琵琶湖水鳥・湿地センター ラムサール条約 ラムサール条約を活用しよう

琵琶湖における「賢明な利用」とは

- ラムサール登録から10年間に何がおこったか、誰が何をすればよいのか -

安藤 元一

東京農大 野生動物学研究室

1.ラムサール条約の復習

ラムサール条約の採択された頃

 環境に関する条約の多くは1980年代以降に採択されているのですが、ラムサール条約が採択されたのはわりに古く1971年です。日本で環境庁が出来た年と同じです。翌年の1972年には国連として地球規模の環境問題全般について初めて取り組んだ国連人間環境会議がストックホルムで開催されて、国連環境計画(UNEP)が設立されるなど、1970年代の初めは第一次エコロジーブームといえる時期でした。採択に先立つ1960年代は公害はなやかなりし頃でした。また米増産目的で干拓などが盛んに行われた最後も1960年代でした。そのために自然保護、公害、水質などいろんな問題が噴出してきて、それに対応する動きのひとつとして出てきたのがラムサール条約だったわけです。日本がラムサール条約に加盟したのはそれから9年程経った1980年で、釧路湿原が第1号の登録湿地でした。

環境への取り組みの進展

1960年代
環境問題
顕在化
WWF(世界自然保護基金)設立(1961)
水質汚濁防止法公布、グリーンピース設立(1970)
1970年代
取組体制
整備期
ラムサール条約の採択、環境庁の設立(1971)
国連人間環境会議、国連環境計画(UNEP)設立(1972)
ワシントン条約(CITES)採択(1973)
日本のラムサール条約、ワシントン条約への加盟(1980)
1980-90
年代
地球環境
問題期
モントリオール議定書(オゾン層)採択(1987)
バーゼル条約(越境有害廃棄物)採択(1989)
リオ・地球サミット(UNCED) (1992)
気候変動枠組み条約、生物多様性条約
2000年代
(実現期?)
「リオ+10」(ヨハネスブルグ・サミット) 2002

ラムサール条約は湿地をきわめて広く定義している

 次にラムサール条約の特徴を復習していきたいと思います。まず湿地の定義ですが、ラムサール条約では、湿地を非常に広く定義しています。釧路湿原や尾瀬沼は誰が見ても湿地でしょう。他方、琵琶湖や十和田湖は湿地でなくて湖じゃないのとおっしゃる方もおられると思いますが、ラムサール条約の定義では湿地です。川も湿地です。農業用水路、ため池、ダム湖もそうですし、驚くべきことに水田も湿地なのですね。海岸近くで水深が6メートルを超えない海も湿地、サンゴ礁も湿地というふうに、ラムサール条約は湿地をきわめて広く定義しています。
 たとえば滋賀県にラムサール条約の定義をあてはめると、水田や河川など全部含めて県内の大体半分以上が湿地になってしまいます。古事記は日本のことを「豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)」すなわちアシの繁った湿地に作物が豊かに実る国と紹介しています。また古事記は本州のことを「秋津嶋(あきつしま)」とよんでおり、これは後に日本自体を指す名称としても使用されるようになりました。ちなみに「秋津」というのはトンボの古名です。トンボはヤゴとして水中で生活する湿地性昆虫です。アシ原が豊かに茂ってトンボが多数飛び回っている国ですから、日本というのは「湿地の国」という国名をつけている恐らく世界で唯一の国でしょう。

ラムサール条約の定義に照らした滋賀県の湿地ラムサール条約の定義に照らした滋賀県の湿地

賢明な利用

 ラムサール条約がただ貴重な動植物を守れとだけ言っている条約かというと実はここに大きな誤解がございます。ラムサール条約の第3条には、「湿地の賢明な利用を促進してゆく」と書いてあります。未来に向けて湿地自然を持続的に利用するというのは具体的にどういうことなのでしょう。いい例がございます。今から10年位前に釧路で第5回ラムサール条約締約国会議が開かれたときに、北海道開発局に近い方が賢明な利用の事例として次のように発表されました。石狩平野の千歳川はくねくねと蛇行していて洪水をよくおこします。だからそれを真っ直ぐに改修する。真っ直ぐにしたら当然土地が余るのでそれを農地にする。すなわちこの事業は洪水を防止して農地を増やしたということで賢明な利用であるといった説明だったと思います。会場からはそれに対して一斉にブーイングが起こりました。なぜかというとラムサール条約でいう賢明な利用というのはその湿地生態系の価値を損なうことなく利用することを意味しているからです。湿地が無くなって乾いた農地になったというのは、ラムサール条約でいう賢明な利用にはあたりません。

締約国の義務

 では湿地の賢明な利用のためにどのようなことしなさいと書いてあるかといいますと、条約本文には抽象的な努力目標しか書いてありません。それをどのように具体化するかは各国の主体性にまかされています。本文に明記してある締約国の義務は、まず最低一カ所は国際的に重要な湿地を選びなさいということです。日本は加盟時に釧路湿原を登録しましたので、これは満たされています。それから水鳥を保護管理し、国際的責任を考慮する。当然のことですね。とくに大事になってくるのは賢明な利用に関する計画に関する項目で、「登録簿に掲げられている湿地の保全を促進し、適正に利用するための計画を作成し実施する」という義務があります。湿地を登録してただ放っておくだけではだめです。保護区に指定するというのも管理の一種でしょうが、保全計画を作成し、それを実施したということで初めて意味が出てくるわけです。賢明な利用にはならないわけです。また計画は「保全を促進し、適正に利用するため」ですから、規制措置に限らず、啓発活動を盛んにすること、グリーンツーリズムのような産業を興してゆくことでもかまわないわけです。

要求事項
条約本文の関連部分
ラムサール登録湿地の設立
2条1: 各締約国は、適切な湿地を指定するものとし、国際的に重要な湿地にかかる登録簿に掲げられる。
国際的な責任
2条6: 各締約国は、渡りをする水鳥の保護、管理及び適正な利用についての国際的責任を考慮する。
賢明な利用に関する計画
3条1: 締約国は、登録簿に掲げられている湿地の保全を促進し、できる限り適正に利用することを促進するため、計画を作成し、実施する。
モニタリング
3条2: 締約国は、登録湿地が人為的干渉の結果、既に変化しており、あるいは変化するおそれがあるときは、これらの変化に関する情報をできるかぎり早期に入手できることのできるような措置をとる。
4条1: 締約国は、湿地が登録簿に掲げられているかどうかに関わらず、湿地に自然保護区を設けることにより湿地及び水鳥の保全を促進し、かつその監視を十分に行う。
報告
3条2: これらの変化に関する情報は、遅滞なく条約事務局あるいは政府に通報する。
代償措置
4条2: 締約国は、登録湿地を緊急な国家的利益のために廃しまたは縮小する場合には、できる限り湿地資源の喪失を補うべきであり、相当する新たな自然保護区を創設すべきである。
調査研究
4条3: 締約国は、湿地及びその動植物に関する研究および資料および刊行物の交換を奨励する。
水鳥増加措置
4条4: 締約国は、湿地の管理により、適当な湿地における水鳥の数を増加させるよう務める。
研修
4条5: 締約国は、湿地の研究、管理および監視について能力を有する者の訓練を促進する。

 見逃されやすいのですが、本文には「湿地が登録簿に掲げられているかどうかに関わらず、その国はラムサール条約に加盟している国は湿地を保全しなければならない」とも書いてあります。ですから国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録されていようがいまいが、日本国政府ひいては地方自治体はラムサール条約の趣旨にしたがった保護をやっていかなければならないわけです。登録されていない湿地だから何もしないでよろしいということではありません。「登録湿地に変化が起こったら事務局に報告しなさい」という条項もあります。更に、「登録湿地を緊急な国家的利益のために廃しまたは縮小する場合には、できる限り湿地資源の喪失を補うべきであり、相当する新たな自然保護区を創設すべき」とも書いてあります。最近の環境アセスメントでさかんに言われる代償措置=ミティゲーションという発想ですね。こういうことが条約中に30年も昔から盛り込まれていたのですが、これが適用された登録湿地は世界中でまだ1例も無いかと思います。そのほか、「一生懸命調査をしなさい」、「水鳥を保護するように努めなさい」、「関係者の研修に努めなさい」というようなことが書いてあるだけです。

