月夜の魔法

†2†



 今夜の月は小さな星の輝きをかき消して己の存在を主張し、我々の足元にくっきりとした影を投げかけていた。少なくとも今夜は明るい月が有り難かった。慣れない履物で足元が暗いのでは危ない事この上ない。
 ゲタというものは足に沿わない簡素な造りで、歩くたびに地面に擦れてカラカラと乾いた音をたてた。かの惑星ではよほど開放的なものが好まれるらしい。
 特に目的があるわけではないが、とりあえず庭園へと我々は足を向けた。
 「気持ちいいですねえ」
 「そうですね」
 ルヴァ様の言葉に相槌を打ったのは、決して義理ではなかった。
 少し汗ばんだ肌に風が吹きぬけるとスゥッと涼しくなる。あれほどそっけなかった布地が何時の間にか柔らかく肌になじんでいることに気がつく。
 「糊を効かせてあったから、最初は驚いたでしょう」
 そう言ってルヴァ様は笑った。
 「ノリ?あの、紙などを接着させる糊ですか?」
 「ええ、天然の澱粉糊を使ってね、布地をわざとパリッと固くさせるんですよ」
 まるで自分の思考を読まれてしまったようで少し焦りつつ、何気ないふうに私はうなずいた。
 「それで、なんというんですかね、清涼感っていうんですか?それを感じるって言うんですよ。まあ、なんとも、色々考えるものですね」
 「本当に」
 まったく…、一見不合理に見えてその実色々な意味を含んでいる。たかが着るもの一枚に人の知恵が込められている。専門外であったが、なかなか知的好奇心を刺激する事柄だ。なかば無理やりひっぱりだされたのだが、私は知恵を司る地の守護聖様に感謝の念を抱き始めていた。
 
 「おや、誰かいるんですかね」
 庭園の入り口近くでルヴァ様は立ち止まった。私も立ち止まると、確かに若い女性の悲鳴とパチパチという音が聞こえた。次の瞬間私は駆け出していた。と言っても、足元がおぼつかず、まともに走れはしなかったのだが。

 「あーあ、消えちゃった」
 庭園に飛び込むと同時にそんな気の抜けた声が聞こえてきて、私はその場で固まってしまった。噴水のそばに二人の女王候補が立っていた。他に人影は見受けられない。二人は突然の闖入者をぽかんとした顔で見た。
 「エルンスト…どうしたの?」
 「貴女方こそ、こんな時間に何をしているのですか?」
 「何って…アンジェリークと一緒に花火をしてるんだけど」
 花火と言われて思いつくのは式典などで打ち上げるうるさい代物で、私は慌てずにはいられなかった。
 「花火…?そんな、危ないではないですか。火傷などしていませんか?」
 「大丈夫だって。水入りバケツだって用意してるし、バッチリだよ」
 「しかし…」

 「ああ、レイチェルにアンジェリークじゃないですか。こんばんは」
 何時の間にか私の横に来ていたルヴァ様の声で、我々の会話はさえぎられた。
 「あ、ルヴァ様、こんばんは!」
 「あ、あの…こんばんは、ルヴァ様、エルンストさん」
 「今夜は二人とも浴衣なんですねえ」
 ルヴァ様の言葉通り、二人の女王候補もユカタを着ていた。我々の地味なものと違って、月明かりの下でも華やかだった。レイチェルは黒っぽい地に大輪の花が開き、その上を蝶の飛び交う柄。アンジェリークは白っぽい地に小さな花が細かく散っている柄。レイチェルは金の髪を結い上げ普段にも増して大人びて見えた。逆にアンジェリークはいつものリボンを外して髪を下ろしている。
 
 「今朝、商人さんの所でレイチェルと一緒に買ったんです」
 「ワタシあの惑星に赴任していた時に浴衣も着たことがありましたから。帯だってほら、バッチリ結べるんですよ」
 そう言うとレイチェルはくるりと後ろを向いた。確かに大きな二重のリボン結びが背を飾っていた。赤い帯と同時に白いうなじが目に飛びこんできて、私は視線のやり場に困ってしまった。
 「二人とも、とても可愛いですよ」
 隣でルヴァ様はしきりにうなずいていた。
 「ありがとうございます、ルヴァ様」
 「ありがとうございます。あの、ルヴァ様こそユカタなんですね」
 「ルヴァ様はともかく、エルンストまで着てるなんてね」
 「あー、私は先週買ったんですよ。エルンストには私が無理に着てもらったんです」
 レイチェルは私の方をちらりと見て納得したようにうなずくと、再び口を開いた。
 「あの、ルヴァ様」
 「なんですか」
 「ひとつ言わせていただきたいんですけど、ターバンは外された方がイイと思いますよ」
 不躾なレイチェルの言葉にルヴァ様は怒るでも慌てるでもなかった。
 「ああ、やっぱり変でしたかね。自分でもわかってはいたんですけどね。でも、ご存知かもしれませんが、私の生まれた星のしきたりで人前でターバンを外すわけにはいかないんですよ。申し訳ありませんね」
 「いえ、それじゃ仕方ありませんね。…それと、エルンスト!」
 いきなり矛先がこちらに向いた。
 「そういう格好の時ぐらい眼鏡を外したら?」
 手を伸ばしてむしり取りかねない勢いに私は急いで眼鏡の縁を抑えた。
 「そんなことを言っても、これを外してしまったら私はまともに歩くことも適わないのですから」
 「ま、それもそうだけどね」

