ことほぐ

(サイボーグ009)

 9月半ばとはいえ、真昼の太陽の勢いは真夏とさほど変わらない。
 サービスエリア内のコーヒーショップから外へ出たアルベルトは、強い日差しに少し目をすがめた。
 店の前に何台も止まった車の中から自分の中型トラックに乗り込む。
 走り始めて30分もした頃、彼は首をかしげた。
 トラックを待避ゾーンに止め、運転席を降りる。
 バン、と後部の荷台の戸を開けると、小さな悲鳴が上がった。
「何をしている」
 招かざる客人に向かってアルベルトは声をかけた。
「あ、あの、ごめんなさい!」
 甲高い声で答えが返る。
「何をしている」
 再び、静かな、だが冷たい声で問いが飛ぶ。
 一度大きく息をのむ音が聞こえ、やや抑えた声で答えが返った。
「あ、あの、どうしても行きたいところがあったから、乗せてもらおうと思って……勝手に上がり込みました」
 アルベルトは何も言わない。
 小柄な人影がにじり寄ってきた。季節に合わない厚めのジャケットを羽織り、帽子を深くかぶっている。
「はじめは普通に乗せてもらおうと思っていて、運転手さんたちに頼んでみたんだけど、みんな断られちゃって……それで、つい……ごめんなさい! お金は無いんだけど、どうしても……どうしても行きたいところがあるんだ! お願いします、乗せてください!」
 黙って聞いていたアルベルトはおもむろに腕を伸ばした。
 むんずと襟首を掴まれ、闖入者はキャッと悲鳴を上げた。
 体がふわりとし、次の瞬間には地に立たされていた。
「え…あ…?」
 パチパチとまばたきする相手に、アルベルトは変わらず温度の低い声で話しかけた。
「いつまでもこんなところに止まっていると危険だ。とにかく前に乗れ」
「…え? 乗せてくれるの!?」
「場合によっては次のインターチェンジで降ろす。早く乗れ」
 ただ乗り犯は肩を落としながら助手席側のドアに回った。アルベルトはドアを開けると、相手の体を軽々と持ち上げ、車中に放り込むようにした。またも上がった悲鳴を無視して、運転席に座る。

 トラックが車の流れに乗るまで、助手席の人物はギュッと口元を曲げていたが、やがてごそごそとジャケットのポケットから折りたたんだ紙を取り出し、アルベルトに声をかけた。
「お願いします。俺、マルム村まで行きたいんだ。途中まででいい。少しでもいいから乗せてください」
「マルム村?」
「ここです」
 広げられた地図にはご丁寧に赤ペンで丸印がついていた。
「……荷を運ぶ先と方向は同じだな。ここからだと半日かかる」
「じゃあ……」
「俺は子どもの家出の片棒を担ぐ気はない」
「家出じゃないよ、帰るんだ!」
「帰る?」
「そうだ、生まれた場所に帰るんだ。おばあちゃんが待ってるんだ。絶対、待ってるんだ」
「新学期はもう始まったはずだが、学校はどうした」
「……学校なんて、知るもんか……」
 わずかの間、黙り込む。
「ねえ、乗せていってくれる? それともダメですか?」
 ずっと無表情だったアルベルトは初めてわずかにため息をついた。
「俺が降ろしても、また別の車にもぐり込むんだろう?」
 帽子の影に隠れがちの目がパッと輝く。
「そのかわり、ホントの事を言うんだな」
「ホント…?」
「まずは……この車はポンコツなんで冷房が効かないんだ。上着は脱いだらどうだい、お嬢さん」
 意外な言葉をかけられた相手は、きゅっとジャケットの襟をかき合わせた。
「……バレてた?」
「声を聞けばわかる」
「……がんばって化けたつもりだったんだけどなあ」
 大きなため息とともに帽子がとられた。
 三つ編みに結われた鮮やかな赤毛が滑り落ちる。
 少女は大きな緑の目で隣の男を見つめた。
「あらためて、初めまして。エマ・ジネイといいます」
「アルベルト・ハインリヒだ」
 エマはジャケットを脱いだ。肉付きの悪い、薄い体が現れる。
「……男のフリしていたけど、家出じゃないのはホントです。おばあちゃんが村にいるのもホント」
「お前さんを待っているのか」
「待ってるよ! きっと…」
 語尾が弱くなる。
「アタシが村から連れて行かれるとき何も言ってくれなかったけど、でもきっとアタシが戻るのを待ってる」
 エマはそのまま黙り込んだ。
 少し経って、急に明るい声を上げる。
「おばあちゃんは占いが得意なんだ。遠くからでも占ってもらいにやってくるくらい。アタシも教わって、簡単なやつならできるし、当たるって言われてるんだ」
 脱いだジャケットのポケットからカードを取り出す。
「アルベルト、あなたのこと占ってみるから、誕生日教えて」
「……9月19日」
「って、もうすぐ…あさってじゃない。おめでとう」
 エマの祝いの言葉に、アルベルトはむしろ苦い顔をする。
「で、何年生まれ?」
「……忘れたな」
「もう、若い女の子の前だからって恥ずかしがらなくてもいいじゃない。誕生日がもう嬉しくない歳っていうのはわかるけど」
「……意味がない、だけだ。……君が思うより、俺は年寄りなんだぜ」
 30に手が届くか届かないかといった銀髪の青年の外見を見てエマは笑った。
「大丈夫、おじさん扱いなんてしないから」
 それでもカードを仕舞う。
「どうせなら、おばあちゃんに占ってもらった方がいいかもね」
「本職に、か」
「うーん、仕事にしているわけじゃなくて、普段は人の畑の手伝いなんかしてるんだけど。でもちょくちょく依頼はあるし、それでずっとアタシを育ててこられたんだから。アタシも手伝っていけばこれからだって充分やっていけるし」
 少しずつ饒舌になっていくエマにアルベルトは目をやった。少しそばかすの浮いた少女の横顔には何かしらの決意が浮かんでいる。
「君は占い師になるつもりか」
「それは……わからない、けど……とにかくおばあちゃんと一緒に暮らしたい。勝手に将来なんて決められたくない」
 はっとエマは横を向き、視線を落とした。