対照的なワシントン条約(CITES)

 条約というのは国と国の間の約東事ですから、国民に何しなさいというためには国内のルールを国の法律なり自治体の条例なりで決めてゆかないといけません。たとえば韓国では湿地保全法というのがありまして、湿地に関することをとりまとめた法律があります。しかし日本には特に湿地だけに着目した法律というのがありませから、国立公園法、鳥獣保護法、都市計画法、森林法、水産資源保全法などいろんな関連する法律を駆使して保全して行くという方法を取らざるを得ないわけです。

ワシントン条約(CITES)における規制区分


附属書 I(約820種)=国際取引によって絶滅のおそれが生じている種 附属書 II(約29,000種)=国際取引を規制しないと、今後絶滅のおそれが生じる種 附属書 III(約230種)=各国が自国内での保護のために、他国の協力を得て、国際取引を規制したいと考える種
国際取引
規制
原則的に商業目的の国際取引禁止(関税法) 輸出許可証必要(関税法) 輸出許可証必要 (関税法)
国内取引
規制
種の保存法により原則的に国内取引禁止 規制なし 規制なし
対象例 オランウータン、ゾウ(象牙が印鑑やアクセサリー)、トラ など ホッキョクグマ(剥製)、付属書掲載種以外のサル類全て(実験用、ペット)など カナダのセイウチ(牙が置物やアクセサリーの原材料)、ガーナに生息する種多数など

 対照的なのはワシントン条約(CITES)です。自然を守る条約としてラムサール条約とほぼ同じ頃に採択されています。ワニ革のバックを海外からお土産に買ってきたら税関で取り上げられたという希少動植物の国際取引を規制する条約ですね。この条約は数ある野生生物保護策の中で、希少動植物の国際取引にターゲットを絞っています。具体的には世界中の野生動植物を絶滅危倶の程度によって3ランクに分け、国際取引が規制される野生動植物を「付属書 I ・ II ・ III 」に明確に掲載するわけです。現在、付属書Iには820種、付属書IIには30,000種近くが掲載されていて、関税法で輸出入を規制され、種の保存法で国内取引が規制されています。ラムサール条約がわかりにくいという声が出てくるのは、こうした明確な基準が書いていないからだと思います。なぜかというと取引でなく生態系の保全は自然環境や文化の異なる各国に共通する基準を作ることが極めて困難だからです。
 もうひとつ大事なこととしまして、ワシントン条約は出来てから趣旨はそれほど大きく変わってきていないんです。付属書にゾウを含めるか、クジラをどうするということではしょっちゅう議論はありますけれども、大きな趣旨というのは変わっていません。ところがラムサール条約というのは出来たときと今の姿が同じだと実はとんでもない誤解なのです。

変化を続けるラムサール条約

 ラムサール条約の正式名称は「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」ですから、水鳥保護条約だというふうに理解されるケースが非常に多いのですが、現時点では違うと言った方がよいでしょう。ラムサール条約が1998年まで使っていたロゴマークは水鳥が飛んでいるラムサールバードと呼ばれるものでした。このマークは1999年に現在の「水と波マーク」に変更され、ラムサールバードはどっかへ飛んで行ってしまいました。つまり、水鳥だけではなくて湿地の持つ幅広い機能を保全して行こうというふうに変わって来ているわけです。近年は事務局自身が単純に「湿地条約」という呼び方をしているようです。もちろん鳥を保全するということが落とされたわけではありませんが、鳥から始まって魚も保全しなければいけない、流域も、湿地の貴重な地形も保全していかねばならないというふうに、他の項目がどんどんどん加わっているわけです。発展を続けている条約だということが特徴の一つです。

ロゴ

登録基準

 湿地をラムサール条約に登録するためにはどういう基準を満たしていないといけないかといえば、以前は水鳥が豊富にいるということが基準だったわけです。しかし現在は水鳥がいなくても魚がいる、生物多様性に富んでいる、あるいは湿地としての地形が特異だといった多様な基準で登録が可能になっています。沼・湿地といいますと多くの日本人はミズバショウ咲く尾瀬沼のようなイメージを描かれるかもしれません。しかし水鳥の基準からいきますと尾瀬沼に水鳥はいませんから対象にならないわけです。ところが現在のラムサール条約の基準でいいますと、湿原タイプとして貴重であれば登録は可能なわけです。

基準グループ
国際的に重要な湿地と見なすための基準*1及び属性の例
基準グループA: 代表的、希少または固有な湿地タイプを含む湿地 基準 1: 適当な生物地理区内に、自然のまたは自然度が高い湿地タイプの代表的、希少または固有な例を含む湿地がある場合
例: 水文学的な重要性 70-i: 洪水調節、改善、予防に大きな役割を果たす
70-ii: 下流にある保全上重要な地域の季節的保水機能
70-iii. 帯水層の涵養
70-iv. 地下水、湧水系の一部分を構成する
70-v. 主要な自然の氾濫原系である
70-vi. 地域的な気候安定に水文学的な影響力を持つ(泥炭地の炭素吸収機能、雲霧林等)
70-vii.高い水質基準の維持に貢献
基準グループB. 生物多様性の保全のために国際的に重要な湿地
基準 2:  危急種、絶滅危惧種または近絶滅種と特定された種、または絶滅の恐れのある生態学的群集を支えている場合
例: 種および生態学的群集に基づく重要性
74-i.  生活環の様々な段階において、対象となる種の移動性個体群を支える
74-ii.  渡りルート沿いに種の個体群を支えている
74-iii.  悪条件の時に個体群に避難場所を提供する
74-iv.  他の登録湿地に隣接し、保全面積が拡大されることで絶滅危惧個体群の生存可能性を高める
74-v. 分散して狭い生息場所に定着する種個体群について、相当な割合を収容する
75-i.  生物地理区に特に典型的な当該群集について、それを擁するかなりの面積を含む
75-ii.  希少な群集を収容する
75-iii.  移行帯、遷移の途中段階など個々の過程の典型例となるものを含む
75-iv.  現在の状況下ではもはや発達できない群集を擁している
75-v.  長い時間をかけなければ現在の段階に至らない群集を擁している
75-vi.  他の(希少度の高い)群集または特定種の生存にとって、機能面で重要な群集を擁している
75-vii. 生息範囲または発生数が減少した群集を擁している
基準3: 特定生物地理区における生物多様性維持に重要な動植物種の個体群を支えている場合

78-i.  生物多様性の「ホットスポット」であり、明らかに種が豊富である
78-ii. 固有性の中心であるか、またはかなりの数の固有種を擁している
78-iii. 地域内で発生する一連の生物(および生息地)多様性を擁している
78-iv. 特殊な環境条件(乾燥地域の一時的湿地等)に適応した種の相当割合を擁している
78-v. 生物地理区の希少または特徴的な生物多様性の要素を支えている
基準4: 生活環の重要な段階において動植物種を支えている場合、または悪条件の期間中に動植物に避難場所を提供している場合
基準5: 定期的に2万羽以上の水鳥を支える場合
基準6: 水鳥の一種または種の個体群において、個体数の1%を定期的に支えている場合
基準7: 固有な魚類の亜種、種、または科、生活史の一段階、種間相互作用、湿地の利益もしくは価値を代表する個体群の相当な割合を維持しており、それによって世界の生物多様性に貢献している場合
基準8:  魚類の重要な食料源であり、産卵場、稚魚の生育場であり、または湿地内もしくは湿地外の漁業資源が依存する回遊経路となっている場合


