古めかしい洋館の一室。
夥しい数の硝子瓶や試験管、鈍く光る金属の管、毒蛇の如く絡み合う配線、ゆらゆらと針を揺らす計器……。
まるで戦前の空想科学小説に出てくる「謎の研究所」をそのまま形にしたような、雑然とした薄暗い部屋の中に、一組の男女が佇んでいた。
仕立ての良い着物を着こなし、銀縁の眼鏡をかけた「書生風」の男は、黒革張りの椅子に腰掛け、頬杖をつきながら部屋の一隅に冷めた視線を投げかけていた。
視線の先には、そのまま闇に溶け込みそうな二つの影が立っている。
「……折角いろいろ改良してみたけど、『あれ』が成功したから、こいつらももう用無しだね」
男は長い前髪を掻き上げる。
「勿体ないけど、お払い箱、かな」
「……ねえ」
椅子に寄り添うようにして立っていた、髪を一筋の乱れなく結い上げた女が、大きな瞳を煌めかせて男に声をかける。
「処分するんだったらその前に一寸遊ばせて」
「ん?」
男は物憂げに女を見上げ、無言で肩をすくめる。
「いいでしょう?新しい子たちが本格的に動き始めるまでまだ時間があるじゃない。暇潰しよ、ひ・ま・つ・ぶ・し」
女は悪戯っぽい表情で男の顔を覗き込んだ。
ふう。
息をつきながら、男は深く頬杖をつきなおした。
女はゆっくりと形の良い口角を上げた。
女の右手の人差し指に、鈍色の管がはめられる。
人形のように突っ立っていた二体の黒傀儡のうち、やや小柄なほうが身じろぎした。
女は管をはめた手を己の顔の前にかざした。
傀儡の右腕がゆっくりと持ち上げられる。
女の手がひらりとひらめく。
傀儡は自らの口元を覆っていた紫の布をずり下げた。
着物姿の女と寸分違わぬ、星のように光る瞳とふくよかな唇を持つ顔が現れる。
次に、女は右腕を前に差し出した。
ゆらり、ゆらりと手が揺らめく。
海草が波に身を任せるように。
柳の葉が風に弄ばれるように。
白い指がうごめく。
傀儡の腕も伸ばされた。
その指先は、もう一体の背の高い傀儡の顔にかかる。
眼鏡の男と同じ、高い鼻梁と血の気の薄い唇が剥き出しになる。
女傀儡の指はさらにその顔をなで回す。
肉が薄いために張り出した頬骨をかすめ、尖った顎の線をなぞり……。
薄い唇を割った。
着物の女は目を細め、くいと己の顎を持ち上げた。
女傀儡の頭もクッと反り、その動きが肩へ、腕へ、指へと伝わり、男傀儡の顎を持ち上げる。
すっとその手が離された。
女は、今度は己の胸元に手を遣る。
着物に触れそうで触れない位置で指は止まる。
そして、あでやかな笑みを浮かべながら、衿に沿ってすーっ……と動かした。
傀儡の手もそれに連れて動くが、指先は布の内に滑り込む。
シュ……シュル……シュ……
傀儡を厚く覆っていた衣が少しずつ外されていく。
闇を人型に切り抜いた姿は徐々に白色に浸食されていき、もはや黒傀儡とは呼べなくなっている。
さわさわと女の手が自らをまさぐるように動く。
次々と露わになっていく、傀儡の二の腕、肩、ふくらはぎ……。
暗がりにぼうっとほの白く浮かび上がる体を、黒い手袋をつけたままの腕が這い回る様は、蛇がのたうつかのようだ。
傀儡の胸元がくつろげられたとき。
頬杖をついたまま頭痛をこらえるかのように押し黙っていた眼鏡の男がおもむろに顔を上げた。
いかにもだるそうな動きで、自分の右手に管を装着する。
女の顔に満足げな笑みがじわりと広がった。
男の大きな手の平が宙を舞う。
男傀儡が女傀儡をゆるやかに愛撫する。
ほう、と息が漏れたのは、傀儡ではなく女の口からだった。
男は熱のこもらぬ目で、目の前の二体を眺め続ける。
だが男の手は動きを早め、男傀儡の手は女傀儡の胸のふくらみやまろやかな腰の曲線にせわしなく沿わされる。
着物の女の艶やかな唇から、赤い舌がちろりと覗いた。
やがて。
すっかりと裸身となった二体の傀儡は絡み合うようにして埃っぽい床に倒れ込む。
睦み合う二つの口からは何も聞こえない。
部屋の中に響くのは、柔らかい肉がぶつかり合う音、にちにちという湿った水音、そして着物の男女の口から時折漏れる小さな吐息だけだった。
まもなく、二つの裸身は痙攣し、動きを止める。
役目を終えた操り人形のように、床の上に転がる体。
男は大きく肩で息をすると、今度は頬杖ではなく、こめかみに手を遣る。
「少しは気分転換になった?」
甘えた声で女が言う。
「……そっちの暇潰しのはずだろう」
憮然と男が返す。
「でも……」
動かぬ傀儡を見る男の目に初めて光が宿る。
「あいつら同士を掛け合わせたら何が出来るか、そういえばあまりしっかりと調べたことは無かったな」
男の薄い唇の端がほんのわずか持ち上げられる。
「あら、じゃ、この子たちは……?」
「しばらく様子見、だな」
「あら良かったわねえ、お前たち」
明るく響く女の声に応えるはずもなく……
糸の切れた傀儡は倒れ伏していた。