Japanese in 22nd Maui CHANNEL SWIM & 24th Waikiki ROUGH WATER SWIM


Maui Channel Swim

9月3日(金)

  6:30AMにホノルル空港に到着した一行は,国際線に乗り換え一路マウイ島へ。そしてレンタカーに乗り込み、宿泊先の「カアナパリ・ロイヤルホテル」へ向かいます。チェックインまで少しの時間があるので、途中マウイ島で人気のある町、ラハイナで軽く昼食を取りました。軽くといっても普通に注文したつもりが量の多いことにびっくりしてしまいました。
  それから一行は、ホテルについた後、時差を調整する間も無く競技用に着替え、ホテルビーチでの海の馴らしを始めます。明日の今頃は果たしてこのビーチにゴールしているのでしょうか。心配をよそに、余りの海の綺麗さに皆は感激です。

マイクとの対面

 そして、サンセットが近づく頃、レースのゴールテントでは競技説明会および各チームのミーティングが行われました。集まって来る選手は、男も女も大きい人ばかり。記念Tシャツも「XXL」まであります。
 そこで一行は、明日のレースの伴走を引き受けたボートの運転手と始めて対面することになりました。名前は『マイク』。彼の仲間が『彼は,スケベねぇ』と紹介してくれました。彼は言いました。『僕のボートは一番速い』
  このレースでは、各選手の実力はもちろんですが、それ以外に海峡横断の必勝法として、伴走ボートの操縦者のテクニックがかなりの要素となります。そして潮の流れや風向き,波の強弱をいち早く判断し、選手への方向の指示が大きなポイントとなるのです。
 彼は明日の幸運を確認して皆と握手を交わし、最後にこう告げて別れました。
 『明日の6:45AMにこのビーチに迎えにくる』『僕のボートは一番速い』
 夕食後ホテルに戻った一行は、時差の疲れと明日への不安を抱きながら夢を見るまもなくその日の朝を迎えるのでした。

9月4日(土)

 晴れ渡る空に浮かぶ雲は、日本で見るよりはるかに高く、早朝なので少し寒いだろうという予想は、ホテルを出てすぐにはずれであることが判りました。照りつける日差しは、早朝でありながらTシャツの上にウィンドブレーカー姿の一行を、すぐにタンクトップに変えさせたのです。  
 いかなるレースといえども、回を重ねていようともスタート前というのはいろんな想像が頭を駆け巡り、『緊張』『不安』という小悪魔が現われ少し憂鬱にさせてくれます。逆に言えば、それを逆手にとり『勇気』に変えることが出来ます。

越智さんの元気と思わぬハプニング

 時間は6:45分。ほとんど皆同時にビーチに現われたのですが、越智さんの姿だけが見えません。時間には厳粛な彼ですから、遅れることはまず考えられないのです。。何しろ、普段は毎朝3時に起床し、ストレッチ体操を欠かさない方ですから。ふと海の方を見ると、一人泳いでいます。どこかで見たことのある泳ぎ方はやはり越智さんでした。何と彼は6時過ぎに来てウォーミングアップにかかっていたとのこと。『思ったより海のなかはあったかいね。』だって。負けちゃいますよホント。
 さて一行は、そろったところでマイクの言っていた『一番速い』ボートがもう来るかなと、沖を進む幾隻かの船を探しています。しかし、いっこうにビーチに近づいてくるボートはありません。時間は7:00を回りました。向かいのラナイ島迄は、約40〜50分はかかるので、すぐ来たとしてもスタートぎりぎりっていうところですが、依然として未だ来る気配は見られません。ひょっとしたら、待ち合わせの場所を勘違いしているんじゃないのかなとも思い始めました。