新たな方向性

 ラムサール条約では3年ごとに締約国会議が開かれます。次はウガンダで開催予定です。この締約国会議でいろいろな決議や勧告が次々に出されます。また、会議毎に大きなテーマが設定されていて、最近の会議では流域管理はいかにあるべきか、湿地と文化との関係、湿地と先住民、水の供給源としての湿地、湿地と農業との関係などが取り上げられています。ラムサール条約が鳥だけでなく湿地をめぐるきわめて広いテーマを扱っていることがわかります。そういう決議や勧告の内容を追っていくことで、初めてラムサール条約がどういうことをめざしているかわかる仕掛けになっています。ただ、こうした会議でどんなことが決められたのか、環境省が積極的に広報してくれるわけではありません。最近はインターネットが発達しましたからホームページなどでかなり早い時期に日本語訳もされて出て来るようにもなりましたが、通達のような正式な形で市町村にまで趣旨が届くというシステムは成立しておりません。そうだとすると、とりわけ登録湿地を抱える地域の皆さんがラムサール条約の目指すものを、自ら勉強してゆかねばならないという側面があると思っています。

対話・教育・啓発

 ラムサール条約で最近重視されているのが啓発教育分野です。今まで湿地を守れ、鳥を守れといっていたけれども、湿地を復元するには非常にお金がかかります。時間もかかります。地元の人の同意がなければそういうことは進められない、結局その人を作って行くところからやらないといけないということになってきました。ラムサール条約では対話(コミュニケーション)、教育(エデュケーション)、啓発(パブリック・アウエアネス)の頭文字をとってシーパ(CEPA)と呼ばれています。コミュニケーションとは先生が生徒に一方的にこれを覚えなさいと言うのではなく、対話を重視して互いの意見を出し合うことで理解を深めて行こうというやり方です。次に教育というのは、学校のカリキュラムのような形で知識を体系的に身につけてゆくやりかたです。啓発は「あ!そんなことが問題なんだ」ということに気がつくような形です。わが国でも環境教育は国や自治体レベルでも重視されるようになってきました。昨年10月に環境保全活動教育推進法という環境教育をサポートする環境省所管の法律が施行されております。この法律はラムサール条約を意識したものではないですげれども、その流れに乗ったものと考えることが出来ます。

環境保全・環境教育推進法の説明図( 環境省総合環境政策局pdfファイル=36kb)

環境保全・環境教育推進法の説明図

NGOとの協力

 渡り鳥を守るためには自国の生息地だけでなく、海外の渡来先も同様に保全しなければならないので、国際的な協力体制が不可欠なわけですが、このような条約が普通の外交交渉の中から出てきたわけではありません。きっかけはやはり鳥好きの人たちの努力でした。そういう経緯もあってラムサール条約は他の条約に比べてNGOとの協力関係がより密接だというのが特徴です。締約国会議に行きますと、各国の政府代表とともに、投票権はないものの国際NGOの人たちがたくさん参加して情報を提供したり意見を述べたりしています。条約事務局が湿地のデータベースを作るといったような通常のモニタリング活動などでもNGOは事務局と密接な関係をずっと保っています。
 同様に、国内においてもいろんなNGOがラムサール条約に間接的に協力しています。例えば琵琶湖では「琵琶湖ラムサール研究会」が行政官を主なターゲットとした解説資料を作成しています(http://www.biwa.ne.jp/~nio/ramsar/projovw.html)。

2.日本におけるラムサール条約の進展

地元合意

 ラムサール条約に関する質問で最も多いのは「ラムサール条約にこの湿地が登録されたら経済活動が出来なくなるのではないか」とい点です。これはノーですが、イエスの要素も少しあります。大きな琵琶湖にはそれにくっついて内湖とよばれる小さな湖がいくつもあります。そのうち最大の内湖である西の湖は滋賀県が制定したヨシ群落保全条例の指定地となっていますが、指定地域のところどころに虫食いがあります。地権者の同意が取れなかったので指定されなかったからです。行政がこうした地域指定をするときには地域の人たちに理解をしてもらい、合意を取り付けることが必要です。

虫食い状になった西の湖のヨシ群落保全条例指定地
虫食い状になった西の湖のヨシ群落保全条例指定地

なかなか増えない日本の登録湿地

 日本の登録湿地を見てみますと釧路湿原や琵琶湖は皆さんご存知でしょうが、たとえば別寒辺牛湿原クッチャロ湖、曼湖などが日本のどこにあるかすぐに言える人はおられますか。おられないですね。今まで日本では登録が必要な湿地を指定するというより、登録できるところを指定してきたという側面がありました。しかも3年に1回開かれる締約国会議の度に、手土産的に一カ所ずつ登録湿地が増えて行くということを10年位繰り返してきたわけです。ところが数年前にラムサール条約事務局が登録湿地を倍増させようというかなり野心的な方針をうち出しました。その方針に従えば来年にウガンダで開かれる締約国会議までにかなりの湿地を日本でも登録する必要があります。その意味では現在のラムサール登録は追い風の状況にあるのかと恩います。具体的かどうかわかりませんけども、この仏沼のほかに島根県・鳥取県の中海・宍道湖、福岡県の和白干潟など登録が話にのぼっている場所は他にもあります。

日本のラムサール登録湿地


所在地
面積
登録年
釧路湿原 北海道
7,863ha
1980(COP1 1980)
伊豆沼・内沼 宮城県
559ha
1985
クッチャロ湖 北海道
1,607ha
1989
ウトナイ湖 北海道
510ha
1991
霧多布湿原 北海道
2,504ha
1993(COP5 1993 釧路)
厚岸湖・別寒辺牛湿原 北海道
4,896ha
1993(COP5 1993 釧路)
谷津干潟 千葉県
40ha
1993(COP5 1993 釧路)
片野鴨池 石川県
10ha
1993(COP5 1993 釧路)
琵琶湖 滋賀県
65,602ha
1993(COP5 1993 釧路)
佐潟 新潟県
76ha
1996(COP6 1996)
曼湖 沖縄県
58ha
1999(COP7 1999)
藤前干潟 愛知県
323ha
2002(COP8 2002)
宮島沼 北海道
41ha
2002(COP8 2002)
中海、和白干潟など?

2005(COP9 2005)


登録したら見返りがあるのか

 よくある質問の一つは、登録したら補助金がくるのか、公共事業がつきやすくなるのか、環境省が何か事業をしてくれるのかといった見返りに関することです。これについては水鳥センターが設置されるくらいのことはあるかもしれませんが、経済的な見返りは明確にノーと言えるでしょう。ラムサール条約に登録されるというのは、自分のところにあるその湿地について世界の人がこれは国際的に重要な湿地だと認めるわけです。たとえば自分の家にある石ころを何でも鑑定団に出したら800万円の価値があると鑑定された。ただの石ころだと思っているのと800万円という価値を知って所有しているのとどっちがいいのか。私は鑑定書のついた石の方がいいと思います。自分の所有物の資産価値が高く評価されるのにどうして見返りを求めねばならないのでしょうか。人によって考え方は違うと思いますが、公共事業がおこなわれるだろうとか補助金がつくだろうという発想は持たないほうがいいと思います。あえて言えば、これは地元のたかり主義として切り捨ててよい発想だと個人的には考えています。