 それから半時間ほどは無言のドライブが続いた。
 やがて、エマは小さな声でつぶやいた。
「身の上話、してもいいかな」
 運転手は答えなかった。
 それでもエマはポツリ、ポツリと話し出した。
 自分の母は、父との仲をその「家」に認められなかったこと。
 母は幼い自分を祖母に預けてすぐ亡くなったこと。
 最近になって父が亡くなり、旧家の血筋が途絶えかけ、慌てて自分が探し出されたこと。
 祖母から引き離され、大きな古い屋敷に連れて行かれたこと。
「……気取ったお嬢さま学校に押し込んで、御令嬢に仕立て上げて、どこかからご立派な家柄の婿をもらって跡を継がせればいい、と思ってるんだ、みんな」
 エマは眉をひそめながら口にする。
「勝手にアタシの生き方の先の先まで決められるなんて、イヤ、だから……」
「だから、逃げてきたのか」
 ずっと黙って聞いていたアルベルトが合いの手を入れる。
「田舎の村に帰って占いの真似事をするのがお前さんの生き方かい」
「そうよ」
「おばあさんもそれを望んでいる」
「……そうよ」
「若いお嬢さんの将来にしちゃ、辛気くさいね」
「……そんなの、勝手でしょ!」
「君のおばあさんも、そう思っているかもしれない」
「……え……?」
「結構喜んで君を送り出したのかもしれないぞ」
「そんなことない!!」
 エマは必死な声を上げた。
「田舎で隠居のような生活を送るより、不自由なく立派な学校に通って、未来に色々な可能性の拓けている暮らしをさせたい、と君のおばあさんは思わないだろうか」
「だって、おばあちゃんのそばにいたいんだもの! 一緒に暮らしたいだけなのに!」
 アルベルトの口元に、初めて笑みに近いものが浮かんだ。
「……君の歳を聞いていなかったな」
 エマはぐっと息を詰まらせてから答えた。
「13だけど」
 アルベルトの笑みがなお濃くなる。
「……何?」
「……いや」
 アルベルトの薄青の……透明に近い目が細められる。
「君の『行く先』はまだ長い。おばあさんと一緒にいるのもいいけど、彼女の人生は彼女のものだ。君はいつか自分の人生を歩かなきゃいけなくなる」
「え……?」
 エマは不思議そうに首をかしげた。
 アルベルトはすっと視線を外した。
「次のインターチャンジで降りる。マルム村まではあと2時間くらいだから、一寝入りすればいい」