 こういうときはなぜか悪いほうの想像ばかりしてしまうもので、すっぽかしかなとか、寝坊かとかあらゆる結果 を考えてしまいます。
 『とにかく何でもだれでもいいからラナイ島迄連れて行ってくれ、ここまで来てまさか棄権なんてことになるの。』7:20分。未だ来ない。
 心配そうな一行に、ビーチを散歩していたのかアメリカ人が声をかけてきました。
 『あなたたちは今日のチャンネルスイムに出るの?船を待っているの?船が来ないの?』『どこから?』 『日本?私も行ったことがあるわヨ』『実は私も待っているのよ。あなた達と同じラナイ島迄の船を。』
どこのチームであろうか、応援に行くのだと言う。
 通 り過ぎていく船は皆、ラナイ島へ向かって行きます。奥村氏は、マイクの連絡先に電話をかけますが誰も出ません。皆がもう半ば諦めていました。7:40分。一隻の小さなモーターボートが、波を切りながらこちらへ向かってきます。あれじゃないか!いや、あんな小さいのは違うよ、前はもっと大きかったもの。だけど、ボートの運転手が叫んでいます。声は聞こえませんが、その姿は『こっちへ来い』と合図をしているようにしか見えません。『来た!』『マイクや!』来ました、マイクがやっと来たのです。皆はもう必死です。ボートは、ビーチに着いているひまなどありませんので、こちらから大急ぎで股下まで海に浸かりながらボートに飛び乗りました。荷物もほおり込んで、マイクはエンジンを吹かせ一目散にラナイ島へ向けて走り出しました。
 『どうした?なぜ遅れたんだ!皆怒っているぞ!』奥村氏の問いに彼は一言答えた後は、ラナイ島へ着くまで無言でした。実は彼は、ラハイナの港でボートを上げ降ろしする仕事をしており、この日はレースの当日ということもあって、いつもよりかなり多くの船が陸に上がっていて、それを降ろす作業に思わ 時間がかかったのだということを説明してくれました。見ればマイクの左足は、かなり焦っていたのでしょうか岩場でのすり傷があるのがわかりました。

23rd Annual Masters Maui Channel Relay Swim ,September,4,1993

 沖へ出ると波がかなりきつくなってきます。マイクはその波をうまく避けながら走ってくれるのですが、それでも時折くる波のしぶきを皆は全身で受けながら、徐々に近づくラナイ島と時計のにらめっこが続きました。35ノット。スピードメーターの針は、平均してこの数字のところにあります。時速で約70kmは海の上では相当速いスピードです。そして、8:05が過ぎました。ビーチに近づいてきます。他の船が見えています。どうやら何チームかが未だ到着していない為にスタートが遅れているようです。一行にとっては、日本を離れた異国の地で、幸運の女神が辛うじて見守ってくれていたようでした。
 スタート地点すぐ横には、桟橋がありそこにはスタートの旗を振る審判員と、数名の選手がいます。そして、残りの選手はというと、ウォーミングアップに余念がありません。マイクが何やら審判員と言葉を交した後、ボートは桟橋に横付けされ第一泳者である仁井田が総勢49名の待つスタートへと約30mの桟橋を歩いていきました。8:10分。仁井田を降ろしたボートは沖へと離れていきます。『スタートは8:20分』という審判員の声が聞こえました。いよいよスタートです。
 『レディース・アンド・ジェントルマン・アーユーレディ? OK グッドラック』
 スタートの合図である大きなグリーンの旗は、審判員の声の後1分後に振られ、49名のスイマー達は一斉にスタートを切ったのです。
 第一泳者の仁井田が、またたく間に海にまぎれていきました。一昨年の同レースで同じく第一泳者として、初めて参加した彼は、第一泳者でいきなりチームの船を見失ってしまい、船のほうも彼を見失い、波がきつかったこともあって、コースから大きくはずれてしまうという苦い経験があったのです。それにより大きなロスタイムをいきなり背負うことになった一昨年のレースを繰り返さないためにも、波にまぎれないよう、ボートをよく確認するよう、慎重なスタートとなりました。
 あいにく今年は、波も穏やかのように感じられ、一昨年のように、スタート後すぐに波が高くなり前方が見えないということもなかったようです。
 スタートして約5分後で彼を確認したボートはコースを確認しながら、彼の進むおよそ後方から追いつき、待機するメンバーが声をかけながら判走を始めました。天気は相変わらず申し分ありません。
30分後、第2泳者の松田が海へ飛び込みそれを見た仁井田が松田とタッチを交し、今度は松田が30分泳ぎ出しました。同じようにして松田から越智さんへ、越智さんから内田。内田から奥村氏。奥村氏から中村。各30分ずつでこれで3時間経過です。
 途中ボートで待機をする選手は、泳ぐ選手を励まし、そしてコースが逸れてきた時には『こっちだ、こっちだ』と手招きをして示し、あっている時には、大きく頭上で『○』と示し、判走を続けました。