登録へのプロセス

 次に登録に至る手順ですが、琵琶湖の例で申しますと1993年にラムサール登録されました。ところが滋賀県知事はその前年の9月まで登録する気はない、時期尚早だと言っていたのです。なぜかといいますと、琵琶湖の場合は「ラムサールって湿地でしょ。琵琶湖湿地ではなくて湖よ。湿地と湖はまったく違うじゃないの。」という理解だったのです。ところが1992年10月にアジア湿地シンポジウムという国際会議をラムサールセンターという小さなNGO、環境庁、滋賀県が一緒になって滋賀県で開かれました。それを契機に知事の態度がコロッと変わりました。シンポジウム1週間後の記者会見で、湖も湿地の一タイプであることがよく理解できた、そうであるならば話を進めてもよいと語ったのです。知事がひとこというと行政はさっと動きますから、あとの半年ぐらいでばたばたと登録への動きが進んでいったわけです。
 しかもいろんな意味でタイミングが良かったのです。その頃までの湖沼保全というのは水質保全とほぼ同義であり、BOD、COD、窒素、リンがという話だったのですが、この頃にはじめて生態系が大事だという発想が入って来たのです。みんなの関心が水質から生態系へと移りかけていたときにラムサール条約の話が出てきたのです。しかも当時の環境庁としては、来年は釧路で締約国会議があるので何とかして登録湿地を増やしたいという状況もありました。また当時の滋賀県自然保護課長が環境庁から来られた方で、国と県の両方の内部事情に精通されていたという事情もありました。
 もう一つ大きかったのは国内的な登録基準です。それまで環境庁は指定のためにはその地域が国設鳥獣保護区、更にその中の特別保護地区でないと国が責任を持っていることにはならないとの見解をとってきました。自治体の管理では不十分というわけです。しかしこれは法律にもどこにも書いてない野生生物課の中の内規なわけです。課長レベルで変えようと思ったらそれは可能なわけです。琵琶湖の場合は琵琶湖に対して県のいろんな条例の網がかかっているし、国定公園にもなっているしということで、保全措置は十分という判断を当時の環境庁がおこないました。また、琵琶湖では当初は水鳥が多くて風光明媚な湖北だけを指定すればよいのではないかと検討をはじめたのですが、検討を進めると北の一部だけを指定する根拠が見つからないのです。鳥獣保護区や国定公園は全域にかかっているので、これはもう全域を指定するしかないということで琵琶湖全体が登録されたという経緯があります。

琵琶湖における反省点

 登録から10年が経って、琵琶湖における登録湿地としての理解を施策が進んだかというと、残念ながらイエスとはいえない状態です。住民地域の人たちの間に賢明な利用とは何であるかという理解は進んでいません。進まなかったのは行政が十分説明できなかったということです。
 まず出だしの登録に関する合意取り付けですが、釧路の締結国会議をひかえて何とか今年中に登録をしたいとの焦りがありました。それで行政がどう説明したかというと「琵琶湖は富栄養化条例で水質は規制されている、国定公園にはなっている、鳥獣保護区になっている、こういうふうにいろんな規制があるからラムサール条約に登録されてもこれ以上厳しい規制は何にも起こりません。だからもう何もいわないで指定に同意して下さい。」という言い方をしたわけです。何も起こらないならということで同意は取れたわけですが、今反省してみますと、事を急いだためにラムサール条約というのはどういう趣旨をもっているのか、とりわけ賢明な利用という趣旨を関係者に理解してもらう機会がほとんど作れないままに終わってしまったのです。やむをえなかったとはいえ拙速という面はあったかと思っています。市民が初めて話を聞いてから地域の中に理解が定着するまでの間にはやはり5年くらいかかると思います。
 行政内部の問題もあります。まず職員の勉強不足です。たとえば自然保護課職員がラムサール条約を十分説明出来たかっていうとおそらく無理だったと思います。湿地に関するプロも行政の中にいませんでした。また、自治体間の温度差も大きな問題でした。琵琶湖は23(合併前)の市町村に取り囲まれています。その中で水鳥観察センターのあるような町は非常に熱心だけども、ただ湖岸が接しているだけというような自治体はラムサールなんかどうだっていいという態度ですし、協議会を開いても全員を揃えることは難しいのです。
 もう一つ大事なのはラムサール指定っていうのは自然保護関係者だけが話を進めてうまくいくというものではないことです。行政内でも河川関連部署、農業関係部署、国、県、市町村と数多くの部署が関係してきます。そうした行政機関が積極的にサポートをしてやろうとは言わないまでも、少なくとも趣旨はわかったという程度の態度を示してもらわないとうまくゆきません。

良いこともいっぱいしている

 問題点ばかり述べましたが、日本がラムサール条約に関して良いことをしてこなかったのかというと、決してそうではありません。ラムサール条約の趣旨を世界で実行してゆくためのガイドラインとしてラムサール行動戦略があって5年ごとに改定されています。そうした戦略に照らしてみると、登録湿地周辺で通常の行政施策としてやられていることの中に、行動戦略にぴったりの事業がずいぶん含まれていることに気づきます。問題はそれらがラムサール条約の趣旨にかなっていることをほとんどの人が理解していないということです。

学習船「うみのこ」
学習船「うみのこ」

 例えば、琵琶湖では水鳥保全については歩みが遅いように見えますが、「ラムサール行動戦略」(現在は2003-2008の5カ年計画のもとにあります)に照らしてみると、多くのことがなされています。例えばフローティングスクールは世界に発信できる環境教育の成功例でしょう。学習船「うみのこ」は年間に200日(100航海)と効率的に運行:されており、225 校から20,000名の児童が乗船します。1984年の就航以来20年間(1984〜2003)に30万人が航海を経験しました。計算上では滋賀県の各家庭に一人は経験者がいることになります。

移り変わる保全の担い手

 今まで行政のことを中心に話してきましたが、実際の保全は行政だけがやるわけではありません。まず市民というか地域の人たちの参加がなければなりません。また、市民がNPO/NGOを作って組織として関わってゆくことは個人として協力するのと違うレベルのはなしです。地域の生態系がわからなければ保全計画の作りようもありませんし、世界の情報やアイデアを提供するという点で研究者も必要です。それから農業であれ商工業であれ、産業側からも何らかの協力が必要です。
 滋賀県が始めた大きな国際会議として世界湖沼会議というのがあります。世界のどこかで2年に1回開かれ、国内では滋賀で2回、茨城の霞ヶ浦で1回開かれています。第1回会議は20年前の1984年に開かれたのですが、この時はじめて行政と研究と市民が一緒になりましょうという動きが出てきました。それまで市民と行政っていうのはチャンチャンバラバラの関係であり、研究者は象牙の塔の中という雰囲気だったのですが、ここで初めて手を組むことが大事ということが強調されました。大津で1992年に開催された「アジア湿地シンポジウム」はラムサールセンターというNGO・滋賀県・環境庁などの共催で開かれた会議でした。行政とNGOが会議を共催するのは今でこそ当たり前になってしまいましたが、出席した環境庁の職員は「たとえつるし上げにあっても出席するのだ」と、かなりの覚悟で臨んだものです。

市民・NGOの役割

1980年代 行政との対立.問題点指摘が中心
1990年代 行政との協力が始まる。市民とNGOとの区別
2000年代 NGOが社会のセクターとして定着。しかしNGOが万能でないことにも注意


 霞ヶ浦で1995年に開かれた第5回世界湖沼会議ではこの三者に加えて、企業も何か役割を果たす部分があるはずだ、それを探ろうということで企業の役割も強調されました。残念ながらこの時には企業が湖沼保全に関して何をすればよいかということに対する答えは出ないままで終わりました。ところが、この会議からほんの1,2年のうちにISO14001という環境管理の認証取得を取得しようという動きが製造業からサービス業に至る広い分野の企業にあっというまにひろがりました。現在では認証取得企業数でわが国は世界一になっています。このほか低公害車の開発、二酸化炭素排出件取引にかかる動きなど行政に言われてしかたなくやるというよりも、生き残りをかけた企業戦略として動いているというのが公害対策の時と大きく異なる点でしょう。

ISO14001審査登録件数

 琵琶湖に戻って2001年に開かれた第9回会議になりますと、四つのセクターだけでなく、学生にも役割があるのではないか、芸術家の役割はどうなるのか、子供はどうするというふうに世の中のいろんなセクターがみんなそれぞれ役割を持っているという理解が進んできました。また第一回会議の時は「市民」は個人と市民グループの両方を含む意味で使われていたようですが、第9回会議においては個人としての市民とNGO/NPOとしての役割は異なることが認識されました。NGOの役割に注目してみると、80年代のNGOは基本的には問題指摘型、すなわち注意を喚起して警鐘をならすという役割でした。それが1990年代になりますと行政と協力をしてやって行こうというふうに、それと個人としての市民それから組織としてのNGO.NPOこれはやっぱり役割が違うねということがあります。今ではNGO/NPOは杜会の欠かせないセクターとして完全に定着しているのではないかと思います。

