灰色の地肌をさらけ出す丘陵地に白く立ち上る土煙が、終わった戦いの激しさを物語っていた。右手にキラーセイバーを握りしめ、左手を背の傷にあてがいながら、レー・ワンダは戦場から立ち去ろうとするフラッシュマン達の後ろ姿を睨み付けた。
「…この傷の痛み、決して忘れぬ!」
ワンダは血を吐くような叫びを上げた。
「だが俺にはこの剣が残った。この翼もリー・ケフレン様に治していただき…必ず貴様を倒す…!」
裁ち落とされた片翼の痕から青緑の液を滴らせながら、ワンダは小さくなるレッドフラッシュ=ジンを剣で指し示した。
敵の姿が消えてもなおワンダは宙を睨んでいたが、ふっとその瞳から光が失われた。膝から崩れ、そのままワンダの体は砂礫だらけの斜面を滑り落ちていった。
背の翼を傷つけぬよう、常々うつぶせに眠りをとるワンダは、目を開いてもなおしばらくは意識を闇と光の狭間に漂わせていた。
記憶と意識が一点に結びつき、慌てて半身を起こそうとして、急に襲ってきた痛みに思わず苦悶の声を上げる。体を折りたたむようにしながらおもむろに辺りを見回す。
そこは改造実験基地ラボー内の彼の私室だった。
見慣れたはずの場所に感じた一瞬の違和感に、ワンダは首をゆっくりと戻す。
無骨一辺倒の彼が設えた最低限の調度…その簡素なソファにレー・ネフェルが座っていた。
「あら、ワンダ。勝手にもらっているわよ」
その手にグラスがあり、琥珀色の液体が揺れている。
「ネフェル、なぜ…ッ」
立ち上がろうとしてワンダは再びうめいた。そしてようやく自分の傷が手当てされていることに気付く。
「…なぜ、お前がここにいる」
歯のすき間から声を押し出すようにする。
ネフェルは流し目をくれた。
普段から、決して無表情というわけではないが何を考えているのかわからない、捕らえどころのない笑顔を見せる女だったが、今もまさにそうだった。
「なぜって、あなたが戦いの後すぐに倒れたから運んだだけよ」
ワンダはクッと息を漏らした。
「なら、用が済めばさっさと戻ればいいだろう」
ネフェルはつんと唇を尖らせて横を向いた。
「せっかく助けたのにそんな言い方しかできないのね。まずはお礼を言うものじゃなくて?」
が、なにも言葉が返ってこないので、ちらりとワンダに視線を投げる。
彼は視線を落とし、膝にかかった布を握りしめていたが、やがて
「…すまなかったな」
と一言口にした。
常に尊大な彼らしくない言葉に、ネフェルは一瞬口元を引き結んだ。
「…大博士リー・ケフレン様はずいぶんご立腹だったわよ。50年に1度の機会をものにできず、むざむざ逃したって」
「そうか、どのような叱責を受けてもしかたない。ケフレン様と大帝ラー・デウス様に今すぐお詫び申し上げよう」
ワンダは布をはねのけ立ち上がった。
「そして、この体をなんとしても治していただかなければ」
「博士はもうお休みになったわ。お会いできるのは明日の朝ね」
「なに…」
ワンダは初めて戦いから今までの時間の経過に気付いた。
「俺は、そんなに…」
ぐらりと体を揺らすワンダの腕を取り、ネフェルは自分の横に座らせた。
ワンダはわずかの間惚けたように宙を見上げていたが、ゆっくりと横を向いた。
「…なぜ、ここにいるのだ、ネフェル」
ワンダは初めの問いを繰り返した。
「別に…。ちょっとお酒を失敬したかったってところかしら」
しらりと口にするネフェルを納得いかないといった顔で見つめるワンダだったが、やがて額を抑えながらつぶやいた。
「俺にも、もらえるか」
「もちろん。あなたのお酒でしょう」
ネフェルはついと立ち上がるとグラスと瓶を手に戻った。
「…これは俺が初めて征服した惑星の戦利品で、まだ封も切ってなかったはずだが」
「…それは失礼」
ワンダは手にしたグラスに口を付けた。とたんに顔を歪める。
「…ずいぶんとキツイな」
「そうかしら?」
答えるネフェルのグラスの中身はすでにほとんど無くなっている。
ワンダは無言でグラスの中身を一気にあおった。
と、
「グ、ゴホッ…!」
いきなり咳き込み、それが傷に障ったのか、自分で自分をかき抱くようにして体を折り曲げた。
「ワンダ?」
ネフェルはハッと横を向く。
ワンダは顔を歪めながらも、グラスに新しい酒を注ぎ、今度はゆっくりと口に運んだ。
ネフェルは黙って瓶を取り、自分のグラスを満たした。
無言のまま杯が重なる。
ワンダの青白い顔色は変わることがなかったが、薄茶色の瞳にうっすらと靄がかかったようになった。
体を微妙に揺らしながらワンダは口を開いた。
「ネフェル、お前を生み出した生物は美しかったのだろうな」
「…さあ」
「いや、きっとお前は美しい生物から生まれたのだ。俺と違って」
ワンダの口元が歪む。
「俺は実験改造帝国メスの幹部としてあの醜い…」
彼は言葉を切った。
「……醜い生物たちの持つ力を集めて作られたのだ。幹部となるために…っ」
ワンダは胸を反らした。
「そうだ…っ、幹部となるために……俺は…あれほど醜い生物たちから生まれたのだ…っ」
かくりと頷くのにつれて体が前にのめる。
体を引き戻しかけて、ワンダはそのままネフェルの膝の上に倒れ込んだ。
ぱちぱちと瞬きをする。
なかなか自分の置かれている状況を判断できないらしい。
体を起こそうとネフェルの膝に手をつき…そのまま動きを止めた。
そっとワンダの掌がネフェルの斑紋の浮かんだ毛並みを撫でた。
「…気持ち…いいな…」
眠たげな声でワンダはつぶやく。
二度、三度、ネフェルの艶やかな毛並みの上をワンダの手が動く。
「ネフェル…お前は美しいな…」
まもなくワンダは軽いイビキを立て始めた。
ネフェルは小さくため息をついた。
「…本当、なぜここにいるのかしらね」
グラスの残りを飲み干し、眉をひそめた。
「こんなもの、味もわからないし、酔うことだってできないのに」
グラスを置き、再びため息をつくと、膝の上のワンダを見下ろした。
彼の残された左の翼にそっと指を滑らせる。
「今のあなたの翼は美しいわ。…それでいいじゃない」
そしてワンダの頭にふわりと手を置いた。
「いいこと、明日からまた高慢ちきなあなたにもどりなさい。…みんな忘れて…」