月夜の魔法

†1†



 「そういえばねえ、エルンスト。この間珍しいものを手に入れたんですよ」
 夕食後のお茶を飲みながら、地の守護聖様は私に語りかけた。

 あまり人付き合いが得意ではない私でも、聖地に何ヶ月も暮らしていれば、それなりに人と行き来するようになる。首座の守護聖様の元へは時折チェスのお相手に伺うし、今日は小さな図書館並といわれる蔵書を拝見するために、地の守護聖様の私邸を訪問した。
 目当ての稀書を目にしたらすぐ退散するつもりだったのだが、新旧入り混じった様々な分野の本に目を奪われ、ルヴァ様と話を交わすうち日の曜日の午後はすっかりと過ぎてしまい、そのままずるずると夕食までいただく羽目となったのだ。

 「はあ、何を手に入れられたのですか」
 ティーカップを下ろして私はたずねた。少し苦味のきつい茶は、不思議と口の中をさわやかにする。
 「ほら、あの、日の曜日になると露店を開く商人の方がいらっしゃるでしょう?先週横を通ったら、夏向きの商品をたくさん仕入れたから見ていってくれと声をかけられましてね。聖地はいつでも春のようなものだから夏向きも何も無いんですけど、今外界では夏のようですし、たまには季節感を味わうのもいいかと思いましてね」
 その商人なら私も知っている。顧客相手の陽気な会話に商業惑星の言葉の混じる、つかみ所のない青年だ。自分の守備範囲外の人間だと特に興味も抱かなかったが、近くを通れば向こうから人懐こく声をかけてきて、何時の間にか会話らしきものが成立するようにはなっていた。見た目は、言葉は悪いがいささか胡散臭いけれども、扱っている商品はなかなか確かなようである。