湖沼関連会議の宣言やビジョンの中で、保全の担い手とされたセクター


1984
第1回世界湖沼会議
(滋賀)
1995
第5回世界湖沼会議
(滋賀)
2001
第9回世界湖沼会議
(滋賀)
2003
第3回世界水フォーラム
(近畿)
行 政
研 究
市 民
企 業
×
NGO
×
×
各種セクター(例 子供,表現者)
×
×


湖沼関連会議における注目テーマの変遷


1984
第1回世界湖沼会議
(滋賀)
1995
第5回世界湖沼会議
(滋賀)
2001
第9回世界湖沼会議
(滋賀)
2003
第3回世界水フォーラム
(近畿)
注目
テーマ
水質


湖の生態


流域管理


水量



発表
内容

問題提起


成果発表



行動指向



 研究者も関連セクターの一つです。生態系保全のために研究が必要ということではほとんどの方が同意されるでしょう。事実、生態学の分野では保全生態学が花盛りです。しかし研究者の対応に問題がないかというとそうではありません。例えば湖沼会議における研究者の発表の中には、自分の著書紹介の新聞記事を貼り付けただけのものもありました。内容もプログラムと異なっており、察するにキャンセルしてスペースが開いていたので著書の宣伝記事を貼り付けたといったことかもしれませんが、スペースが空いたからといって学会のポスターパネルに自分の著書紹介を貼り付ける研究者がいるでしょうか。最新の研究知見を伝える必要はないし適当に貼っておけばいいやという感覚でやったこととすれば腹立たしい限りです。滋賀県関連の研究者からの発表も決して多くはありませんでした。研究者の役目は一流学術誌に多くの論文が掲載されることであるとばかりに論文生産にはげんでいます。ほんとうに研究を行政や企業活動に結びつけるためにどのような研究が必要かという発想で研究を行っている研究者は数少ないのだと思います。他のセクターも同様であり、参加者はたいてい自分に関係のある発表のところに集まってしまいます。他分野と科学研究をつなぐためには、インタープリター(ポピュラー・サイエンス)が必要と思いますが、現在はメディアがその役目を担っており、研究者側にそうしたセンスを持った人はきわめて少ないのが現状でしょう。

学会のポスターパネル

行政のツール

 この20年間に行政のやることも変わってきました。情報公開の進捗と事業評価の導入は20年前には考えられもしなかったは大きな進捗でしょう。琵琶湖をめぐる取り組みも水質対策から生態系保全に重点が移ってきました。更にそれを実現してゆくための方法も変わってきました。行政が一番得意とするのは、あれやっちゃいけません、これやっちゃいけませんという規制です。これには予算もあまりかかりません。次にヨシを植えたり浚渫したり下水道を整備したりという物理的に環境を改善してゆこうという方法があります。しかしこれには驚くほどの費用がかかります。予算の伸びが期待できない中で最近強調されてきているのが教育啓発的手法です。自然を変えようとするのではなく、人を変えることで自然を守って行きましょうというタイプの事業が多く見られるようになりました。住民の側から見ますと、規制的な手法は上から押し付けられたもので、渋々従っています。物理的な改善はお金がかかっているみたいだけれども私たちにメリットがぜんぜん感じられないねという結果になりがちです。教育啓発的手法になりますと、初めて自分たちもその意味を理解して協力できるようになる。そういう違いがあるのかと考えております。

政策タイプ
予算
問題点
住民
規制的手法(例:排水基準、税制、湖上利用規制)

・河川水質の改善には成功
・かなりのところまでやってしまった
しぶしぶ従う
物理的手法
(例:下水、浚渫、ヨシ植栽)

・予算の壁
無関心、無駄遣い批判
教育・啓発的手法
(例:湖の子、観察会)
小?
・費用/効果の測定?
理解して協力

費用効果

 行政の中心課題に予算配分があります。何にどれだけのものを使ったらいいのか。普通私たちは予算というのは総額で考えがちですが、問題は中身です。ずいぶん古い例ですが、琵琶湖がラムサール登録された1993年の滋賀県予算を見ると、ラムサール条約の啓発に800万円の予算が計上されています。ところがヨシ群落の復元には1億5千万円、1,500人分の農村下水道を建設するのに11億円かかっています。農村下水1,500人分を整備したらラムサール条約を啓発する千倍以上の効果があったかどうか、この効果測定は難しいですね。方程式が無いわけですからよくよく考えねばならないと思っています。巨費を投じた琵琶湖総合開発についても、総額に注目するだけでなく、費目別の分配がこれで良かったのかどうか精査する価値はあると思います。

琵琶湖がラムサール登録された1993年における滋賀県予算から

800万円
ヨシ帯復元事業
1億5千万円
農村下水建設 (1500人分)
11億円

琵琶湖総合開発に要した費用
琵琶湖総合開発に要した費用

悪いのは自分以外の誰か

 霞ヶ浦で第5回湖沼会議が行われたときに、地元の新聞社がアンケートを行いました。霞ヶ浦を守るために何をすればよいかということを異なる分野の人々に訪ねたのです。そうすると、市民、企業、研究者、行政が考える優先順位はみんな違っていました。例えば、企業は環境教育よりも富栄養化防止が重要と考えているのに対し、市民によっての重要性は逆の順序になっています。研究者は生態系の保全を重要視していますが、市民啓発の重要性はそれほど感じていません。また、企業人は市民をもっと教育したらいいというふうに思っているが、市民自身は自分たちの啓発が必要だとはあまり思っていない、という結果でした。大きく見ると、自分の属するセクターは悪くなくて、他のセクターが悪いから問題がおきるのだと考える傾向があるということがわかります。
 湖沼保全という山に向かって、いろんなセクターが互いには見えにくいルートから登攀努力をしていることを確認しあう、そして互いに協力できる部分を探るというのが世界湖沼会議の本来の目的のはずです。しかし、アプローチ方法が異なり、使う用語も異なるセクター同士の意見をかみあわせるのは予想よりはるかに難しいことのようです。うまい即効的な解決方法は見あたりませんので、時間がかかるかもしれませんがこういう場を通じて少しずつ意見交換を繰り返してゆくのが結局は早道なのかと思います。

霞ヶ浦保全にかかる優先分野

3.国際交流の重要性

なぜラムサールで国際協力が必要か

 鳥類が他の動物群と大きく異なっているのは、多くの種類が長距離の渡りをすることです。なかには北極圏から南極圏まで1年のうちに地球をほぼ一往復するような種類もいます。こうした仲間にとって、ある国の生息地だけが保全されても、渡り先の生息環境がこわされれば生きてゆけません。とりわけガン・カモ類やシギ・チドリ類のような水鳥にとって水深や餌の豊富さなど生息適地としての条件はけっこう厳しく、水があればどこででも生活できるわけではありません。このためフライウエイとよばれる渡りのルートや途中の立ち寄り場所はほぼ決まっています。世界のフライウエイはアジア・太平洋、ヨーロッパ・アフリカ、南北アメリカの3グループに大別されます。
 こうした渡りルートを確保するためには関係国の国際協力が不可欠なわけです。他の環境関連条約と比べてラムサール条約が割に早い時期に採択された背景には、こうした理由も合ったと思います。今から10年ほど前にはラムサール条約に加盟していない国もけっこうたくさんあり、加盟国の増加が急務だったのですが、現在では戦乱の中にある国や砂漠の国などを除いて大部分の国がラムサール条約に加わるようになり、加盟国を増やすという目標はほぼ達成されました。

世界のフライウエイ区分および湿地に関するJICAのプロジェクト対象地
世界のフライウエイ区分および湿地に関するJICAのプロジェクト対象地

1992年時点の加盟国(黒色)と2002年時点までに増加した国(赤色)
1992年時点の加盟国(黒色)と2002年時点までに増加した国(赤色)