マウイの脅威

もうすでに海峡の真ん中へ来ています。スタート時よりも、かなり海がうねりを見せ始めました。ちょうど進行方向に向かって、左から右のうねりで左オープンの選手にはかなり苦しいようです。
 そして2順目に入ろうとする頃、マイクが状況の変化を説明し始めました。潮の流れが変わってきたのです。うねりは依然として左から右に向いているのですが、潮はそれとは逆に右から左へ流れているというのです。うねりにまぎらわされてよくわかりませんが、進むべき方向が少し左のほうにそれているのが事実であることが、少しあとからわかりました。
いつの間にかボートの周りには船はありません。見えるのは前方に数隻と、右横に3隻くらいです。それも、かなりの距離をあけて。
 他の船は、いつの間に何処へ行ったのでしょうか。実はこのレースのレコードを、前日の説明会で知りましたが、なんと3時間と数分でした。ということはトップチームはもうこの時間にはゴールしているではないですか。いったいこの大海原の何処をどう泳げば3時間余でゴール出来るのか不思議で仕方ありません。
 日本では考えられないこのうねりと、泳いでいる時の海の青さ。さすがに、海峡真ん中付近では底など見えませんが今にも本当に鯨が出てきそうで、時折小さなクラゲがあたるのがわかります。2順目以降は、一人10分ずつになるのでインターバルは50分あるのですが 、待機中しばしば大きなしぶきを受けるために体が冷えてきます。したがって、まだ泳いでいる方がとても気持ちよく感じられるのです。もちろん日差しは相変わらずきついのですが、それ以上に風としぶきが‥‥。
 『いったい、今何位くらいかな?』誰かが口にしたのに続いて『今年はペースが早いから真ん中くらいと違うか。』と奥村氏が言いました。スタートの時にいた49隻が気がつけばまるでくもの子を散らしたようにいなくなっていて、でもみんなの目指しているのはただ一つシェラトンマウイのビーチなのです。みんなそれぞれのコースをたどりながらチームメイトを励まし、大きな海と自分との戦いに挑んでいるのです。

 コース変更 スタート直後、前方の目標はマウイ島の山のくぼみでした。しかし次第にコースをしぼっていくうちに目標はビーチ付近のホテル に変更されました。そしてコースを修正中は、大きく右のはずれにある大きな煙突に再度変更されました。そうでないと潮に流されてしまうからです。
 正午を回りローテーションは10分交代の2巡目に入っています。泳ぎ終わった選手は何ともいえない海のしょっぱさをとるために水で口をすすぎ、前日ラハイナのショッピングセンターで買い込んだバナナやパンで空腹をしのぎ、そして水分の補給をします。

 ついにローテーションは3巡目に入り、ゴールテントもはっきり見えています。みんなの力を合わせてやっとゴールが近づいてきた時には、皆は誰がゴールに入るのだろうかと予想を始めました。ただここは海の上ですから、マラソン競技のようにあと残りの距離が書いてあるわけでもなく、すべて目測で予想をするしか手段はないのです。そしていつの間にか、ばらけていた他の船たちもゴールを目指し次第に集まってきました。今まで左前方に大きくそれていたと思っていたチームが右前方の少し前に見え、そしてその前に3チームが見えます。マイクに聞けば、ゴールのブイまではあと約800m位 だと言います。奥村氏の追い上げで前の2チームを抜き去りました。この場に及んでもすごいと感じさせた奥村氏の泳ぎでした。

5時間41分38秒

 そして、結局最後は内田が最終泳者として、ゴールテントへと駆け込みました。それを見届けた皆はマイクの運転する小さなボートの上で大喜びです。握手を交し、荷物をまとめて朝と全く逆のようにボートからビーチへ飛び降りました。朝のあの心配は何だったのだろうか、もう皆忘れているようで、ビーチに下りてからも、また握手をしてゴールインを喜びました。
 『5時間41分38秒』これが日本チームのゴールタイムでした。前回の8時間14分に比べればはるか好成績です。そして、総合順位は49チーム中45位。喜びと同時に、壁の厚さを実感した瞬間でした。
 夕方のパーティーに是非来てくれとマイクを誘った後、皆との別れを告げ彼は去っていきました。日本から来て、運よくマイクのボートに乗れたこと、前回よりも良い記録でゴールイン出来たこと。皆と同じように、マイクもきっと喜んでくれたことでしょう。スタート前何も知らずに、こちらの言い分だけをぶつけてしまったのにもかかわらず、彼は一生懸命サポートをしてくれました。その後も終始笑顔でリードしてくれ、皆の心に彼の存在が大きく残ったことでしょう。
 レースの締めくくりであるパーティーでは、フルーツ盛り沢山のバイキング料理に舌包みを打った後、優勝チームの表彰が始まりました。『3時間03分。』栄冠は、オーストラリアのオリンピッククラブに輝きました。その後、全参加チームの紹介が始まり、日本チームは大きな拍手と共に熱い歓迎を受けたのでした。