 「それでね、ついつい色々見てしまったんですけど、なかなか面白いものがたくさんありましてねえ」
 いったい何を購入したのか、ルヴァ様の論点はなかなかそこへ移らない。だがそれがこの方のペースなのだと自分にも徐々に飲み込めているから特に苛立ちも起こらなかった。
 「でね、浴衣を見つけたんですよ」
 常に微笑みに彩られたルヴァ様の顔がひときわ輝いた。
 「ユカタ…ですか?」
 それがどんなものなのか全く想像もできず、私は名前を反復した。
 「ええ、ある温暖湿潤な惑星の衣服でね、湯上りの着物というような意味なんですよ」
 「バスローブですか」
 「うーん…少し違うんですけどねえ。確かにもともとはそういう意図で使われたらしいんですけど、それを来て屋外にも出られるんですよ」
 正直、バスローブで屋外を歩くなど想像も出来なかった。
 「その星は四季がはっきりしていましてね、夏にはとても湿気が多いんです。浴衣は吸水性が高くて、風通しがよくてなかなか涼しいらしいですよ。造りも開放的らしいですしね。本で見かけてから一度着てみたかったんですよ。私の生まれた星ではどんなに暑くてもきっちりと衣服で体を覆っていましたからねえ。まあ、気候が違いますし…私の星ではよく熱風が吹きつけて、気密性の高い服のほうが涼しかったですからね」
 あいかわらずのルヴァ様の博識に私はしきりにうなずきながら聞いていた。不意にルヴァ様がポンを手を打った。
 「そうだ、エルンスト。浴衣を着てみませんか」
 突然の提案を私はとっさに飲み込めなかった。
 「は?私が…ですか?」
 「ええ、実は2着買ってしまったんですよ。二つとも柄が気に入ってしまいましてね、どうしても片方だけ選べなくて、ずっとお店の前に立っていたら商人さんの迷惑になりますし、しょうがないから両方ください、って言ってしまったんです。私ってほんとうに優柔不断ですねえ。わかってはいるんですが仕方ないですね」
 そう言いながら地の守護聖様はいそいそと立ち上がった。
 「せっかくですからね、着てみましょうよ」
 「あ、いえ、しかし…」
 「あー、それとも、もうお帰りにならないといけなかったのでしょうか。お引止めして悪かったですかねえ」
 ルヴァ様はみるみるしゅんとしてしまった。
 「いえ、そんな。帰ってもとりたてて用事もありませんし」
 私はあわてて首を横に振った。
 「その、それでは、ユカタとやらに挑戦してみることにしましょう」
 「そうですか、それではすぐ仕度しますね」
 ルヴァ様の顔が再び輝いた。私は彼に気付かれないようにこっそりと溜息をついた。
 バスローブまがいの格好をするのは抵抗がある。だが、その星その星の気候に合わせて形作られた衣服というものに興味があったのも事実だった。
 「じゃあ、エルンスト、今の間にシャワーを使ってきてください」
 「…は?」
 我ながら間の抜けた声だったと思う。
 「どうせなら、名前の通り汗を流してから身につけたいじゃありませんか。それに今日は半日古い本と格闘していたのでほこりにまみれてしまったでしょう?」
 結局のところ、私は抵抗する理由がみつからず、ルヴァ様にバスルームに案内されることになった。
 「素肌の上に身につけるものですからね、シャツなんか着ちゃ駄目ですよ」
 タオルを私に押し付けながら、ルヴァ様はにっこりと釘を刺した。
 一人きりになって私は今度こそ盛大に溜息をついた。乗り掛かった舟、というのか、それとも毒食らわば皿まで、だろうか。いずれにせよ、地の守護聖様のあの穏やかな笑顔は立派な武器なのだと、認識を新たにせずにはいられなかった。
 たしかに意外と埃っぽくなっていた体をさっと洗い流し、バスルームの外に出ると一かたまりの布が置かれていた。意外に薄く小さく畳まれた白っぽい布と黒っぽいこぶし大の布の固まり。その上に紙が一枚置かれていて、手に取ると書物の写しなのだろうか、書かれている文字は読めないがどうやらこの衣服の着方が図解されているようだ。
 「これを見て自分で着てみろということですね」
 ルヴァ様とて着方をご存知のわけではない。至極当然の処置だろう。
 畳まれたユカタに手を伸ばした。白というよりやや青みがかった灰色で、よく見れば幾何学的な模様が織り込まれている。立体裁断のかけらもない、平たく四角い布の集まり。とりあえず腕を通してみた。ゴワゴワとした肌触りに驚かされる。ただの布がひどく固く感じられる。まるで布に着られる事を拒否されているようだ。ともかく布をしっかりと体に巻きつけて、次に紺地に白い縞の入った細い帯に取りかかった。これが難関だった。自分はそれほど不器用でも飲み込みが悪くもないつもりだったのだが、図とにらめっこしてもなかなか描かれているようには結べない。ようやっと形らしくなって、結び目を背中に回したときには新たな汗をかいていた。
 あらためて鏡を見た。やはりなんとも落ち着かない。実質布一枚を体に巻きつけているだけだ。袖口も大きく開いているし、首周りもスカスカだ。普段から衿の無い服は避けているというのに。
 「あー、どうやらうまく着られたようですね」
 不意の声にギョッとして振り向いた。ルヴァ様が、やはりユカタを着て立っていた。
 「る、ルヴァ様、何時の間に」
 「ああ、うちには湯舟に浸かる形のお風呂もありましてね。私はシャワーよりそちらを使うことのほうが多いんですよ。けっこう広くて気持ちいいんですよ」
 その説明に納得しつつ、あらためてルヴァ様を眺めた。よくは解らないのだが…やはりターバンをつけたままユカタを着ているというのは少しおかしいのではないだろうか。それでもそれほど違和感を感じないのは普段ルヴァ様が召されている衣装と色合いが似ているからだろうか。モスグリーンの濃淡のユカタは、似合っているといってよいだろう。
 「ああ、だめですよ。男性はそんなに前を合わせちゃ。もう少し衿を抜かないとね」
 ルヴァ様の手が伸びてきて修正を加えた。ますます隙間が多く、心もとなくなる。
 「はあ、似合ってますね。よかった…。無理やり押し付けちゃいましたからね。でも、とても男前ですよ」
 ルヴァ様はうんうんとうなずいた。
 似合っている?そうなのだろうか。自分ではさっぱりわからない。
 「さあ、それじゃ出かけましょうか」
 出かける?外へ?この格好で?
 あまりのことに声が出ない。
 「だってほら、せっかく着てみたのに、ちょっと鏡に写してみてオシマイじゃ寂しいじゃありませんか。湯上りの体に夜風を感じるというのも、たまにはいいかもしれませんよ」
 「いえ、しかしその」
 「場所なんてどこでもいいんですけどね。夜空を見るのはお嫌いですか」
 「いえ、それは嫌いではありませんが、あの、誰かに見られたら…」
 「恥かしいですか?」
 ルヴァ様の瞳が真剣になる。
 「これは一つの立派な文化ですよ。恥じる必要はないし…蔑んだりしてはいけません」
 私は観念せざるを得なかった。
 
 出かける前に一つ問題が持ちあがった。ユカタに合わせるゲタという履物が一足しかなかったのだ。結局ルヴァ様が手持ちのサンダルから形の似たものを選んで解決した。
 こうして守護聖と協力者の風変わりな夜の散歩と相成ったのだ。




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