 渡り鳥を保全するためには、ラムサール条約のように多国間条約として国際協力を行うほか、関係する二国間で条約や協定を結ぶことも可能です。日本は既に米国、ロシア、オーストラリア、中国といった国と渡り鳥に関する二国間協定を結んでいます。

湿地に関わる滋賀県の国際協力

 第1回の世界湖沼会議を開催して以来、滋賀県国際湖沼環境委員会(ILEC)の設立や国連環境計画(UNEP)への協力をはじめ湖沼に関する数多くの国際貢献をしてきました。あまり知られていませんが、ラムサール登録湿地に関する協力もあります。国際協力機構(JICA)のラムサール登録湿地に対するプロジェクトとして下記のようなものがありますが、その多くに滋賀県がなんらかの形で係わっています。

ラムサールに関わる滋賀県の国際協力

JICAのラムサール登録湿地関連プロジェクト
琵琶湖との関わり
1999
パトス湖環境管理計画 (ブラジル、リオ・グランデ・ド・スル州)
滋賀県職員が作業監理委員を務める。滋賀県と同州は姉妹提携
1999
ルバナ湿地環境管理計画(ラトビア)
琵琶湖の経験を生かすこととの指示が業務仕様に記載された
2000
ナクル湖総合管理計画(ケニア)
琵琶湖研究所が協力
2002
アンザリ湿地生態系保全計画(イラン)
滋賀県職員が作業監理委員を務める
2003
チリカ湖湿地保全(インド)

チリカ湖(インド)の事例

 ベンガル湾に面したインド最大の湖であるチルカ湖は面積約1,200平方kmと琵琶湖の二倍弱の大きさです。シベリアとインドを往来する渡り鳥の主要越冬地になっているため、ラムサール条約の登録湿地にもなっています。しかし、この湖は土砂堆積、淡水化、水草異常繁殖、濫獲による急激な漁獲減少、エビ養殖に係る地元と外部資本との対立など数々の問題を抱えています。
 まず土砂堆積ですが、土砂の流入のために湖全体が浅くなっており、琵琶湖よりも大きな湖の湖心付近でも人が立てるほどの場所があります。遠くから見ますと神様が水の上を歩いて渡っているふうにも見えます。

土砂堆積の進むチリカ湖
土砂堆積の進むチリカ湖

 これに伴って淡水化も進行しています。潟湖ですのでわずかに海への開口部があるのですが、潮流の影響でどんどん海との開口部が埋まってきて、汽水が淡水に変わりつつあります。このために淡水性水草が異常に繁茂し、現在は湖の半分近くが水草の異常繁殖地帯になっています。これらのことは汽水性の種を中心に魚やエビの減少につながり、更には渡り鳥越冬地としての餌条件も悪化させると懸念されています。このため湖の漁業は大きな影響を受けています。湖の周辺には家族を含めて10万人近くの人たちが暮らしており、その95%ぐらいが漁業に依存しています。ところが、漁獲はこの10年間で1/8にまで急激に落ち込んでいます。上記の堆砂や淡水化などの自然現象のために資源量が減少したのは確かでしょうが、湖上に漁船があふれるように散らばっている光景を見ると、自然要因だけでなく乱獲が大きく影響しているのは確実でしょう。エンジンボートの導入などがそれに輪をかけています。

急激に落ち込むチリカ湖の漁獲量
急激に落ち込むチリカ湖の漁獲量

 社会経済的な問題としてはエビ養殖があります。外部資本が湖周辺の湿地に堀をつくってどんどんエビ養殖を始めているために、地元漁民との対立が起こるという構図です。私どもが現地を訪れた時にも、エビ養殖業者と漁民の双方が寄ってきて口論を始めるというふうでした。ただし、近年はこうした活動は禁止されたようです。

漁船であふれるリチカ湖
漁船であふれるリチカ湖

 それでは対策がどうなっているかですが、チリカ湖ではチリカ湖開発公社(CDA)が活発に復元に向けた努力を行っています。海とつなぐ新たな開口部開削が3年前に開削され、漁獲は急激な回復を示しています。またCDAはイベントなどを通じた啓発活動にも熱心で、これらはNGOと連携して展開されています。ラムサール条約では危機にある登録湿地をリストアップするモントルー・レコードという制度を持っていますが、チリカ湖はその中の一つでした。しかし、こうした保全努力が評価されてチリカ湖は近年にこのリストからはずされ、CDAは2002年度ラムサール湿地保全賞を授与されました。

チリカ湖開発公社(CDA)

ラグーン型湿地には共通点が多い

 ラムサール登録湿地の多くは、海や巨大な湖の岸に水流によって砂州が発達し、それが閉じてできたラグーン(潟湖)にあります。その理由の一つは、水鳥が浅い水域を好むことです。一部の水鳥は水中で足の立つ浅い場所でしか生活できませんし、水に潜って水草や魚を食べる種類もあまり深くは潜らないからです。また汽水の潟湖は生物生産量が高くて底生動物も多いので、餌場としても適しています。渡り鳥のとなっています。また水鳥は海岸沿いに渡ることが多いため、汽水湖のような海岸湿地は中継地、越冬地、繁殖地としてとりわけ重要です。ラムサール登録湿地の中ではインドのチリカ湖、タイのソンクラ湖、ブラジルのパトス湖、イランのカスピ海に面したアンザリ湿地などがこのタイプの例です。登録はされていませんが、国内では中海やサロマ湖などがこのタイプです。これらのラグーンは形が似ているだけでなく、チリカ湖に見られるような問題を共通して抱えています。見方を変えれば、国際的な経験交流から多くを学べるタイプの湿地といえるでしょう。

土砂堆積: 潟湖は流入河川による土砂堆積や海流による開口部の狭窄など常に変化を続けている湖沼であり、この問題を根本的に解決することはできません。しかし、長期的には集水域の緑化や農業対策、短期的には狭隘部の開削などの土木工事によってある程度の対策は可能でしょう。チリカ湖やパトス湖にその例が見られます。

富栄養化: 汽水湖の水深は概して浅く、表面積に比して水量は極めて少ないので、汽水湖はいずれも富栄養化をおこしやすい状況にあります。他方、水深が浅くて酸素が供給されやすいことから汽水湖は天然の浄化槽としての役割も果たしています。

生態系の脆弱性: 汽水湖の生態学的特徴は塩分濃度や水位に大きく影響されます。とりわけ海への開口部形状は塩分濃度に大きく影響し、それは魚類相や湖岸湿地の植生、更には内水面漁業に決定的な影響を与えます。しかし、開口部形状は開発行為などの人為影響が無い場合でも海流の影響などによって簡単に変化するので、手をつけないことによって汽水湖を現状維持することは不可能であり、人間による何らかの管理が必要です。

生物多様性: 淡水と海水の接点に位置しているため、汽水湖は豊かな魚類多様性を有しています。パトス湖やチリカ湖のように淡水イルカが生息している湖もあります。他方、潟湖はいずれも水流によって比較的近年に形成された湖である。例えばパトス湖が現在の姿になったのはほんの5万年前のことである。このため動植物ともに生物進化に必要な古さを有しておらず、固有種を有することはまれです。

漁業: 汽水は生物生産の高い水域であるため、いずれの湖でも内周面漁業が発達しており、とりわけアジアではしばしば地域経済の中心となっています。汽水湖では乱獲による漁業資源の減少や養殖漁業による水質汚濁についても共通の悩みを抱えている。

淡水資源としての利用: 汽水湖周辺には開発可能な平坦な後背地が多いことから、湖水はしばしば農業開発、工業開発のための淡水資源と見なされます。パトス湖水系の一部であるミリン湖は水門によって完全に淡水化されてしまったし、ソンクラ湖にも淡水化計画がある。こうした計画は水質汚濁や生物多様性の低下を招きやすく、漁業にとっては塩水性魚類やエビの減少を意味するので、各地の汽水湖で漁業や自然保護とのあつれきが生じています。