 貧弱な畑とやせた羊が草をはむ空き地が混在する小さな村だった。すでに朱に染まった空の下をトラックは土埃を上げて走り続け、ついに村はずれの小さな家の前に止まった。エマはもどかしげにドアを開き、飛び降りると、家の中に駆け込んだ。
 アルベルトはその後ろ姿を目で追っていたが、ふと軽く首をかしげると車を降り、後ろに回った。
 荷台の奥には旅行鞄が一つ残されていた。
 アルベルトは肩をすくめると、鞄を担いだ。
 開け広げられた戸を断りなくくぐると、リビングと台所を兼ねた小さな部屋は暗く、人の姿はなかった。もっと奥の方からエマの声が響いてくる。アルベルトは鞄をテーブルに載せ、椅子に腰を下ろした。
 やがて、バタバタと足音がして、エマが飛び込んできた。アルベルトの顔を見て、とたんに恥ずかしそうにする。
「あ、あの、カバンありがとう。ごめんなさい、すぐに取りに行くつもりだったの」
「いや、いい……」
 エマの後ろから老女があらわれた。白髪をまとめ、色黒な皮膚にはびっしりと皺が刻まれている。
 エマと同じ、緑の瞳でアルベルトをじっと見つめると、老女はゆっくりと口を開いた。
「エマがお世話になったようだね」
「いや、俺は別に何もしていない」
「いいや、この向こう見ずな跳ねっ返りが、行き当たったのがお前様でよかった。本当にとんだ無茶をして…」
 最後の言葉は孫娘に投げかけ、老女は薄暗かった部屋に灯りをつけた。
 アルベルトは立ち上がった。
「え、もう行っちゃうの? 夜になるし、泊まっていってよ」
「荷物を届ける期限があるんでね、夜でも走らないと長距離ドライバーは務まらないのさ」
「じゃあ……何のお礼もできないけど……ねえ、おばあちゃん、この人のこと占ってあげて」
 エマは祖母に頼むと、その答えも聞かず、早口でアルベルトに問いかける。
「ね、アルベルト、何年生まれ?」
 アルベルトはわずかに顔をうつむけた。
「このお人は占う必要はないよ」
 老女は静かに言い切った。
「おばあちゃん?」
「占いというのは、迷ったり悩んだりしている人間の支えや道しるべになるもんだ。このお人は、進む道も、目的も、全部自分の中に持っている。そうじゃないかい、お前様」
「……買いかぶりさ」
「むしろ……」
 老女は孫の顔を見据えた。
「……占いが必要なのは、お前の方じゃないのかね」
「……アタシ?」
 エマは目を見開いた。
「俺は……」
 アルベルトが低い声で言葉をはさんだ。
「あさっての朝、帰りにもう一度ここを通る」
「アルベルト……?」
 エマはアルベルトと祖母の顔を交互に見返した。
 老女はアルベルトに向かって深くうなずいた。
「それまでに、よく話して、よく考えるんだな、お嬢さん」
 その一言を残して、アルベルトは外へ出た。

 二日後の朝、アルベルトの運転するトラックは再び田舎道を走っていた。
 村はずれの家の前に止まる。
 ノックをする前に戸は開いた。
「おはよう、アルベルト」
 エマが微笑みを浮かべ立っていた。質素だが清潔なスカート姿だった。
「おはよう……決めたんだね」
「はい」
 エマはうなずく。
「おばあちゃんとものすごくケンカして、大泣きしちゃったけど……」
 恥ずかしげに少しうつむき、再び緑の目で見上げる。
「学校で勉強して、友達も作って、もっと自分でできることを増やしてから、進む道を考えます」
「そうか……」
 アルベルトの声に初めて柔らかい響きが含まれる。
「準備は、いいかい」
「はい」
 力強く、エマが返事する。そこへ老女が姿を見せた。
「ありがとうございました。そして、よろしくお願いします」
 頭を下げると、孫に何かを手渡した。
 エマはそれをアルベルトに差し出す。
「お誕生日、おめでとう」
 アルベルトはまばたきした。
 それは、木の枝を組んで輪にし、色々な花や木の実を編み込んだものだった。
「『幸運の輪』よ。良いことがありますように、っておまじないしながら作ったの。お祝いされるのはあまり好きじゃないかもしれないけど、幸せを勝手に祈るくらい、いいでしょ?」
 アルベルトは輪を受け取り、眺めた。
 エマはその様子を見つめる。
「誰かに誕生日を祝われたのは、数十年ぶりだ」
「また、そんなこと!」
 エマは笑い声を上げる。
「……飾っておくよ」
「よかった!」
 エマが笑うと、赤毛の三つ編みが合わせて揺れた。
 アルベルトは、今度は口の中で小さくつぶやいた。
「めでたいもんじゃないが、祝われるのも悪くはないな」

後書き   

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