、遂に意を決して仏門に入らんとして、職を抛ち、高校時代の仏縁を頼って比叡山に来り、三千院門跡森定大僧正を師として、出家得度すると共に、叡山学院専修科に入学して、比叡山教学を研鑽せられたのであります。当時小衲の同一講義を進んで、重ねて受講するなど、当時から人柄の真摯さを充分に発揮しておられました。
 宇宙の森羅万象は、一物も余さず、全て実相に非ざるはなく、全てのものは、網の目の何れかであるように、互いに支えられ合って生かされているという、比叡山教学の粋に触れその生かされて生きていることを実感するための実行を求めて、伊吹山回峰行を始めようとせられています。先づ伊吹山麓に名跡、伊吹山寺を山頂には本堂をそれぞれ建て、山下伊吹山寺と山頂の本堂との間の往復25キロの急坂を毎日歩き、この間に散在する二百五十有余の先人修行の旧跡を礼拝して回る回峰行であります。物に溺れ、己れに驕る物欲の時代の流れを、生かされて生きているという、心と心の触れ合いの時代に戻そうと、獅子奮迅の精進をつづけておられます。「山家の伝教大師は国土人民をあわれみて七難消滅の誦文には南無阿弥陀仏をとなふべし」(親鸞聖人和讃)を地で行こうとせられている吉田慈敬師の願いが実現されますように、江湖の人々に、この事業のご理解とご支援とをお願いする次第であります。