チリカ湖 パトス湖 アンザリ湿地

形も共通する潟湖: チリカ湖(左)、パトス湖(中)、アンザリ湿地(右)

韓国における政府の取り組み

 韓国の自然保護に関する地域指定制度を見てみますと、1966年に天然記念物に関する地域指定制度ができました。1989年には生態系保全地域、1991年には自然環境保全地域を指定する制度ができました。湿地への関心が高まったのは1990年代後半になってからで、1997年に韓国内第1号のラムサール登録湿地が指定されました。とりわけ注目されるのは1998年に湿地保全法が制定され、それによって1999年に湿地保全地域制度ができたことです。日本にはこのように湿地だけに着目した保全制度は存在しません。
韓国で湿地保全関連の予算が伸び始めたのは1995年頃からです。現在の予算規模は10年前の5倍以上と、順調な伸びを示して言います。予算内容を施設整備、調査、教育・啓発の3タイプに分けてみますと、9割以上が観察塔の整備や人工湿地建設といったいわゆるハコ物整備に使われていたのは日本と同じです。調査予算は1995年頃から、教育・啓発予算は1999年頃から計上されはじめました。現在、施設整備予算に対する調査と教育・啓発予算の割合は前者の2割程度となっています。2003年からは4年間で71億ウォン(約7億円)を湿地保全として予定しているそうです(テレビニュースなので聞き違いがあるかもしれません)。

登録湿地になって起こった変化

 牛浦(ウポ)は韓国2番目のラムサール登録湿地で、1997年に登録されました。登録後、世界でも類を見ないほど大きな変化がこの湿地に起こりました。登録されるまでは韓国内でもこんな湿地があることはまず知られていなかったのですが、登録直後から多くの人が訪れるようになったのです。かつては繁茂した水草の中を地元のタニシ取りの小舟が進んでゆくといった静寂さに包まれた湿地だったのですが、今では観光バスが駐車場にとまり、観察施設や土産物屋ができて、観光客がひっきりなしに遊歩道を行き交う場所になっています。事実、年間300万人の訪問者があるとのことです。近くには釜谷温泉という観光地があるので、地元の昌寧郡郡庁は韓・日・英語のフィールドガイドもつくるなど観光資源が増えたという感覚で「二億年の神秘」をキャッチフレーズにしています。

静かなウポ
登録直後から観光開発の進むウポ
静かなウポ(上)と、登録直後から観光開発の進むウポ(下)

ウポ湿地では観光資料も整備されている
ウポ湿地では観光資料も整備されている。

 他方、思わぬ問題も起こりました。ウポは洛東江の遊水池といえる機能を持っているのですが、2003年夏に堤防が一部決壊して隣接地に被害を与えました。地元農民がこの洪水は湿地を保護したために発生したのだと理解し、ラムサールに反感を抱くようになったとのことです。

決壊した堤防(左側が湿地、右側が低地)
決壊した堤防(左側が湿地、右側が低地)

韓国における理解不足

 韓国釜山市の事例を紹介します。釜山市は洛東江(ナクトンガン)という大河が流れていて、その河口干潟はハクチョウをはじめとする水鳥のすばらしい渡来地になっています。その場所は既に天然記念物指定域、海岸汚染管理地域、自然環境保全地域、生態系保全地域など何重もの規制の網の下にあります。その点からするとラムサール登録湿地になってもまったくおかしくない場所ですが、まだ登録されていません。なぜかというと漁民が反対しているからです。ラムサール登録湿地になったら更に規制が強まるのではないかという誤解から数年前には釜山市に対してラムサール反対の漁民デモまで起こりました。釜山市側も漁民に対してラムサール指定というものがどういうものなのか、担当者がちゃんと理解できないままで話を進めていった節があります。行政側の説明不足ということが原因のひとつとしてあげられるかもしれません。

幾重にも保護地域の網がかかった洛東江河口
幾重にも保護地域の網がかかった洛東江河口

韓国におけるNGO活動

 韓国では朝鮮戦争(1950-53)が終わった後も、きびしい南北対立のもとで民主的な政治体制はなかなか訪れませんでした。歴代政権を見ると、朴正煕大統領(1963-79)、全斗煥大統領(1979-86)、盧泰愚大統領(1987-92)まではいわば軍事政権といってよいでしょう。民主政権といえるのは金泳三大統領(1993-97)の時からで、それは金大中大統領(1998-2002)、盧武鉉大統領(2003- )と受け継がれています。韓国における環境運動は1990年代のはじめから盛んになってきました。これは韓国の政治が民主化された時期とほぼ一致します。韓国の高度成長が1970年代の軍事政権時代にはじまったことを見ると、経済成長はこうした状況下でも可能なのでしょうが、NGO活動には民主的な政治体制が不可欠なことがわかります。
ウポ湿地では韓国環境運動連盟(KFEM)によって廃校を利用した自然学習施設も設けられた。
現在、韓国では多くのNGOが湿地保全に関わっています。韓国環境運動連盟(KFEM)は会員8万人48支部を擁する韓国最大の環境団体です。人口規模で日本の三分の一の国に我が国最大のNGO日本野鳥の会(会員数約5万名)を上回る団体があるのですから、その活発さが伺えます。KFEMはラムサールサイトである牛浦(ウポ)においてエコ・センターを運営し、教育活動を行っているほか、黄海に面した錦江(クムガン)の河口干潟保全にも取り組んでいます。この干潟ではYMCAも活動しています。Wetlands and Birds Korea(WBK)は1999年に設立され、会員730人2支部と大きな組織ではありませんが、湿地と渡り鳥に重点的に取り組んでおり、京畿道のソサン干潟において調査活動を行うほか、釜山市の洛東江河口干潟で調査と教育活動を行っています。緑色連合(グリーン・コリア)も会員1万人の大きな団体で、KFEMと同様に平和や社会問題など広く取り組んでおり、湿地や渡り鳥もテーマの一つです。メガラムは情報ネットワークに強みを持つ団体ですが、非武装地帯近くの鉄原(チョルウォン)においてツルに関わる活動を行っています。

廃校を利用した自然学習施設

ウポ湿地では韓国環境運動連盟(KFEM)によって廃校を利用した自然学習施設も設けられた。

ルバナ湿地帯環境管理計画

 わが国の国際協力は主に南の発展途上国を対象としていますが、旧社会主義諸国などに対する協力も行われています。これまでの話は既に登録されたラムサール湿地に関わるものでしたが、ラトビアでJICAが行ったプロジェクトは登録に必要な管理計画を作成することをならいとしていました。この国の内陸にあるルバナ湿地はラムサール登録基準を満たしていますが、まだ登録はされていません。その理由の一つは、登録に必要な管理計画が存在しないからです。バルト海に面したラトビアは面積が北海道より少し小さいくらいの小国で、1990年の旧ソ連からの独立を回復しました。ヨーロッパの一因としての意識の強いこの国では、EU加盟に向けて国のシステムを旧ソ連型から西欧型に完全に作りかえる作業を急速に進めてきました(2004年にEU加盟は実現しました)。

氾濫草原の碁盤目状の排水路に沿って樹林が育つ
湿地を林業に用いるために作られた排水路
氾濫草原の碁盤目状の排水路に沿って樹林が育つ 湿地を林業に用いるために作られた排水路