 「あ、あの」
 アンジェリークが控えめに声を出した。
 「花火がまだ少し残っているんですけど、ルヴァ様とエルンストさんも一緒にされませんか?」
 私は庭園に駆け込んだ理由を思い出した。
 「花火など危ないではありませんか、アンジェリーク。女王候補がそのような迂闊なことでは困りますね」
 アンジェリークはくすくすと笑い出した。
 「そんなに危ないのや派手なのは入ってないんですよ。可愛いのばかりなんですから。はい、どうぞ」
 細い棒状のものを差し出されて思わず手に取った。先端に色紙が巻きつけられている。
 「ルヴァ様もどうぞ」
 「ありがとう、アンジェリーク」
 ルヴァ様はにこやかに受け取った。
 レイチェルも一本手に取ると、先端を足元の短いロウソクの炎にかざした。色紙に火が燃え移り、ややあって突然ロケットの噴射を超小型にしたような鮮やかなオレンジ色の炎が吹き出した。アンジェリークも続けて手持ちの花火に火を付け、こちらはパチパチとマグネシウムを焚いたようなまばゆい火花が散りはじめた。
 「ほら、ぼんやりしない」
 レイチェルは自分の持つ花火の炎を我々の花火の先に近付けた。
 まもなく4種類の異なる形状の炎と火花が夜の庭園を照らし出した。
 炎は見る間に色が移り変わり、レイチェルとアンジェリークはきゃあきゃあと声を上げた。先ほど悲鳴だと思ったのはこの歓声だったのだ。まるで幼い少女のような…。
 そう、幼い…。
 レイチェルは先刻の大人びた印象はどこへやら、子どものようにはしゃいでいた。彼女とは結構以前から研究を通じた顔見知りで、若いながらも非常に能力のある人材という認識をしていた。だが…彼女も16歳の少女だったのだ、と今更気付かされた思いがした。アンジェリークもあのように声を立てて笑う姿を研究院では見たことが無い。今ここにいるのは女王候補などではなく、ただの二人の少女…。そのように感じられるのは眩しいほどの月明かりの所為か、それとも見慣れぬ衣装の為なのか。
 「エルンスト、消えていますよ」
 そう声をかけられるまで、自分の手の花火が燃え尽きたことに気が付かなかった。
 「終わった花火はこちらに入れてくださいね」
 アンジェリークの言葉に従って、小さなバケツに燃え殻を入れた。チュンとかすかな音がする。
 「さ、最後はコレ。やっぱり線香花火で締めなくちゃね」
 そう言いながらレイチェルが手にした細い束から抜き取り手渡したのは、小さなこより状のものだった。つまんでも頼りなげに指の先にぶら下がるばかりである。
 「膨らんでる方の先に火を付けるんだよ」
 レイチェルはこよりの先をロウソクの炎にかざし、数歩下がってしゃがみ込んだ。アンジェリークもそれに倣う。まもなく、先ほどまでの鮮やかな炎や火花とは打って変わった控えめな火花が散りはじめた。あらわれては消える火花はしかし繊細で複雑な形状をしていた。
 「さあ、ルヴァ様とエルンストさんもどうぞ」
 アンジェリークの声に促され、私もこよりの先に火を付けた。一瞬炎が舐めたかと思うと端から赤くちろちろと燃え縮まっていく。こよりの先端に小さな火球が出来上がり、一呼吸置いてババッと火花が飛び出した。細かく先分かれした火花が徐々に大きくなっていくと見えたその時、音も無く火球が落ちた。手に残ったのは何も無いただのこより。
 「そんなトコ突っ立ってるから、風を受けて落ちちゃうんだよ」
 そう言うレイチェルの指先には随分短くなった花火が弱々しくも火花を放っていた。その勢いも見る間に弱まり、ついに火球からは細く儚げな光の雨が降るだけとなった。
 「コレ、菊の花みたいでしょ。ほら、アンジェリークの浴衣の柄の」
 私は花の名前も種類もほとんど知らないが、キクとはきっと可憐な花なのだろう。
 レイチェルの花火はついに落ちることなく、ひっそりと終息した。
 「すごいね、レイチェル。こんなに長続きするなんて」
 「本当に。私のもすぐに消えてしまいましたよ」
 「ふふ、大したことないです。揺らさないように気を付ければだいじょぶですよ」
 再び花火が配られた。私も今度は火を付けるとしゃがんだ。裾が気になっていささか苦労したが。
 小さな火球はちりちりと小刻みに揺れながら、けなげに繊細な光の網を生み出していた。その時一陣の風が通り抜けた。
 「あ…」
 アンジェリークの持つ花火が揺れて、私の花火の先に触れた。二つの火球は見る間に融合し、大きな固まりとなって、二人の手の先でゆらゆらと揺れた。ひときわ激しく火花が撒き散らされ、ぽとりと落ちた。
 「あ、落ちちゃった」
 声が耳元で響いて、私はアンジェリークの顔がすぐ目の前にあることに気付いた。
 「ごめんなさい、エルンストさんも巻き込んじゃいました」
 「い、いえ、とんでもない」
 ふと、火薬のきな臭い匂いに混じって、石鹸の香りが鼻に届いた。彼女たちも湯上りにユカタを着たのだろうか、そんな考えが頭に浮かびかけ、私は慌ててそれを打ち払った。
 「さあ、これでオシマイ」
 レイチェルが立ち上がる。
 「はあ、面白かったですね。なんだか童心にかえった気がしますねえ」
 「やっぱり大勢でする方が楽しいですよね」
 私は…子どもの頃にこうして遊んだことがあっただろうか。ふとそんな思いにとらわれる。研究所暮しを始めるより以前は…。記憶の遡及を始めた私の思考はたちまちさえぎられる。
 「エルンスト、彼女たちを寮まで送っていきましょう。私の家に戻るのが遅くなっちゃいますけどね」
 「…そうですね、ルヴァ様」
 私は水と燃え殻の入ったバケツに燃え尽きかけていたロウソクを放り込み、手に下げた。



   
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