行者岩
 伊吹山の八合目に行者岩とよばれる大岩があります。昔三修上人が伊吹山にこもっておいでになったとき、常にこの大岩の上で修業されたといわれています。人々はこの大岩を行者岩とよぶようになりました。
 ある時、皇后が病気にかかられました。そこであちこちの高僧においのりをしてもらったのですがすこしもききめがありません。たまたま三修上人の高徳は世にならぴないことを天皇がおききになり、ぜひ急いで宮中へおいのりに来てほしいと使いをたてられました。使者がいろいろの珍しいおみやげをもってこられると、白い雲が次々とわきおこる苔むした岩の上に、上人は修業しておいでになりました。
 私はこの山にまずしく暮している修業僧、おことわりしたいといわれました。使者は困りはてて、この土地もすべて皇子の天下、どうかおいで願いたいと申しました。上人は岩の上に杖を立てその上におすわりになりました。お使はにっこりわらって、上人の杖はなお大地が支えておりますと申しあげました。上人はとうとう都へのぼられることになりました。びわ湖十八里を陸地を走るようによこぎって、またたくまに都におつきになりお祈りをされました。皇后はたちまち全快されました。天皇はこれをよろこんで、伊福貴山地主明神に正一位をおおくりになり、ごほうびの額をおさげになりました。三修上人はふしぎな行者として飛行上人とよばれ、この地で七十余才でなくなりました。
 行者岩は「びょうど岩」「びょうどう岩」などとよばれますが、おそらく「行導岩」ではないかと思われます。その後も山伏たちが修業されたといわれ、ずっと後のことですが、円空さんもここで修業をされ、仏さまを刻まれたりされたのかもしれません。
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