 経済体制の移行は政治システムの場合より大変です。ルバナ湿地帯では旧ソ連時代に林業や農業を振興するために泥炭湿地の排水事業が大規模に進められてきました。また洪水防止のために湿地に大規模な堤防システムや水門が作られました。更に、湿地には大規模な養魚場が作られ、旧ソ連地域がマーケットとなっていました。しかし市場経済化に伴い、価格競争力のない農業は急速に疲弊して、牧草刈り取りによって維持されていた独特の草原生態系は姿を消そうとしていますし、排水された洪水草原や高層湿原には樹木が入り込もうとしています。また水鳥の生息適地となってきた湿地は単なる貯水池に変化してしまいました。マーケットを無くした養殖漁業も同様に壊滅寸前で放棄養魚池が増えています。
 こうした状況の中では地元の生活向上を考えない環境プロジェクトは成り立ちません。JICAが協力した同湿地の環境管理計画における柱の一つは釣り、ハンティング、グリーンツーリズムなどを含む観光業(ツーリズム)です。そのためには現状を湿地に戻した方が有利なので、排水路の随所を多くの小型木製ダムでふさいで湿地を復元させることが計画されました。貯水池化された湿地全体の回復は困難ですし、下流の洪水防止といった機能が無くなったわけではありませんので、湿地全体の生態系回復は困難とされました。しかし、養魚池の随所には長年のうちに凸凹ができて水鳥の休み場や採餌場として適した環境が意図せずにできあがっています。そこで養魚池の水位コントロールにおける配慮や小規模な改善事業を通じて代償措置として水鳥の生息環境を確保し、同時にエコツーリズムにも利用しようとするのが計画の概要です。

水鳥の生息適地と変わってきた養魚場
水鳥の生息適地と変わってきた養魚場

エコツーリズムの問題点

 湿地保全の国際協力プロジェクトを進めるときに、賢明な利用方法の一つとしてしばしば話題に出るのがエコツーリズムあるいはグリーンツーリズムです。例えば、JICAが行った上記の計画にはすべてエコツーリズムが含まれています。ただしエコツーリズムがどんな場所でも成り立つ利用法かといえば、それには疑問があります。北欧のバルト三国の一つにエストニアという小さな国があります。この国は15年前の1989年にソ連崩壊に伴って独立を回復したのですが、観光産業が国のGNPに占める割合は17%に達しています。独立当時はそんな産業などなかったわけですが、10年そこそこまでそんなレベルに達している訳です。その気になれば産業構造というのはドラスティックな変化をおこすことが可能という好例でしょう。この産業を支えているのはドイツからの観光客です。こうした人達は日本式にあちこちをうろうろして帰ってくるのではありません。子供たちも含めてファミリーでやってきて例えば夏の一ヶ月滞在をして帰ってゆくのです。すばらしい観光資源が必要なわけではありません。どの地にでもあるような田舎の生活が楽しめればよいわけです。それではなぜエストニアへ来るかと言えば、ドイツ国内で過ごすより物価が安いという理由です。
 こうしたグリーンツーリズムを日本でできるかというと、まず一家をあげて一ヶ月の休暇をとって田舎で暮らすのは大変難しいです。それから観光客が夏の一ヶ月に集中して来てもらったら経営効率が極めて悪くなります。季節変動はしかたないにせよ晩秋や冬にも少しは来てもらわないと困る。そうすると、その気になればどんな季節にでも一ヶ月ぐらいまとめて休みを取れるような社会システムが必要です。何よりも、何もない田舎で1ヶ月過ごすこと自体が日本人には耐えられないでしょう。
 気をつけねばならないのは、エコツーリズム/グリーンツーリズムといえども競争産業だということです。他の産業が成り立たないような場所でも可能な産業ではあるわけですが、ビジネスには競争がつきものです。エストニアがグリーンツーリズムで成功したということで、隣国のラトビアという国が隣の真似をして一生懸命やっているんですが、なかなか勝てません。目論見がはずれることもありますし、自分のところはがんばっているつもりでも、他の地域がそれより魅力的なことを始めれば負けてしまいます。開発途上国でも自分のところの自然はすばらしいからエコツーリズムを興したいという話はよく聞くのですが、マーケティングリサーチすなわち競合地域との比較検討がなされていない場合がほとんどです。経営者としてセンスが必要です。借金をしてはじめた事業が失敗すればどんな結果になるかは明らかです。

ソンクラ湖におけるエコツーリズム
ソンクラ湖におけるエコツーリズム

 環境教育の位置づけに関するもう一つの可能性はこれを公共事業と考えることです。今までの公共事業は土木工事で物を作ることがほとんどだったわけですが、これからは人を創るという公共事業があってよいと思います。物作りだからお金がかかって人つくりが安いということはないはずです。例えば教育にものすごくお金を投入して有能な人材を地域に確保し、その人材を活用して余所ではできない産業をおこしてゆくのです。自然観察の場合では、とおり一遍の説明を聞くだけの場合から、自分はこの道にかけようと訪問者の人生を方向付けるほど高いインパクトを与える場合まで、指導するインタープリターの能力によってその成果は大きく変わってきます。また実学的な能力だけでなく、地域に感性豊かな子供たちをつくってゆくこと自体も地域振興におけるあり方の一つでしょう。

国際協力は経験の双方向交流

 国際協力関連の新聞記事にはしばしば「日本の経験を世界に伝える」という決まり文句が使われます。たしかに汽水湖の場合のように環境や問題の類似点は多くあり、他国の経験から学ぶことは多くあります。しかし、文化の違いなど目に見えない違いがたくさんあり、社会経済的な問題に糸口を見つけるのは簡単ではありません。問題は似ていても解決法まで同じということはありません。
 例えばチリカ湖のインドでは漁民は低いカーストとされており、社会的な差別構造があるようです。湖岸にあるチャンドラプットという漁村の場合、人口2,000人のこの村には学校が無く、識字率も20%を下回っています。収入の面でも村全体で1日の収入が4,000〜5,000ルピー(約15,000円)に過ぎません。漁業以外に生活の方法もない中で、どうやって漁獲減少に対応しているのかよくわかりませんでしたが、この状態でも男が漁に出るのは3日に1回程度とのことです。言葉も大きな障壁です。インドでは州によって言葉が違いますので、隣の州の人と話すにも通訳が必要ですし、村で英語が話せる人はたった1人でした。こうした状況に取り組むためには環境という側面からのアプローチでは歯が立ちません。

ラトビアのハンター
ラトビアのハンター

 ルバナ湿地の計画作りではハンティングの扱いが問題になりました。ラトビアにおける狩猟は人々の意識に深く根を下ろした文化であり、男性の多くはハンティングを趣味にしています。同国環境省職員の趣味を訪ねてみたところ、男性職員の答えはたいていハンティングでした。こうしたセンスと妥協点が見つからなかったのはバードウオッチングとハンティングの関係です。猟場の近くにある観察場所で水鳥に近づくのは無理です。日本の感覚では保護区といえば禁猟が常識ですが、保護区では狩猟禁止という日本側の提案には大きな抵抗がありました。ハンティングをしているからこそ個体数が適正に管理されているという発想です。
 事実、ラトビアの森はいくつもの猟区に区切られ、それぞれを狩猟団体が管理しています。そこに生息する野生動物個体数は基本的にハンターグループからの申告にも続いており、報告個体数を森林局がクロスチェックするというシステムは1930年代から機能しています。野生動物管理計画もこの報告をベースにつくられ、翌年の狩猟許可頭数が決められます。こうしたシステムはハンターが虚偽の報告をしたり、あるいは個体数推定の能力が低かったりすれば成り立たないのですが、ラトビアではハンターグループに所属するのはステータスシンボルなので、それが成り立つのです。このやり方は見方を変えれば市民参加型の野生動物管理に他なりません。日本ではハンターの高齢化が進んでおり、野生動物の個体数管理を誰が担ってゆくのかが問題になっていますが、ヒントの一つがこの国にあるように思えます。ヒントはこれだけではありません。貯水池化されて常に水をたたえるようになったルバナ湖の湖畔には地下水位の上昇によって立ち枯れした樹木が見られます。琵琶湖総合開発における琵琶湖の水位調節には、湖岸植生へのこうした長期的な影響も考慮する必要があるでしょう。国際協力は経験の双方向交流であることを最後に確認しておきたいと思います。

ルバナ湿地の立ち枯れ木
ルバナ湿地の立ち枯れ木は湿地が貯水池化された時に起きる生態変化の教訓


琵琶湖ラムサールシンポジウムで講演,2003年9月6日(琵琶湖博物館

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